日本明慧


世界範囲で江沢民を訴訟、審判するとき、大法弟子は外に向けて求める心を取り除くべきである

文/中国大陸の大法弟子 

【明慧ネット8月6日報道】尊敬たる学習者の皆さん、共に向上するために皆さんに普遍的に存在している根本の執着心——“外に向けて求める心”を遠慮せずに指摘させていただきます。

最近、私は繰り返し法を学び、交流資料を読んで、また法の角度から7.20以来人類社会に起きた幾つかの大事件を分析した結果、我々は普遍的に“外に向けて求める心”が存在していることが分かりました。その主な表われは、 「常人社会のある組織や政府、或いは個人から更なる援助をいただきたい」です。この心はすでに数年間存在していました。旧勢力はこれを口実に数回迫害に加担しました。それによって、我々に大きな損失をもたらし、深刻な教訓を与えました。

次に一緒にこの心の具体的な表現とそれによってもたらされた危害を振り返って分析してみて、そして根本からこの心を取り除いていただきたい。 
 
99年4.25以来、中国政府の当時総理は大法を支持し、弾圧に反対していました。これによって、学習者はこの総理の助けを求める“外に向けて求める心”を生じて、「江××が退任したら、××総理が実権を掌握すれば良くなる……」等のことを思いました。結局、これは旧勢力に口実として利用され、迫害を加担されました。その後、この総理も悪い方向に変わりました。
 
昨年中国共産党第16回党代表大会が開かれた時、多くの学習者は“外に向けて求める心”を持って、「江××が退陣し、胡××に変われば良くなる……」と思いました。結局、そうなりませんでした。

今年3月、中国政府の指導者が交替したとき、また「江××等の連中が去ったら、弾圧に反対する人に換われば良くなる……」と思いました。 

どうしてこう考えたのでしょうか? 師父は講法の中ですでにはっきり説明されました。しかし、一部の学習者は教訓を生かさず、また強く“外に向けて求める心”を持っています。今になっても、また「胡××は江××と違い、江××はまた幕の裏に操っているから、将来には……」と思っている人もいます。これはまったく常人の観念ではありませんか。 
 
国際的な場面にもこの心は強く現れました。例えば、弾圧が始まった頃、国連と一部の国の政府は信仰自由、人権の角度から邪悪な弾圧を非難することによって、ある程度の効果が得られました。これは元々人間正義の表現でした。しかし、一部の学習者はこれに対して執着を生じて、「これらの組織からもっと多くの声援をいただければ、邪悪をより有効に抑制できる……」と思いました。旧勢力はこれを口実にして、「相互に人権問題について指摘しない」という理由で、各国の政府は法輪功問題について、逆に無口になりました。国連人権会議にも年々声が低くなる一方でした。
 
なぜこうなったのでしょうか? 学習者の皆さん、心を落ち着かせて、法の基点から考えてみましょう。心の中に向けて探してみて、“外に向けて求める心”が本当に存在していません? もう外的要因の変化に頼らないようにしましょう。相手に頼る心を強く持って真相説明をしない方が良いでしょう。もし、求める心があれば、真相説明の重要性が逆に軽視されてしまいます。結果だけを求める心は、基点から離れていると思います。
 
法を正すことは今日まで進んできて、更なる多くの衆生を救い済度するために、人間で邪悪の首魁を審判することが按配されました。これは千万年にも得がたい機縁です。しかし、起訴してからすでに9ヶ月経ちましたが、あまり大きな進展が見られません。人間社会において、「江××はあらゆる犠牲を惜しまずにこの裁判を阻止したい」という表現があり、違う空間においては、邪悪生命の密度が増加した表現がありました。だが、これらの表現は、訴訟案の進展を遅らせる根本な原因ではないと思います。
 
私の知っている情況から考えれば、根本な原因は三つあります。その一は、学習者は訴訟案の重要性について認識が不足で、関心度が足りません。その二は、外に向けて求める心が強く、「アメリカ政府や法廷からより多くの支持をいただきたい」という心があります。これはまた旧勢力に掴まれて訴訟案を阻止する口実として利用されました。その三は、旧勢力が変異の理を抱いて干渉を行っていることです。 
 
以上の三つの問題を解決するために、大法弟子の全体の認識向上と、“外に向けて求める心”の放棄、根本から旧勢力の按配を否定することは重要なことです。同時に、毎日正念を発し、真相を説明することもとても重要なことであると思います。 
 
学習者の皆さん、教訓の中から、頭をはっきりとしましょう。毎回外に向けて求めることによってもたらした不本意の結果は、もはや旧勢力から我々に与えた警示だと思って、我々大法弟子は、内に向けて探し、根深く存在している“外に向けて求める心”を取り除き、本当に神の正念正行で人間舞台の主役をしっかり演じるようにしましょう。