日本明慧


人間の観念が私達に再び損失をもたらさないようにする

【明慧ネット8月16日】四年間大陸大法学習者は邪悪の迫害の中、一部の学習者は牢獄や洗脳クラスに監禁され、流浪生活を強いられ、長期に渡る当地公安部門の残虐な迫害を受けた。その一方一部の学習者はそんなに大きな魔難は受けなかったが、多くの学習者が遭遇した迫害の事実を聞いたり、見たりして、よこしまな悟りをし、大法に背く現象が現れた。どうしてこれらの問題が現れたのか?問題の一面は旧勢力の按排にある。私達は正法修錬者であり、問題が現れると必ず私達自身の中に原因を探すべきだ。私達が共に未来の道を正しく歩くために、この問題について私達の修錬の中に存在する不足を思い出した。

1、 学習者が常に人間の感情で大法を理解し、感情を持って師父と大法に対処する。例えば、一部の学習者は無意識に“師父の説法はどんなに素晴らしいか!”、“師父はいかに明白に説いたか!”、“この法理はいかに素晴らしいか!”と感嘆する。この状態を保つ人は、実際のところ貴方は自分を大法の外に置いている。大法を外から見ており、大法を評価している。それでは貴方が大法の外から大法を評価するとき、貴方が判断する標準は何だろう?もし私達が法の中にあるなら、どうやって大法を評価できるだろう?もし私達が人間の情に淡々として、人間の情から飛出したら、それは法の中に飛び込んだことになる。法の中に溶けて修錬し、法に基づいて法を認識するのだ。感情を持ち大法と師父に対処する表現形式は他にも有る。例えば、私達が真相を伝えるとき、常人が私達を理解できず、私達が伝えた真相に抵抗感を持ち、反対したとき、往々にして私達の心は憤りのため穏やかでいられない。特に常人が大法や大法修錬者に対して傲慢な言葉遣いや道理をわきまえない場合は憤慨する。師父は私達に常人に対して怒らないように戒めたが、実際のところ私達は常人に対して怒っている。これは情で大法に対処し、情で旧勢力が按排した全てに対処することだ。私達は旧勢力が大法を迫害するために按排したこの全ての心性がとても低いことを認識した。但し、かれらはこれらの事を按排するとき、人間の情で按排したのではない。ところが私達は具体的な迫害や常人の具体的な言行に直面すると、おのずと情が生じ、情で直面した全てに対処する。これによって私達は邪悪の迫害を受けてしまう。これが一つの原因だろう。そこで私達は旧勢力が按排したこれらに対するとき、必ず人間の情を飛出して対処するべきだ。

法の勉強や修錬、そして真相説明から邪悪の迫害まで、私達は常に人間の感情を持ち出す。これが続くと、問題を見る基点が法に基づかず、正信もなくなる。人間の情で、自分が遭遇した全ての関や魔難に対処すると、全てが法で判断できなくなる。そして毎度情の制御の下で具体的な状況に落込んでいると、私達が遣ることには往々にして問題が起きる。

2、 主意識が強くない問題は様様な所で現れる。

(1) 法を穏やかに勉強できない;
(2) 実際に修錬するとき主意識がない;
(3) 魔難や邪悪の迫害に対処できない;
(4) 法を正し、真相を伝えられない;

3、 人間の観念が非常に重く、常に飛出せなくなる。

4、 当初法を勉強するとき真心で勉強したのではなく、ただの遊びだった。

5、実際に修錬したのではなく、法理で他人を評価して、真に自分の心を修めていない。

これらの問題がもたらした悪果は:最初から法に対する理解が正しくないが、自分は知らないことである。認めるのは彼の観念が理解できる部分で、法がその次元で表した真の意味ではない。あれらの旧勢力が意識的に邪なみちに導くとすぐ行ってしまい、法からどんどん離れる。頭の中で、この法は間違っている、騙されたと思うと、再び(主意識が)自分に注意を払えず、永遠に貴方の観念に騙されてしまう。本来の言葉はそこにおいているのにも関わらず、貴方は観念に制御され反対に理解した!洗脳を行う人も本来の言葉を使う、但しそこには正念が全くない!他人から自分のことを学び、自分と一緒に修錬することが、どうして法にかなうだろう?!

今回の魔難の中如何にこの事を正確に見るか?人間の一面があるので、修錬の中でとんぼ返りをするのは正常である;但し私達は修錬する人だから常人とは違う、私達は大法の中で修錬するのであるから、解らないことが解るまでの過程がある。一つ目はとんぼ返りをするのを怖がらない;二つ目はとんぼ返りをしたら教訓を覚え、道理を理解することで、どんどん成熟し、理知になる;三つ目は又立ちあがることだ。そして、法の要求の通りにする、正しい念を持ち、正しい行いをし、正しく悟り、自分の理解の通りに行うことだ。