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大法弟子黄麗莎さんが成都市郫県の拘留所で死ぬまで迫害された経緯(図)

【明慧ネット8月8日】私は法輪大法を続けるため、かつて四川省成都市郫県の拘留所に拘留されたことがある。2002年10月17日、黄麗莎さんという女性の大法弟子が同じ拘留所の悪警察によって迫害され、死亡した。


黄麗莎さんは2002年8月22日に郫県の拘留所に入れられた。黄さんは拘留所でハンストで不当な逮捕に抗議したため、強制的に食塩水を飲ませられ、点滴をされた。9月の上旬、彼女は青羊区病院に運ばれ、毎日、朝から晩まで点滴をされ、ずっと亡くなる時まで点滴されていた。

黄麗莎さんは2002年10月17日の朝7時頃、無実の罪が晴れずに死んでしまった。その前日、彼女は気管に痰が詰まったため、呼吸が困難になった。手に手錠をはめられていて、足に足枷をつけられていた。彼女のそばにいた他の3人の法輪功学習者も同じであった。私たちを監視する凶悪な警察が黄麗莎さんのせいにして、警察らの睡眠を邪魔したことを罵った。黄さんがベッドに寝ていて、間もなく、警察は彼女を殴った。点滴をする看護婦もいつも黄さんを殴っていた。その原因は、黄さんが長期間ハンストのために点滴をされ、看護婦は彼女の血管をなかなか見つけることができず、腹が立って、点滴をやりながら罵った。9月の中旬から黄さんはずっと昏迷状態に陥っていた。黄さんはなくなった数日前、看護婦に迫害された時、「あなたたちがいくら私のことをひどくこらしめても、私は恐れません」という言葉を言った。それは黄さんの最後の言葉であった。

黄麗莎さんがもう生きられないことを分かっていても、拘留所は黄さんを釈放しなかった。黄さんが死んだ時、医師、看護婦らは何の手当てもやらなかった。黄さんが死んだ数分後、すぐ火葬された。これは江××邪悪集団やその手先の「人道主義」である。——迫害され、死んだ法輪功学習者に対して、直ちに火葬することである。

2002年11月、もう1人の女性の大法弟子がハンストで不当な逮捕に抗議したため、迫害され、なくなった。彼女の名前さえ分からなくて、皆は彼女のことを「蒋お姉さん」と呼んでいた。

ハンストで抗議したもう1人の張亜琳さんという大法弟子がいた。彼女は四十代で、食事した数日後、拘留所に送られた。点滴の液体の中に、拘留所の警察が何を入れたのか分からないが、病院へ行く前より悪化した。張さんは立つ時、体が歪めて、壁によりながら、または人に支えられてから、やっと歩くことができる。こんなふうになったにもかかわらず、悪警察は彼女のことをどうしても労働教養所に送ろうとした。労働教養所に着いた後、健康診断され、不合格と判断され、また同じ拘留所に返されて来た。もともと1ヶ月以内に釈放される予定であったが、2ヶ月がたった現在、まだ釈放されていない。