日本明慧


自分を純粋にしてはじめてマスコミの仕事を上手く完成できる

文/米国大法弟子

【明慧ネット8月12日】この間、地元のある大手マスコミは我々法輪功についてより詳しい報道をした。我々がマスコミに接した第一回目からこの報道が世に送られるまで約一ヶ月余かかった。いま、振り返ってみればとても貴重にすべき過程だと感じている。というのは、我々にその記者の職務に対する忠誠心を伺うことができるのみならず、それらによって我々にも修煉できる機縁を与えてくれたからである。

疾うの昔から、我々はずっとこの新聞社が我々に関する文章を書いてほしいと希望していた。それはこの新聞が我々の地方では最も大きいマスコミであると同時に、政界にたいする影響もかなり大きいからである(国会の中におかれている有数な新聞紙の一つである)。これまでの二年間に、ただ去年に読書便りの欄に我々の何名の国会議員に感謝する御礼の手紙を一通しか載せてもらえなかった。それ以来、何か公布する価値のある情報があると、私はさっそくその編集者に連絡しつづけてきた。今年の3月、何人かの大法学習者がスイスに赴いた。それでその編集者に連絡したら、編集者たちは法輪功学習者たちが返ってから検討しようと回答したが、その後何の連絡もないままであった。二ヶ月前、ある西洋人学習者はチャールズ・李が国内にてハンストをしていることを知り、彼も絶食をはじめた。しかも、彼の絶食も同じ9日間であった。また、魏星艶さんが悪警察に強姦されたことで、私は如何にしても気持が落ち着かなくなり、何かをしなければすまないという気持でいっぱいであった。そこで、私はふたたびその新聞社の編集者たちに連絡し、ハンストを行っているその学習者の請願書を載せ、それとともに、関係の報道もするように願った。それで、担当の方は、関係の消息を新聞部に伝えることを保証した。次の日、記者S氏から電話がかかってき、それにより我々の合作が始まったのである。私はさっそくハンストを行っている学習者の電話番号を教えて上げた。彼は我々に関する記事を書きたいと言った。その翌日、わたしたちがDCで江を審判する集会があるのを聞いた彼は、すぐ行ってみたいと言った。一般的に、地元のマスコミがDCに取材に行くことは考えられない。しかし、記者がいったんあることに関心を寄せるようになったら、行けないのではないということを教えられた。

翌日、わたしはDCの何人かの学習者にその取材に応じるように知らせておいた。しかし、その記者は行かなかった。これは私にとっては小さい試煉にしかすぎないが、心では知らせておいたそれらの学習者がこの私を許してくれることを願っていただけであった。そして、自分は、その記者がおそらく何かの急用で来られなくなったのかもしれない、彼のことを許してあげなければならないと、心では考えていた。その翌々日、私はまた勇気を出して、彼に電話してみた。彼はその日に行ったが、ただだいぶ遅れてしまったと説明した。私が関係の事情を紹介した後、彼の事務室に行き、より具体的に事情説明する必要があろうと提案したら、案外、彼は何の抵抗もなく即座に応答し、しかもその日の午後に会うことが決まった。

それ以降の何時間、私は急いで学習者を探した。その時、実は常人の心がすでに浮上してきたのである。わたしは、江を告訴することとチャールズ・李のことを上手く説明できる学習者を探すのに一生懸命であった。しかし、電話を多くしてみたものの、適当な人選がやはり見つからなかった。すえには、ある学習者は、あなたが行こう、最も重要なのは我々が善良なる人々であることを人に見せることだと、電話で慰めてくれた。この学習者はふだん話が少ないが非常に責任感の強い方である。彼の話が私を落ち着かせた。実は、師父は『2003年旧正月十五日米国西部法会での説法』ではっきりと教えられた。このようなことをするにはそれほど多くの準備をする必要はなく、最も重要なのは我々の心を純粋にさせておくことである。わたしが躊躇なしにこのチャンスをキャッチできたのは自分が法に対する責任をもっていることをすでに証明できたのであり、具体的に如何にするか、それは余計に多くのことを考える必要はないのである。結局、私とよく協力しているある学習者が私といっしょに行くことになった。

新聞社に行ってから、三時間もそこに滞在した。これも考えられなかったことだ。実は、新聞社に着いた時から、私はもはや落ち着くようになり、ほんとうに何の準備もする必要がなくなったのである。記者が私たちの名前を記入する時から、法輪功学習者のQさんはもう話し出した。経験により、私は記者が彼女の物語に興味を持っていることが分かった。このQさんの物語は確かによいもので、彼女自身、その旦那様、その舅と姑はみな法輪功の学習者、しかも姑が労働教養所に一年ほど監禁された。彼女と旦那様は中国国内では非常に優れた条件を有するが、迫害されていたためやむをえずアメリカに亡命し苦しい生活を送らねばならない。そのとき、私は静かに座り正念を発していた。時々、Qさんの話が具体的になりすぎ、あるいは主題よりかけ離れたが、しかし記者は依然として真面目に聞いてくれた。その時、私は彼は教養のある優れた記者だと感心した。彼はQさんの話の繋がりが途中で断たれないように、少しもプレッシャーをかけずにQさんの話の中から自分が求めたいものを見つけ出すのであった。私も何の焦りもなかった。私はQさんが自分の物語を語る風格があることを知っているからである。しかも、彼女の話しを耳にすればつねに聞き手に善良と素晴らしさを感じさせるのである。記者はノートを非常に長く執った。その後、彼は三分の一ほどの時間をかけて彼の記した内容を確認した。記者会見がいよいよ終了のとき、記者は続いて西洋人である学習者のPさんにも取材をしたいと言った。それは思いもよらぬ素晴らしいことである。そのPさんの物語も非常に人を感動させるもので、大法が彼女の命を救ったし、彼女はチャールズ・李を救出するためにハンストを二日間行うことになったのである。

ここから、記者が真にキャラクターとして登場するようになっていった。その翌日、彼は私に電話し、私のことをも知りたいと言った。私の母も中国国内において同じ迫害を受けているからである。その時になると、私は非常に冷静になり、私の英語の最高のレベルで母の迫害状況を紹介した。むろん、彼は記録をしていた。終わりにつき、彼はまた西洋人学習者と中国人学習者をそれぞれ一人ずつ紹介してほしいと言った。彼が我々の法を学習するグループに行ってみたいと言ったことを思い出し、それを勧めた。彼は今週遠いところに出張する予定であるが、その翌日にどうかと提案したら、彼は応じた。その時、私は彼に早めに写真を撮らせたかったのである。電話した後、私は学習者たちに法を学習することと、服装もきれいにするように念入りに知らせておいた。翌日、協調性の強い皆さんはみな来ており、しかも衣服も非常にきれいであった。しかし、残念なことに、その記者は来なかった。皆さんは何の不平も言わなかったが、速やかに離れて行った。私はある西洋人学習者にお詫びをしたら、彼は却って「執着してはなりませんよ。」と大らかに言った。なるほど、自分のその心がやはり重かったからである。Qさんも来た。彼女は、これは何でもないことで、ただ皆さんが法を一回多く学習することだけだったと言った。こういったように、学習者のご理解によって旧勢力の妨害を消し、私も続けてやっていくことに自信を持つようになった。これはただ我々の忍耐心を試練するものに過ぎず、それにより記者にも我々の高尚なる教養を示すことにもなるのである。何日後、記者は返ってからまた私に連絡した。実は彼は私にメッセージを送ったが、私は受取れなかっただけだったのである。誤解が解消され、彼は続けて私にいくつかの問題を聞いた。その後、また翌日に我々の法を学習する組に行くことを約束しておいた。今回、私はただ皆さんに知らせただけで、これ以上特別な注文をしなかった。我々は最大限に自然のままにしてゆこうと思ったからである。

当日の午後、彼は電話で夜に法を学習することを確認した。今回、彼はカメラ・マンとともに時間どおりにやってきた。前回に来てもらったその西洋人学習者も来てくれたので、とても嬉しかった。学習者たちは服装が前回ほどきれいではなかったが、多く来ていたし、さらに女の子が三人も来ており、彼女たちは腕白ながらも我々と一緒に煉功し法を学習することができ、すべてがごく自然であった。すえには私たちはそのカメラ・マンと長く交流したうえ、功法を教えるテープを彼にあげた。彼はこの功法に非常に興味を持っているし、しかもこれまで何回も法輪功の活動を撮影したとのことである。

その状況から判断すれば、関係の報道がすぐ出されるはずだろうと思われるが、しかし、そうではなかった。ある日、彼はまた電話で我々が毎週の土曜日に中国大使館に行くことを確認した。この時になると、私の心がより穏やかになった。このことが長引いてはいるが、それにより彼により深く事件の真相を理解できるようにさせるのではなかろうか。たとえ、おしまいに彼が報道を出さなくとも、これほど真面目にわれわれの真相を知ることができる彼自身こそたいしたものだと考えた。我々大法学習者が最も恐れないのは他人が我々に近づいてくることではなかろうか。人々に我々は正々堂々たる大法弟子であることを見せるべきである。その土曜日、彼はほんとうに大使館に行った。そして、彼は何日後に関係の報道が出るはずだと言った。彼がわれわれの身のそばに立っているところを観て、中国でもこれほど職業にまじめに励む記者もいないわけでもないことを連想させられた。ただ、中国の記者たちは本当のことを言う権力が奪われてしまったのである。それに対し、この記者S氏は、何でも聞けるし、入手できたのはいずれも生々しい資料ばかりなのだ。従って、より多くの記者が我々に近づき、我々を研究することを望んでいるのである。

何日かが過ぎた。しかし、その報道は依然と世に見せなかった。7・20関係の活動がそろそろ始まる頃になると、私はやはり彼に電話しようと決心した。彼は今回の活動を紹介するチラシをもらい、また日曜日が彼の報道を出す日なのだと説明した。それを聞いた私は、すぐその日がちょうど7・20その日ではなかろうか、と気がついた。

7月21日、我が家に住んでいる西洋人の学習者がその報道を読んで非常に好いと言った。私は家に返ってみたら、なんと一面目のトップではないか。しかも、非常に大きな写真が一枚載せており、題目も素晴らしい。この報道は三面を占めているが、第二面目には記事の外にまた学習者が法を学習する時のQさんと小さい弟子との写真が載せている。Qさんは非常に穏やかであり、その小さい弟子も本を一冊捧げていて天真爛漫でとても可愛く見えるのであった。第三版にも二枚の写真が載せているが、それとは別に、我々の7・20の活動を紹介するもう一篇の文章も載せているのだ。この報道を読んでから、記者S氏はまた他の学習者にも取材したことがわかった。その内容はいずれも豊富で、学習者Qさんを軸にし、大法の身体を健康させる作用を紹介し、われわれの家族の実例をもって江××の虐殺の事実を摘発している。すえにQさんの「素晴らしいものを発見したら、皆さんはそれが中傷されてほしいのか、それともそれに関する真相を伝えてほしいのでしょうか?」をもって結びとした。

一ヶ月ほど記者と付き合うことを通じて、これは確かに真・善・忍を示す過程だと痛感している。われわれはある専門の専門家ではないにもかかわらず、もしわれわれが真・善・忍を以って自分を指導することができれば、世のあらゆる技巧はことごとくその中に含まれているであろう。そうだからと言って、われわれは何の準備もなしにするのではない。たとえば、新聞社に行く時には、私はきっと英語の上手な学習者を探し同伴させるのである。それは、自分の英語がそれほど上手ではないので卑屈になるのではなく、スムーズにコミュニケーションすることこそ記者にたいする協力意識を示し、すなわち他人のために物事を考えることなのだ。また、取材に応じる時に、必ず高く話してはならず、自分には明らかにすることができない事ならできる限り少なめに話すこと、そして物語性の強い素材を提供することも肝心であろう。たとえば情である。情を離れたら常人としてはとても理解し難いのである。つまり常人が受け入れられる方式を以って真相を伝えることは、われわれ修煉者の慈悲を表しているのである。

ここで、私はわれわれマスコミ担当の学習者たちはもしチャンスがあれば地元のマスコミにも工作することを望んでいる。それは、彼らとの繋がりを持つことができるのみならず、付き合いあるいは取材に応じる過程において、われわれは自由社会の記者たちが如何にマスコミの仕事をしているのかを知ることもできるからである。

他の学習者との協調の問題。この報道が世に送られてからの十日間の間に、われわれの地元にまた二編の関係報道が出た。一篇は第一面のトップで、もう一篇は写真付きでその位置も非常に目立つのである。これは他の学習者たちがやったことである。いま、学習者たちは協調すべきことを強調したい。わが州のある議員が7・20集会に出席しまた演説することを知り、私はすぐその議員の所在している地元のマスコミに知らせた。彼らはとても興味を持ち、その地元の学習者がいることを望んでいた。それで、私はさっそく当地の学習者に連絡した。その学習者はマスコミに接するようなことをしたことがないが、しかし協力してほしいと一語言えば、彼は迅速に協力してくれたのである。私がマスコミに連絡してほしいと言ったら、彼はどうやって行けばいいのかと、だいたい聞いてからすぐ電話した。案外、そのマスコミはこの学習者の家で面会しようと約束した。面会する前に、彼は関係資料をもらいにわたしの家に来て、私も彼とこれまでの経験について交流し、主に彼を励ましていた。もし、誰かがわれわれのことを報道することができれば、それこそ素晴らしい文章に違いないと、私は切に思っている。私はまたもう一人の地元の学習者を彼と一緒に面会に行くよう要請した。発表されたその報道はなかなか素晴らしいものであった。

他のところに住んでいるある学習者は韓国人で、とても慎重な科学者である。長期間、われわれはお互いに上手く協調し合っている。7・20以降、私は、手紙を書いて地元の新聞に投稿し発表してもらうように彼を励ましていた。ある晩、彼は家に来て地元の新聞が彼の投稿した手紙を載せる予定で、彼に写真を一枚提供してほしいとのことであった。普通なら、記者は彼ら自ら撮った写真を使うのである。私のこれまでの経験からすれば、こういったようなことはまだなかった。私は彼のために嬉しかった。また何の配慮することはなく、大法のネットに載せている写真ならどれを使ってもかまわないと提案した。新聞に発表された後、彼は非常に喜び、今後とも引き続きマスコミ関係のことをやっていこうと、その意志を表明した。私は自分のこと以上に彼のためにほんとうに嬉しくてたまらなかった。私たちはこの過程においてマスコミを動かしたのみならず、学習者間の協調を増してきたのである。私たちは今後、より一層マスコミのことを上手くしていき、またマスコミ関係のことならいくらしてもやりきれないことだと感じているのである。

以上は、私個人のささやかな感想に過ぎず、不適当なことろがあれば慈悲を以ってご指摘いただければ幸いである。