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天津法輪功学習者王憶は不当逮捕され、虐殺された

【明慧ネット9月12日】王憶、男、天津法輪功学習者、法輪功のために2002年1月24日天安門広場で請願活動を行った後、天津南開公安局に監禁された。その一週間後、1月31日に死亡。家族の記憶によると、当時王憶は全身傷だらけなっており、死体の撮影も公安局に禁止された。しかも、公安局の厳重な監視の下で強制的に火葬された。

2002年1月24日、王憶は天安門広場に行き、煉瓦で地面に「法輪大法が良い」と書いた。その直後直ちに逮捕され、天津に戻された。27日の午前、王の娘が南開公安局で父と面会が出来た。娘の記憶によると、当時父はチョッキを着ており、手枷と足枷がかかっていたが、精神状況はまだ良かった。数日後の31日突然家族に死亡通知書が届いた。死亡原因は心臓病という事だった。

2月1日、家族は十数名の警察官に監視され病院までやってきた。死体をみたいと家族が要望を出すと、警察側は二つの条件を提出した。一つ目は、二つのグループに分かれて死者をみること。二つ目は、死者を見ても泣いてはいけない。と言うものだった。

家族が霊安室で見た王は以下のような情景であった。王は新しいシャツとズボン(死者の物ではない)を着ており、首のところに傷跡があり、シャツをはがすと、左側の肋骨に親指ぐらい大きさの内出血の跡があった。驚いた家族ははさみを持ってきて王の服を切り開いた。するとさらに驚いたことに、腋の下、胸や首、後ろを観ると尻、腰から首まで青い紫色の内出血の傷跡だらけとなっていた。また同時に両腕と両足にも広範囲な傷跡が残っていた。これを見て、家族は写真を撮った。すると、数名の警察官が取り囲みカメラを出せと強要した。カメラを出さないと皆を拘置すると言った。仕方なく、家族がカメラを出すと、警察はすぐさまネガを感光させた。

「正常死亡なら、何故写真を取っていけないのか?該当する法律を見せてくれ」と家族は要求した。「該当する法律があるかどうかは知らない、われわれはただ任務を執行しているだけだ」と警察官は答えた。

3月に百名以上の警察官が監視する中で王の遺体は火葬された。今でも、王の80歳になる両親は息子の無くなったことを知らない。毎日涙の中生活を送っている。

王は虐殺された第6番目の天津法輪功学習者である。