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99年7月22日大法弟子が北京豊台スタジアムで集団で大法を守った

[明慧ネット8月22日]最近明慧ネットで、大法弟子全体が協力し全体的に向上することの重要性について述べている同修がいましたが、私は深く感動し、認識も改まりました。同時に、99年7月22日全国各地の大法弟子が北京へ陳情に行き、北京豊台スタジアムで集団で大法を守った壮観な場面を思い出しました。同修達の参考になればと思い、ここに記します。

99年7月20日邪悪な勢力は気が狂ったかのように大法を迫害し始めた時、私は数人の大法弟子と一緒に邪悪の阻止を突き破って、22日の朝8時ごろ北京に到着しました。その時、天安門の東側から中南海の西側まで警察が検問所に立っており、陳情するために北京へ来た大法弟子を不法に捕えていました。東西の長安街と広場には大法弟子が特に多く、お互いに面識はありませんが、大法弟子は目で話し、誰が大法弟子か見るだけで分かりました。まるで師父が「転法輪」でおっしゃったように「覚者たちが出会うと、互いににこりと笑うだけですべて分かり合えます。」我々は大法の中で修煉しているため、互いに心が通じ合い、師父の大法が我々を結び付けてくれているのです。北京の天気は非常に暑くて、天安門の東側に行った時地面が少し揺らいでいるように感じました。中南海をたち、西に向って警戒を越えましたが、私は持っていたお金が少なく、切符代が足りないため、一段の道のりを歩かなければなりませんでした。喉が乾いても水も買えず我慢するしかありません。ご飯は言うまでもなく、実はお腹が空いてたまりませんでした。私は夜まで我慢して家に帰ろうと思いました。このように思って再び東に向かって行くと、最初の検問所で警察に阻止されました。どこから来て、どこへ行くのかと聞かれました。そこには十名ぐらいの同修がいました。やがて警察は我々沢山の同修を大きなバスに乗せて、朝陽区に運んで行きました。車は沢山ありましたが、どの車もずっとエンジンを掛けたままでした。車の中で大法弟子は警察に洪法し、自分の修煉体験や、大法は人を善良に導くなどと話しました。一部の同修は法の勉強体験で意見交換し、また邪悪がどんなに気が狂っても師父を堅く信じ、大法を堅く信じるよう互いに励まし合いました。或る同修は声を揃えて師父の経文を絶えず暗誦し、或る同修は互いに住所を教え、今後の真相を伝えるために備えました。このような雰囲気で皆は慈悲深く和やかでした。同修達が大法と師父を非常に堅く信じているのを見て、私は深く感動し、その中にすっかり融け込んで、まるで法会に参加したかのように感じられました。最後に夜になって我々は北京豊台スタジアムに運ばれました。警察は捕えて来た大法弟子を全部ここに集めました。大法弟子を運ぶ車が来る度に、皆は拍手で励まし合いました。警察はスタジアムに関外から来た大法弟子を集めて片側に座らせ(約1千人)、関内から来た大法弟子を北側に座らせました。段々暗くなり、星まで見えて来ました。8時ごろ、ある関外から来た女性大法弟子が立ち上がって:「今日、我々は北京の中央人民政府に、法輪大法は正法だと説明するために来ました!……一緒に声を揃えて、師父の「論語」を暗誦しましょう。」と言いました。「「佛法」はこの上なく奥深いものであり、世のあらゆる学説中、最も玄妙かつ超常的な科学です。……」声は天地を揺るがしました。警察は驚きのあまりに呆然として、どうしたらよいか分からないようでした。1千人以上の人が急に声を揃えられるのは、大法弟子にしかできません。このことは常人には想像できないことで、常人は練習しなければなりません。当時、スタジアムでは高音量でスピーカーから大法を酷く攻撃する放送をしていましたが、暗誦する声でスピーカーからの声は聞こえなくなってしまいました。この時、空から沢山の法輪が降りて来ました。法輪は皆小さい法輪で、白く光っていました。私が昔見た法輪も皆白いもので、昼でも非常に眩しい程でした。法輪はさまざまに移動し、時には数輪の法輪が一緒に横方向に、しかも波のように起伏しました。一部の法輪は螺旋状に降りて来て、地面で消えてしまいました。法輪が降りて来たところは我々からあまり遠くありませんでした。そこにいる人々はこの素晴しい光景を皆目の当たりにしました。これは師父が佛法の真実を我々に明示し、勇猛邁進するよう我々を励ましてくださっているのだと私は思いました。大法弟子達は絶えず拍手し、私は何時の間にか両手を合掌し、目には涙が溢れて来て、師父!師父!と叫んでいました。当時の気持ちは言葉で表現する事は出来ません。法輪が現れたのは数分間でした。その後でも、その光景が思い出されると思わず涙はこぼれてしまい、私はその時を永遠に忘れません、その時から私は大法弟子全体のエネルギーの威力は比べるものがないということを認識しました。現在、大法弟子が個人と個人との間で融合できないで、争い合うと、必ず大法弟子の全体の力に影響をもたらします。その根本的原因はなんでしょうか?師父は我々に「無私無我かつ他人を先に自分は後にするという正覚まで修煉しなければなりません」(「佛性に漏れ無し」)と教えてくれましたが、それでは我々が取り除くべきものは自分のため私のためではないでしょうか?それは人間の根本的な執着であり、人間を構成する基本的要素でもあります。それこそ同修達が力を合わせるのを妨害しており、旧勢力もそれを利用して我々の隙に付け入るのです。我々は「あなたの問題か、私の問題か」を明確にするために無駄にする時間はこれ以上ありません。師父は:「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです。」(「2002年ワシントンDC法会での説法」)と教えてくれましたので、大法弟子には傍観者はいません。絶えず個人を浄化して、自分のために私のためにという考え方を取り除きましょう。私があれば善がなくなり、私がなくなることこそ真の善です。洪大な慈悲と寛容で同修にやさしく対処し、内に向かって原因を探し、他人がどうやるかに執着せず、本当に認識すると、それも境地の体現です。大法弟子が完全に融合すると、邪悪は存在できないでしょう。師父の法を正す経過に歩調をあわせ、三つのことを真面目に行い、大法粒子の作用を発揮し、衆生のために責任を持ちましょう。自分の次元に限りがあり、北京豊台スタジアムで大法弟子が集団で大法を守った壮観な場面を正確に体現することは出来ませんが、ご了解ください。個人の認識ですので、不当なところがあれば慈悲なご指摘をお願いします。