日本明慧


功名心とやる気

文/大陸大法弟子 

【明慧ネット8月5日】私はある同修は大法の仕事をするときに、やる気の心を持っていることや、ある同修は功名心を持っていることに気がついた。表面的にこの二つは忙しく見えるのだが、実際に本質的な違いがあり、両方とも大法弟子が持つべき心ではない。 

功名心は動機が不純で、完全に利己的な心で、何かをする時には個人の功徳を蓄むことを目的にし目指しているのだ。表面的には他の人より何かを早めにする気持ちを持ち、他人に協力せず、他人の良さを嫉妬して、大法の仕事そのものに対してそんなに関心を持ってない等があらわれ、個人の需要が一番である。一人の修煉しようとする人として、必ず完全に功名の心を排除しなければならない、その功名心を持ってした結果は何も得られないだろう。師父が言われたように、「建?拜神事真忙,?知有?空一?;愚迷妄想西天路,瞎摸夜走?月亮。」(《洪吟》有為) 

やる気の心を持っている人は、その基点はやはり大法のためにやるのだが、何かをするのために忙しくなったので、法を学ぶことが少なくなって、自分自身の心性の高めることを緩めた。そのため、倍のことをやっても半分の結果しか得ず、同時に大法に同化する進展にも影響を与えた。その上、自分の修煉の漏れは邪悪に利用されやすく、大法に損を蒙った。我々は自らが普通の人ではなく、一人の大法弟子として世人を済度している偉大さを良く分からなければならない。大法の仕事をすると同時に、法を学ぶことも重視して、いつも自分を高めることが大事である。