日本明慧


テレビ局の取材を受ける学習者への一提案

文/王静

【明慧ネット9月9日】

明慧ネット編集部 殿

いくつかの問題について、お話ししたいと思います。アジア自由テレビの番組である“民衆の声”は、国内の一般人に自由に発言できる場を提供し、多くの学習者もその場において真相を説明し、一部の学習者は人権という見地でとても上手く話をしていました。一方では、注意すべき点も有ると思います。それは、ある学習者の話は、余りにもレベルが高く、一般の人が理解し難いと言うことです。真相を説明することは素晴らしいことで、偉大なことです。しかし、高い次元の話を言い過ぎてしまうと、理解してもらうことは出来なくなり、かえって、大法と学習者に対する誤解を生じさせる結果となるやも知れません。

ここ数日聴いていますと、番組の司会者にまで誤解が生じていました。ある学習者が、「人が煉功しているのを見ると、自分も煉功したくなるものです。法輪功は佛法ですから…」といった発言をすると、司会者はその言葉を捉え、「法輪功は佛法であるとおっしゃっていますが、と言うことは、お釈迦様とも関係があるのですね?」と尋ねます。学習者は「関係はありません」と回答します。続けて、学習者が、薬を飲むか飲まないという問題、業力の消去などについて述べ、煉功者は業力を消去するといったことまで話します。司会者は理解することができず、「世界中の人々が、法輪功をやれば薬が必要ではなくなるのですか?」と尋ねます。学習者は、悟りが良くない等の話しをしますが、結局はハッキリと説明できず、司会者は「病気が良くならないということは、全て悟りが良くないということですか?」と尋ねます。この数日間で、また一人の学習者が、法輪功は佛法だと話しています。司会者は、また煉功して病気を治す問題について質問し、学習者は、「ある寝たきりの病人が、余命わずかであると思い、一心に法を学び、心中の全ての執着を放棄しました。すると、徐々に立ち上がれるようになり、歩けるようになって、病院へ行き検査を受けたところ腫瘍が消えていました」という例を挙げて説明しました。すると、司会者は「法輪功を習って、病気が良くならない人は、みな心が誠実ではないのですか?」と尋ねました。学習者の説明不足によって、司会者は最後まで理解することができませんでした。学習者が、さらに補足説明しようとすると、司会者は「すみません。もう時間です」と、迷惑そうに答えていました。

これらの事から、真相の説明は、心から人々のためを考え、行き当たりばったりではいけないということを十分に感じさせてくれます。わたしたちが、常人の理を少しでも越えてしまえば、受け入れてはもらえません。理にかなっていないと思われ、さらに、佛神について説明するならば、宗教や迷信であるという当て推量をされてしまいかねません。特に、アジア自由テレビは、全国に広がっており、様々な聴衆がいます。中には電話をかけて大法を非難する人もおり、とても聴き難いことを言っています。ある人は半信半疑で、ある人は、直接学習者にいくつかの問題を提出します。少しでも高い次元について説明したところで、理解してもらえなかったならば、ゆっくりと説明する必要があります。テレビ番組の中で、佛、神、業力の消去などを述べることは、現代の無神論的社会に適してはいないと思います。わたしたちは、師の教え通りに行わなければならず、余り高い話をすべきではないと思います。多くの学習者の人権や信仰の自由への訴え、迫害の状況などに関しては、司会者と多くの聴衆は、受け入れていると思います。いずれにせよ、この問題の影響は大きく、学習者は皆注意すべきであると思います。もし可能で有れば、事前に自分の話したいことを文章に書いて、自ら神を信じない人々が、その話に理解を示すことが出来るかどうか、ということを自身へ問うてみるということを提案します。こうすることが、衆生や大法に対する一つの責任の現れではないかと思います。また、司会者の不意の質問に、満足な回答を出せないということも、無くなるのではないかと思います。

わたし個人が、必ずしも良く回答できるとは限りませんが、このように回答してはどうかと思います。

「法輪功は心性の修煉だと言い、現代医学も、多くの疾病は、正しくない心理、精神状態が、もたらしたと見ています。例えば、喫煙、飲酒、怒り、歓喜、恐怖、金銭、利益、家族への情などの執着の加重によって、食欲不足や不眠など各種の病気が現れます。しかし、法輪功は修行を積み、これらの執着を取り除くことにより、自ら落ち着き、緊張した神経を和らげます。座禅を組めば自ら調節する中で心身共に健康になります」。このように、比較的分かりやすい段階から説明するならば、もしかすると理解しやすいではないでしょうか。もし、以上の説明にもかかわらず、司会者が理解できなかったら、一人一人の自己調節能力の違いなどにより、その健康状況も異なりますと、話してみます。「ある人は、たばこを吸う、酒を飲む、怒るなどの習慣により、治りが遅いのです。ゆっくりと良くなっていきます。ある人は、本来多くの病気を持っていないため、治りも速いのです。また、毎日の煉功を加えれば更に良くなります」。このような説明であれば、少なくとも、大法を宗教や迷信といった誤解はしないと思います。せめて運動による鍛錬という程度には、認識してくれると思います。もし、数日間本を読むことで、病気が治るなどと言ってしまったら、人はそれを理解することができるでしょうか?わたしは、「本を読むだけで病気が良くなるなんて、私は信じません」という意見を聞いたことがあります。人々が理解できる漢方や西洋医学の理論を持って、説明すれば、受け入れてもらえるのではないかと思います。

また、テレビ局の取材をしばしば受ける学習者には、修煉と大法を実証することに影響の無い程度に、自分の学識と教養を高めることを提案します。西洋社会の自由と人権思想、中国のここ数十年間の歴史、西洋社会の宗教、文化、正見ネットが掲載している西洋科学の超常現象に対する研究、明慧ネットの比較的良い評論などで理解を深めると同時に、いかにテレビ局の限られた時間内に、的を射た話をし、聴衆の耳を傾けることができるかどうか、ということを十分考慮すべきではないかと思います。取材を受ける前にリハーサルを行うことを是非勧めます。これは、大法と衆生に対しての責任であると思います。言うまでもありませんが、最も重要なことは、法の勉強と正念の堅持と思います。法は全ての知恵を与えてくれ、師の法身は行うべき全てのものを按配してくれることと思います。

「アジア自由テレビ」の番組を聴いて、以下のような質問が提出されましたので、ご解答頂きたく願います。

1.衛星放送ジャック事件後のある人の質問:法輪功はどうして、いつも政治を回避しますか?もし、政治的立場に立っていれば、より多くの民衆が支持すると思いますが。

司会者曰く:法輪功の人に、この質問に回答してもらわなければなりませんね。

2.学習者への質問:大陸のある権力者は、法輪功学習者を批判している中で、王進東の両足の間にあったガソリン瓶に言及すると、燃焼工学の歪んだ理屈ではぐらかし、話を上手く繕ったと言っていましたが、その人の解答をお願いします。

3.大法のウェブサイトを見たいけれどURLが分からないと言っている人もいます。

ある学習者は、真相を説明する時の口調が良くなく、悪口を言う人に会うと、その語気はまるで戦わんばかりの様相です。このようなことは、人に反感を持たせると思います。無数の耳が、一つ一つの言葉を聞いているものです。矛盾に会った時、常人の気持ちに動かされることは、真相説明に良いこと何一つなく、世の人々を救い済度する機会を逃すことにもなりかねないと思います。大法の弟子であるならば、常に大法をもって、自分の心性をしっかりと守り、冷静な心境を保たなければならないと思います。また、ある人は江沢民政権のデマを信じて、法輪功はどうして焼身自殺をするのか、「4.25で政府を包囲攻撃した」と「毒を投げるのか」という辛辣な質問をしました。今、この番組はすでに正と邪と戦いの場となっています。ですから、話をしたいこと、国際情勢の中での大法と江沢民氏告訴などについて、十分記述整理した上で、話して下さることを望んでおります。

師父は《2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説》の中で、「皆さんに教えますが、皆さんは必ず理性的に行わなければなりません。真相を伝える中で、人間の理を少しでも越えてしまったら、人間はそれを受け入れることができません。ですから、真相を伝える時、高いレベルのことを決して話してはいけません。皆さんが知っていることは皆神が知るべきことであり、私が皆さんに教えたことであり、世の人に教えたことではありません。ですから、それらのことを常人に話してはいけません。皆さんに言えるのは、私たちが受けた迫害と私たちの本当の情況であり、私たちが良い人であるのに無実に迫害されており、信仰の自由と人権が踏みにじられているということです。これは世の人々が受け入れられることであり、すぐ私たちを支持し同情を寄せてくれます。これで既に十分ではありませんか? なぜどうしても相手に高い次元の理を分からせなければならないのでしょうか? これらのことを知っていれば、世の人々はすぐに法輪功が迫害されており、しかも迫害の加害者がそこまで邪悪であると言い、あちこちで言うのです。これで十分ではありませんか? もちろんあなたはその人に大法弟子になって欲しいのですが、現在それは非常に難しいのです。旧勢力はこれを阻害しているからです。特殊な人は師父が見守ってあげますが、本人にこの心がなく、旧勢力もこれを止めています。私たちの最も大事な任務は彼らに真相を知らせることです。特別に良い人に会うこともでき、いくらレベルの高い話をしても受け容れられるので、どんどん話していいのです。これは大丈夫です。このような人なら話しても問題はありません。しかし、特に政府機関の官僚たちにレベルの高い話をしたら、彼らが政治の仕事をしている人間で、頭は政治のことでいっぱいなので、全く信じないのです。これで彼を救うことにならなかったどころか、更に彼を突き落とすことになるのではありませんか? そうではありませんか?」

《大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説》の中で、師父はまた下記のように話されました。「法を正す時期の修煉と法の証明が大法弟子のことであり、他の人にそれに参与する資格がないと旧勢力は思っています。こういう情況下で、世の人々は大法の法理と法そのものの神聖さをなかなか認識することができません。しかし、人間、現在の人類に人権や信仰の自由に対する踏みにじりを話せば、これらのことを彼らが認識することができます。ですから、真相を伝える中で、皆さんもこの方面から話せば、世の人々はそれを理解することができ、支持してくれるはずです。その人に正義と善なる一面があり、済度される可能性がまだあれば、支持してくれます。ですから、次元の高い話をすればかえって効果は良くありません。今法を得たら、その人は大法弟子になりますが、真相を伝える中ですぐに常人を大法弟子にするのは功を焦ることです。如何なる人でも、真相を伝える時に次元の高い話をしたら、理性を失って破壊の作用をすることになります。忠告を聞かず、あまりに執着していれば、やっている悪いことは更にひどくなり、魔に利用されてしまうのです。もし本当にこのことにおいて罪を犯したら、魔はあなたを落としてしまうかもしれません。」

今後、更に世の人々の理解と受け入れられる角度から、真相を説明するためにも、法に対照し、自分の中の原因を探すべきであると思います。

以上は個人のあくまでも認識であり、皆様ご指摘の程どうぞよろしくお願い致します。


【編者後記】この手紙は、幾つかの基本的な問題——大法の弟子として真相説明をどのように行うべきか、どのようにどんな心理状態で説明すべきかということを表しています。わたしたち一人一人の学習者は、必ず良く修煉を積まなければなりません。師父の法の中には、全ての指導があり、多く学ぶべきであり、修得し、心に刻みつけるべきです。

多少経験が不足している学習者は、「私はどこそこで真相の説明をしました」と思うかもしれません。しかし、往々にして、話すことの客観的効果に対しての考慮が欠けています。時には緊張により自分の言いたいことだけで終わり、相手の感銘の度合い、興味の方向と受け入れ能力などを考慮していません。時には、説明が順調でないとその場の雰囲気にさえ影響が出てきます。ひたすら心をもって、良く行うことこそ、衆生に対する責任であり、自分に対しての責任でもあり、大法に対しての責任でもあります。ただ自分が良いと思うだけでは充分ではありません。

わたしたちは問題の発生に十分注意しましょう。「事をもって人に当たらない」ようにしましょう。共に経験し、教訓を吸収し、これらのことに注意しなければなりません。異なる聴衆、読者を加味した上で、慎重に内容を選択し、言葉遣いや表現方法の問題、文章の署名(多くの学習者はペンネームを使いたがっていますが、一旦文章が発表されれば学習者だけでなく、社会にも向かうことになります。もし、一般的な名称であれば、読者は親近感を感じることになるでしょう)等についても配慮しなければなりません。これらの方面で心を込めてよく行うことは、社会に符合して修煉することでもあり、世の人々に対する慈悲と善念の一つの現れとなるのではないでしょうか。