日本明慧


自分が法の勉強から体得したことを語る

文/大陸大法弟子

【明慧ネット8月31日】法の勉強から“体得”したことについて、同修のこの種の文章は非常に多くあります。今ここで話そうとしている私の“体得”は法を勉強する中で歩いて来た自らの体験から生まれたものです。この場で書くことによって、一部の同修のある程度の参考になれればと思います。次元が限られておりますので、妥当でない所は、同修からの指摘をよろしくお願い致します。

一年前のことだと思いますが、私が労働教養所から出て家に戻ったばかりの頃、やっと大法の書物が読めるようになりました。しかし、そこに座って本を読むもののじっと心を静めることが出来ず、労働教養所の中で大法弟子が迫害に遭っている光景が一幕毎に浮かび上がってきたり、看守所の犯人が人を殴っている様子が目の前に現れたりしました・・・。私は気が滅入ってしまって本を置き、どうしてこうなるのか?と詳細に考えてみました。外部から来た邪魔であろうかそれとも自身の業力によるものなのか?後で、私は自分が法を良く学ぼうとするなら、必ず心を平静にして穏やかな態度で法を学ばなければならないことを認識しました。気持ちを落ちつかせ如何なる観念も持たず法を学び、外部から来た邪魔であっても自身の業力であっても、ただ自分の真実の心がそれらに左右されて動かなければ、如何なる邪魔にしても邪魔出来ないはずです。それで、私は毎日法の勉強をする前にまず何分間か心を静めてから始めました。こうして暫くしてからは、法の勉強も深く入って行くことが出来て、いろんな邪魔も少なくなりました。

その後、私は精力を真相の説明と資料管理所の運営のために集中し、毎日すごく忙しくなりました。知らず知らずのうちに仕事をやる気も出てきて、毎日の法の勉強は段々と少なくなりました。毎回同修が私の法の勉強の不足を指摘してくれる度に、自分はまた沢山の理由を探して自分のために弁護したのです:私は今日真相資料を作りに行ったので本を読む時間がなかった;私はXXに資料を送ったので時間に遅れた等。実は、こういう言い訳はいくらでも捜せるし、これらの事が皆法の勉強に影響したという言い方は間違っていました。この点を認識してから、私は一つの常人の方法で自分の法の勉強情況を自己管理することにしました:グラフ用紙を捜してきて、横座標の各項目には1、転法輪 講/日;2、高吟 篇/日;3、北アメリカ巡回説法;4、動功 時間/日;5、静功 時間/日を、 縦座標には月日(X月X日)を記入し、このようにすれば毎日自分の法の勉強と煉功の回数が一目で分かるようになります。もし、自分がある日法の勉強が足りなかったら、何日か後に、時間がある時補います。これは一つの常人の形式ですが、もしかして一部の同修には役に立つかも知れません。私はこのようにして半年間経過しましたが、自己管理方式は確かにある程度の作用を果しました。後になって、私は自分がもう主動的に意識的に法を学ぶことが出来るようになったと感じましたので、もうこの常人のこの方式を使わなくなりました。本当は、自分の心性が良く、法に対しての認識が比較的深ければ、完全にこんな形式等使わなくても、主動的に意識的に法を良く学ぶことが出来ます。このような方法はただ自己抑制力がちょっと弱い同修にもしかして役に立つかも知れません。

暫くして、私の身の回りには沢山の矛盾が出て来て、家族と、或いは妻(同じく修煉者)と心性の摩擦が発生したり、家庭内の雑事の邪魔があったり、その他いくつもの邪魔があったりして、自分の心を静めて法を学ぶことが出来なくなりました。そんな時に私はいつも一人で自分の部屋で大きな声で法を読み、邪魔を取り除き、正念を強化するのです。私は一人で大きな声で法を読むことは特別に良いと感じ、ある時は本当に自分の周りには何もなく、ただ自分の声だけが法を読んでいて、心は非常に静かになり、このように法を学ぶと効果が非常に良いと感じられました。普通の情況でしたら、私は毎日《転法輪》の二講を学び、多い時も有れば、少ない時もあります。法の勉強に当たって本を読むスピードに対し、ゆっくりと主張する同修も多いし、早くしたい同修もありますが、私自身は、法を読むスピードは自分の情況によって決めることであって、文化レベルの高い方が、読書能力も高いから、ちょっと早くしてもかまわないと思います。しかし重要なのは必ず一文字も漏らさずに読まなければなりません。

毎日《転法輪》二講の勉強以外に、もし時間があれば、私はまた適当に先生の後期説法を学びますが、それは必ず毎日《転法輪》の二講を読み終わった後からです。ある時は、外出して読むことがあったり、単調である例えば資料を印刷したり、光ディスクを複製したりする時は、作業をやりながら法を勉強することが出来ます。一種のポータブル電子ブックがありますが、持っている大法の書物の全部を保存しておく事が出来、特に出張の時などに持って行き、途中でも見ることが出来るので、非常に便利です。値段は200元〜300元で、少し高級で性能が多いものは500元前後です。私はいつも電車に乗る時、人との待ち合わせ等、この電子ブックを見ますが、とても便利で、特に大法弟子が使うのに適しています。他にもポータブルミニディスクプレーヤーがありますが、体積が非常に小さく(大体ライターぐらいの大きさ)先生の説法を全部録音可能で、イヤホンで長時間聞くことが出来ます。普通価格は400元〜1000元の間です。

以上は自分が法を学ぶに当たっての少しの体験ですが、もしかして一部の同修に役に立つかも知れません。