日本明慧


母親が非法に監禁されて一年

2003年9月9日 

【明慧ネット9月9日】私は若い大法弟子である。私は99年7月に法を得た。それから僅か三日後より、テレビで大法を攻撃するニュースが流れ始めた。その時私は信じられず、法を得てから僅か三日であったが、本当に “真善忍”の真実な存在を感じていた。また母も変わらず大法を信じていた。 

あっという間に既に四年が経ち、その間に母は拉致され我々と離れ離れになった。母は真相を伝えるために、更に多くの人々が嘘に騙されないように、親戚と人々の軽蔑、嘲笑の中で、やはり大法弟子がすべきことをし、多くの人々が母の善意の解釈によって真相が分かるようになった。人々には分かる面があると私は信じている。彼らも宇宙の中の命だから、善良な本性は心の底に隠れているのである。 

母と一緒に真相を伝える日々、大法が我々に与えた偉大な任務を感受し、一人の大法弟子として本当にこれ以上の光栄はないと思った。 

2002年9月、中秋節の日に、江蘇省の有る市で悪人の密告によって、母は連行された。父はすぐ河南にいる我々に電話で、故郷であったことを教えてくれた。私は大法弟子であり、何をすべきであるかは分かっていた。そこで、私は家にあるあらゆる大法の書物と資料を他へ移動させた。数日後、江蘇省の市公安局の担当者が河南省にやって来て、私の家を捜策した。滅茶苦茶に掻き乱された家を見て、家族もこのようにバラバラにされたように思われ、昔の楽しかったころの笑い声が耳の底に甦ってきて、また、母のやさしい笑顔が頭の中に浮かんできて、私たち強い筈の息子二人は、我慢が出来ず遂に涙が流れてしまった。しかし、私は母のことは心配しなかった。息子である私はずっと大法を信じているからであり、母は修煉の道に入って、きっと耐えることが出来ると思ったからである。 

2002年10月末に私は江蘇省の故郷に帰り、母に会うために労働教養所に行った。多くの人が自分の家族と訪れているのを見た。私は母に会えなかったが、確かに母がいるのを感じることは出来た。母もきっと一番可愛がっている息子が遠いところから、会社を首にされる危険を冒して会いに来てくれたのが分かったのだろう。息子は今本当に母を思った。

私も兄も母の一日も早い帰宅を希望していた。その間に祖母が亡くなった。一番辛かったのは父であった。以前、父は母が煉功することに反対して、時には母を殴ったこともあった。母が捕えられてから、父はなんとなく分かってきたようでそんなに文句を言わなかった。母のために父は沢山のことをした。自分が悲しいのを我慢して、何でもないふりをしているのに、家族は皆感心していた。……私は父が本当に年を取ったと心が痛んだ! 

拘禁所は母に会うことを許さなかった。母が重点対象と看做されて、誰も絶対に会えないのだと言われた!私は叔父と一緒に母に服を持って行ったが、彼らはボタン等を取り除いた。食べ物すらあげられなかった。仕方がないので、数個の素麺を買うしかなく、私の幼名を書いて置いた。心の中で母に言った:「お母さん息子が会いにきましたよ。私たちは皆元気でいるから、心配しないでください…… 。」

母と一緒に監禁されている人の家族の話によると:「立華さん(母の化名)は毎日殴られ、酷いのは袋を被せられて殴られる時である。夜中でも悲惨な叫び声が聞こる。・・・」私は本当に悲しかった。何時、拘禁所の悪警の悪行は徹底的に暴き出されるのか。善良な多くの人々が迫害されている事実を、また多くの人々がそのうち知るようになるであろう。私の母は信念が堅く、絶対に屈服しないのが私には分かっている。