日本明慧


金子容子救援!車リレーin西日本(4)

文/金子容子さん救出支援の会 広島 

【明慧ネット8月26日】私は9月から仕事が始まる。学生も学校が始まる。車リレー九州地方から帰って来てすぐに、休みの間に沖縄に行こう!と決めた。あるおじいさんは、出発前日に話を聞いてすぐに「私も行く!」と迷わず決めた。沖縄県は、日本の本州から遠く離れた南の島である。これまでほとんど洪法にも行ったことがなく、事前に役所に電話で予約を入れた時点から、法輪功関連のことは初めてだという様子だった。 

5人で8000部の資料を抱えて飛行機に乗った。約2時間後、真っ青で透明な海が眼下に広がった。開通したばかりのモノレールに乗って住宅街へ向かった。レンタカーを借りようと思ったが、一週間で最低5万円はかかるので、歩いて配ることにした。昼から5時間近く歩き続け、炎天下の中、体中汗だらけで足はくたくただった。しかし、これまで資料など配ったこともないし、遠くてお金もかかるのでなかなか来ることができない。今回できるだけたくさん配って、この島の人々にも真相を伝えたい!という一心で頑張った。

ポストに資料を配る 署名活動 早朝に屋上で発正念

翌日は那覇市内で県内のあらゆるマスコミを回った。どの記者も「初めて聞きました。」と言って興味深そうに話を聞いてくれた。2社の新聞社が写真を撮影した。 
 
その日のうちに那覇市内と沖縄市内での署名活動の申請を行なった。2日間は沖縄市内の観光名所である、アメリカン・ビレッジ(American Village)で署名活動を行なった。真夏の沖縄は非常に暑く、立っているだけでも皮膚がジリジリ焼け、背中から汗がたれてくる。すぐに喉が乾き、日なたに何時間も立っていると苦しくて耐え切れなかった。しかし、ある中学生修煉者は、大人でも耐え切れない中で、一生懸命に説明し、署名を集めていた。広い広場だったので、道行く人の側に行くまでかなりの距離がある。あっちへ走り、こっちへ走り、時には歩いている店員にも署名をしてもらっていた。この2日間で約800名の署名が集まった。 

初日に資料を配った時点ですでに資料が足りなくなりそうだったので、大阪の修煉者が速達で高い郵送料を出して送ってくれたおかげで、翌日すぐに到着した。到着した場所は、沖縄市内に住む修煉者の家である。出発の前にある修煉者から連絡先を聞き、2日間泊めさせてもらった。台湾から移り住んで15年になるおばあさんは、とても明るくすぐに慣れ親しんだ。ご主人は日本人で法輪功はやっていない。しかし車で何度も送迎してくれたり、私達のために沖縄料理を作ってくれたりした。おじいさんは今年73歳にもなるが、夫婦共にとても元気だった。話を聞くと、以前はヘルニアや足など病気を抱えていたが、奥さんが毎朝自分の寝ている横で煉功をしていると、自分の病気まで全部治ってしまったという。そして突然の訪問にも関わらず、とても親切にしてくれ、「今日はずっと頭が痛くて薬も買ってきたが、あなた達が来てくれたおかげで、なぜか頭痛も治り薬も必要なくなった。法輪功の力は素晴らしい!」と嬉しそうに語った。夜は沖縄に伝わる伝統の三味線を弾いて聞かせてくれた。朝は夜明け前の涼しい時間から、屋上で皆で煉功し、正念を発した。おばあさんは「いつも1人なので、大勢でやるといいね。」と言った。

沖縄市役所を訪問し、市長宛の要望書を提出した。対応してくれた方達は、法輪功が病気や健康に非常に効果があるという点に非常に興味を持ち、とても詳しく聞いた。「その町に法輪功をやる人が増えれば、皆健康になるし道徳も高まるし、いい事ばかりですよ。」と話すと深くうなずいていた。沖縄では役所の人もお店の店員も運転手も、ほとんどがアロハシャツを着ていた。県知事自身もアロハシャツを着ているらしく、とても好感が持てた。