日本明慧


百キロの石の入った籠で打たれ、傷口に酢や酒などをかけられ歯ブラシで・・・

【明慧ネット8月21日】私は1997年から法輪大法を修煉し、心身共に恩恵に与った。このことは皆が知っている。特に道徳、思想境界が高められ、沢山の悪い習慣を直した。1999年7.20、法輪大法が江氏ごろつき集団に弾圧されてから、私は大法を堅く修煉する者として、地元の邪悪な者に迫害された。以下は私が迫害された体験の一部である。

1999年7月22日、鎮政府と派出所は何回も家に来て掻き乱し、さらに私を派出所に拉致して行った。所長らは私を迫害し、修煉を放棄するよう威嚇し、一晩中立たせて、度々殴ったり、罵ったり、さらに師父の写真を踏むよう威嚇したが拒否した。数日間迫害し続けたが、修煉を放棄しないため、鎮政府と派出所は仕方なく私を留置所に送った。留置所で悪警察は手錠をかけて殴ったり、罵ったり、また鉄椅子に5日間座らせた。このようにして半月間留置所に拘留されたが、相変わらず堅く修煉を続けた。悪警察は仕方なく私を釈放した。家に戻ってからも、派出所は数回家に来て掻き乱し、修煉を放棄するよう威嚇した。彼らは愚かにも私が生活を真面目に送らず、畑には草が生い茂っているだろうとか、家の状況をビデオで撮って、私を辱めようとしたが、畑には草さえなかったので、彼らは他人の畑を撮って家のものにしようとしたが、妻に厳しく叱責されたため、彼らの陰謀は目的を達することが出来なかった。
 
10月になると、私に対する彼らの硬軟両様の戦術が全部駄目になったので、私を再び県拘置所に監禁し、精神的、肉体的に苦しめ、修煉を放棄するよう強要した。鎮政府の官吏は:「あんたが修煉しないと言えば、私はすぐあんたを連れ出し、しかも拘留期間の食事代を清算してやる。」と言った。私は:「私は真善忍に従って修煉しているから間違っていませんので、死んでも修煉は放棄しません。」と言った。こうして彼らは私を四ヶ月監禁し、不法に更に一年の労働教養を言い渡し、労働教養所に送った。
 
労働教養所に入ると、邪悪な看守と犯人達は同調して私に迫害を加えた。その中の、50過ぎの看守は常に大法弟子を殴り、迫害する手段も非常に残酷であった。「飛行機を運転する」とか、「ブタ足を割る」など色々あった。殴ったり罵ったりするのは普通で、毎日虐待し、全身傷だらけになり、私は殴られて頭が非常に腫れたため、その状態を見て、犯人まで私はここで死ぬのではないかと心配したことがあった。ある日、中隊長は犯人を指示して私を虐待させた。最初は私に修煉するかどうかを聞きながら皮ベルトでずっと殴り続けたが、私は修煉すると言った。後は石を入れた籠(約100キロ)を数人がかりで持ち上げて落とし、しかも、籠を首と両肩の間に置いて回した。するとすぐに皮膚が破れて、傷だらけになった。夏季だったので、傷口を処置してくれないため、化膿して非常に臭い匂いがした。彼らは責任を逃れるために、更に迫害を加えた。看守は犯人達を指図して私を給水室に引っ張って行き、数人がかりで私を押し倒して、無理やり口を開けて薬を注ぎながら、「傷を治してやる」と言った。私は「あんた達は迫害しながら、それでも傷を治すと言えるのか」と言った。彼らは非常に残酷に傷に薬の粉や酒、酢などをかけ、歯ブラシで傷口を磨いた。その後一ヶ月後から私の傷口は治り始めたが、私がどんなに苦しんだか想像出来ないと思う。治った傷口に「肉の塊」が出来ている(写真がある)が、今でも傷口はよく痒くなる。
迫害されて出来た傷
右肩:長さ9cm(最大)、幅4cm、厚さ:1cmぐらい
頚椎外:長さ4cm、幅205cm、厚さ1cmぐらい
左肩:長さ10cm(不規則)、幅2cm、厚さ:0.5cmぐらい

私が大法を動揺することなく修煉し、信仰の自由を勝ち取ろうとして、2000年末に公正な道理を求めようと北京へ行ったため、拉致され県拘置所に監禁された。悪警察は県公安局局長に指示されて、一日中ずっと私を殴った。手錠をかけて「背剣」させ、ゴム管で殴ったが、二寸(約6.6cm)ほどの太いゴム管が折れてしまった。鉄椅子に座らせて、裸足を激しく踏みつけた……。彼らは師父と大法を罵るよう私に強要したが、服従しなかったため、狂暴に殴った。このように丸々一日中殴り続けたので、身体が変形してしまった。一ヶ月ぐらい不法に監禁してから、また二年の労働教養を言い渡した。
 
労働教養所で、彼らは先ずユダを利用して私に洗脳しようとしたが失敗した。その後、私は同修達と一緒に20日以上断食して抗議したため、乱暴に食べさせられ、40分以上管を差し込まれたこともある。労働教養所の指導員である悪警察楊XXは、常に他の労働教養所に行って迫害手段を学び、帰ると大法弟子に迫害を加えた。普通は夜迫害するが、手段は電気棒で感電させたり、勝手に手錠をかけたり、眠らせず、常に殴ったり蹴ったりした。大法弟子が信仰を堅持すればするほど、彼らは迫害を止めなかった。私が監禁されている時、大法弟子二人が迫害されて気息奄奄となった。彼らは責任を逃れようと家族に知らせて家に帰らせたが、暫く経って亡くなった。これは中隊長である悪警察曽XXと厳管隊の悪警察範XXが指示したのである。
 
現在、法輪大法は迫害されてから4年経っているが、私は3年以上監禁されていた。これはただ私が法輪大法を修煉し、真、善、忍を修煉し、良い人間になろうとしているのが原因である。私は良い人間になる権利、真善忍という宇宙大法を修煉する権利まで奪われた。江氏の邪悪な集団がいかに邪悪であるかが分かると思う。私は煉功してから非常に健康だったが、労働教養所で彼らに迫害されてから極めて虚弱になり、労働教養所の検査によると、私の高血圧症、冠状動脈疾患が重いので、彼らも私を危ない状態であると言った。       
 
2002年末、私は戻ってきてから、悪人達は私を勝手に苦しめなかった。しかし、派出所は二回私の家に来て掻き乱した。私は現在傷口が常に痛んだり、痒くなったり、手足もしびれ、歩く時働く時も不便で、全身もしびれ、視力も悪くなっている。江氏ごろつき集団が法輪大法学習者に対していっている、これこそ「良い教育による転向」である。これは数千万の法輪大法学習者に対する迫害の氷山の一角であるが、江氏の犯罪の事実は数え切れない。