日本明慧


全面的な試練から抜け出す(二)

【明慧ネット9月5日】鄭毅堅は北方地区のある大学の卒業生で、本来の勤務先で優秀で前途有為の青年エンジニアだった:眼鏡をかけ、穏やかな語調で、常に微笑みをたたえ、剛毅でまた気品のある人だった。
 
彼は恐れる心が無く、邪悪の迫害を阻止すると共に、師父の要求に従い“厚徳を具え其の心を善にし,大志を懐き而して小節に拘わる”(《聖者》)になるよう努力した。大法の証明と生活の中での細かいところも、彼は修煉の異なる方面と認識し、大法の基準に従い自分に対して緻密且つ厳しい要求を出した。鄭毅堅の心性修煉は以下の方面から見られる:正法修煉は決して“恐れる心”を取除くだけではない。邪悪の恐怖の中、恐れる心を取除くのは勿論最重要で、最も基本的なことであるが、只恐れる心を除くだけでは足りない。未来の宇宙の安全に関わる未来宇宙の保護者として、必ず全面的にもれなく自分を修煉するべきで、これは大法修煉者に対する要求である。

一、 大善の心を修める

(1) 悪を働く人に対する最大限の善:鄭毅堅は自分を迫害する人であっても悪に悪で返してはならない。最大限真相を伝え、人心を救うべきだと考えた。ある学習者は残酷な迫害の中警察と犯人に対して常に怒りっぱなしだった。彼はまるで常に“怒る金剛”だった。彼を殴った警察と犯人の話をすると恨む一方だった;彼は“厳しく管理する”対象だったので、鄭毅堅は彼に接触することができなかった。然し何回か他の修煉者を通してこう伝えた:心の状態を調整して、自分に悪を働いた常人であっても、救える人は救うべきで、最大限善を尽くし、怒ったり、憎んだりする心を無くすべきで、警察を操るのはその背後にある邪悪な要素であるからと。その学習者もそれを聞いて理に叶っていると思った。然し常人の心が多く、心の状態をうまく把握できなかった;そして最終的に、長期にわたる極端な苦しみの中で弱くなるとき、彼は圧力の前に屈服した。そして直ちに他の大法修煉者を洗脳するユダとなった。鄭毅堅は終始正念で迫害に対し、迫害の背後の邪悪要素を大量に取除き、人に対してはなるべく善意で寛容であった。幾ら厳しい形勢であっても彼の顔には善意の微笑みが浮かんでいた。従って彼を迫害した多くの警察、特に犯人達は彼をとても尊敬し、一部の“暴力団のリーダ”、ひいては一部の警察は鄭毅堅を御兄さんと呼ぶようになった。各隊の犯人はみな彼の名を知っており、彼を“本当の大法修煉者”と呼んだ。

(2) 常人に対する善:各労働教養隊の中で、鄭毅堅は犯人に対しても大きな善の心で尽くした。一部のよく殴打される犯人の中でも弱い者はよく鄭毅堅の周りを取り囲んでいた。そして鄭毅堅が語る善と悪の因縁関係、及び彼が法の勉強の中で学んだ簡単な法理について聞いた。鄭毅堅は語調が極めて穏やかで優しかった。物質生活方面では彼は厳しく自分に要求し、極めて少ない生活用品を常人に譲った。例えば2000年初夏、今まで一度も無かったような“改善”が行われ、朝各々に茶碗一杯の豆乳が配られた。みなに配った後、まだ余分があり、警察は足りない人は自分で盛るよう言った;数人の大法弟子も取りに行った。鄭毅堅は頭を横に振りながら、呟いた:“貴方が一口多く飲むと、常人は一口少なく飲むことになるよ”と。ほかの大法修煉者も悟り、誰一人として豆乳を取りに行かなかった。犯人たちは十分に食べ、大法と大法修煉者に対してより深く理解し、尊敬した。
連年の獄中生活で、物資が極めて乏しい特殊な環境の中で、誰も鄭毅堅がおかずを捨てたり、自分におかずを余計に加えたりするところを見たことがなかった。彼に与えられたご飯の量が多くても少なくても、全部食べ、その後水道の水を茶碗に半分くらいもらい飲んだ。それ以後彼がまた水を飲むところを誰一人見たことがない。寒い冬の旧暦の12月、食事が終わってお腹が温かいのに、また冷たい水を飲むのを見て、多くの常人が彼に聞いた:“お腹は大丈夫ですか?”彼らはみな好意的だった。彼らにはこの厳しい修煉の中で金剛不壊の体に対応する彼の偉大な境地が理解できなかった。労働教養所で、お湯を飲もうとすると、まず魔法瓶を買うことを見積もり、僅かな決まった僅かな時間の中で、どうやってその少ないお湯を手に入れるかの問題もある。鄭毅堅から見ると、これらはまさに僧侶が托鉢用の茶碗に執着するのと変わりがなかった。彼は常にこんな話をする:生活は簡単になればなるほどよいと。

あれらのリーダたちは犯人の中の弱いものに対して大いにピンはねをする。そうしないと大立ち回りをする;一番腹黒いのは隊長で、数千元、数千元ずつゆする。インスタントラーメンとか、洗濯機用の洗剤さえも自分で買わない。当然、洗濯とご飯つくりは自分でやらないし、食事の後はマッサージをする人がいる。誰が正しく、誰がよこしまであるか一目瞭然である。かつて大法修煉者の迫害に参与した一人の犯人は、釈放される前に勇敢にこんな質問をした:“法輪功はテレビで放送していることと違う。法輪功の人はどうしてみな非常に良い人なのか?私はここを出たら法輪功の本を探して読んでみる。”と。

(3) 間違った道を歩く同修に対する善:常人の闘争心を残さず、よこしまな悟りをした人でも善の心で対応する。法理が分かるように説明することによって、初めて根本的に道を間違った学習者を元の道に取り戻せるのである。一人の学習者が“懺悔書、保証書、決別声明”を書いて、また自らよこしまな悟りをしてしまった。堅固な同修はよくこのような人に対して軽蔑して相手にしないし、またよく怒る。これはまさに道を間違った人を更に反対側に押し込むことになる。例えば2000年年末から2001年初め労働教養所での“強制的に後悔させる”と“後悔に反対する”の 闘争は二つの激流のように激烈だった。堅固な者はもっと堅固になった。しかし同時にさまざまな奇怪な屁理屈も現われた。人々を誘惑して意識がはっきりしない中でよこしまな悟りをし、大法を裏切った。それらの裏切り者らの詭弁を聞くと確かに非常に“頭にくる”。
 
2001年1月一人の堅固な大法修煉者が第四中隊(強いられて不本意に大法を放棄した人らを非合法に監禁していた)に移されて行った。そこに行くと彼は自分がさまざまなよこしまな思想の中に落とされたことに気づいた。彼は昔の同修が一人一人泥沼の中に落ちているのに、自分では正しいと思う様子をみて、叱責したり、非難して攻撃したり……こうして一ヶ月後、彼は確かに揺ぎ無かったが、彼と接触した法に背き離れた人たちは一人も法理が明白にならず、ただ彼自身が疲れただけだった。実際、これらの回り道をした人の中にもそれぞれがとても複雑で、異なる人には異なる挽回方法を採用すべきである。鄭毅堅はこの点によく注意を払った;例えば2001年1月鄭毅堅の洗脳に派遣されてきた人が第四中隊に戻った後、ほかの人に告げた。鄭毅堅が如何にゆっくりと道理を説明したかを。堅固な大法修煉者の態度は彼に影響を与えた。この学習者はその後まもなく正しい道に戻り;4、5ヵ月後、釈放された。彼はまた大法を証明する活動を行い、また迫害を受け、この労働教養所に連行されて来た;しかし今回、彼は邪悪に妥協しなかった。考えてみよう。もしあらゆる大法修煉者が十分な善の心がなく、彼を裏切り者と非難するとしたら、彼にその後の転換があったのか?

“一人の大法の弟子として、偉大な慈悲者として、人類のどんな環境においても最も素晴らしく、最も慈悲であり、生命にとって有益なのです。”(《李洪志先生の北アメリカ五大湖地区交流会における説法》)善念をもって、衆生を救い済度して大法を証明するのを目的として、厳しく自分の各方面での言行を抑制し最終的に到達することが出来る。“大法弟子が善念をもって行なった全ては、世人を感動させ、各次元の生命を感動させました。それに対して、中国大陸に現れた邪悪は各次元の生命を激怒させたのです。これらの邪悪と私達の善は鮮烈な対比をなしています”(《2001年カナダ法輪大法交流会における説法》)逆にあれらの歯ぎしりをする状態は見た目には決意が固く勇猛だが、実際は人間の心であり、邪悪の攻撃に耐え切れないのだ。もし放任するとほかでもなく魔性であり、なおさら危険だ;“修煉者が修めることによって魔性を取り除かなければ、功が大きく乱れて得られず、或いは魔道に入ります。”(精進要旨《佛性と魔性》)