日本明慧


身体の不良な状態へ正確に対応するべきである

文/濯塵

【明慧ネット7月12日】師父の「大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説」が、発表される前は、一部の学習者(自分も含め)は、身体における不良な状態が、業を滅することなのか、妨害によるものであるのかを、相当長い間はっきりと区別することが出来なかった。現在の正法修煉の時期、わたしたちは既に「世間法」から抜け出ており、業を滅するという現象は無く、身体上の苦痛があれば、それは妨害によるものであり、正念を発し邪悪を消滅するべきであると思った。しかし、時には正念を発しでも、苦痛は直ぐに消えなかったため、疑問が生じてしまい、大法への正念と信念にも、程度こそあれ影響を及ぼした。

しかし、師父の説法を学ぶことにより、法理の上からこの問題を捉えることが出来、大法への信念を強め、正念を固めることができた。師父は、「旧勢力の妨害ではないかということについて、自分で自分自身の最も表面の体を変えている時、自分で一部の業力に耐えなければなりません。しかし、相対的に言えばそれほど多くはありません。法を証明することに大きな影響はありません。大きな困難が現れた時、それはきっと邪悪からの妨害であり、必ず正念を発して根絶すべきです! 今日大法弟子が行っているのは法を証明することであり、最も神聖で偉大なことです。もし大法の事を行なう時、衆生を救い済度するという肝心な時期に、何かが起きたらそれはきっと妨害なのです。自分で理性的にそれを判断すべきです。自分が苦しみ、辛くなったら、それがきっと妨害だということに執着しないでください。辛くなり、苦しんでいればそれを承知しなくなり、正念を発するということをしないでください。もちろん、正念を発することはしても良いことですが、あなたが出した功は構うべきことに構いますが、構うべきではないことに対して功は法に従って行なうのです。なぜならば、それはあなたの修煉の中で法の基準に従って修煉して出来上がった功だからです。」(「大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説」)と申され、理性的に身体の不良な状態を判断するべきだと解き明かして下さった。

わたしは、いかに判断するかという基準があるのでないかと思う。耐えうる苦痛であり、法を証明することに、大きな影響をもたらさなければ、正常な“消業”ではないかと思う。一方、法を証明することへの影響が、大きいようであれば、妨害に違いないであろう。去年の夏、突然両腕が脱臼したかのように痛み、“立掌”することさえ難しくなったことがあった。最初は業を消すことだと思い、気にとめなかったが、長期間治らず、正念を発することへ大きく影響してしまった。後に、それが妨害によるものであると分かり、数日間続けて正念を発することで、痛みを無くすことが出来た。少しでも体調が優れないと正念を発し、咳をしても正念を発するという学習者もいたが、結局は効果がなかった。その状況から、「なぜ正念を発しても、効果がないのであろうか?」という疑問が生じた。

現在は、法を学ぶことによって、この問題を認識し、客観的に判断することができるようになった。どのような状態が、業を滅することで、どのような状態が、邪悪による妨害であるのか…。業を滅することであれば、正面から耐え、債務を返すべきであり、邪悪による妨害であるのならば、正念を発し消滅すべきであると思う。

以上は、個人の一認識に過ぎませんので、ご意見ご指摘のほど宜しくお願い致します。