日本明慧


自分の二本足で立つ

【明慧ネット】これは、過去六ヶ月の大法修煉で私の人生に起きた変化の回想報告である。まず私の経歴と、法輪功に出逢う前の私がどんなであったかから話したい。

貧困の中に生まれ、病気がちであった私は、これが運命なのだと信じていた。十歳の時に、癲癇性発作を持つと言われ、それが私の継続的失神や偏頭痛の原因であると言われた。バリウム治療が私の長期に渡る、次々と変わる薬物治療の始まりであった。学力の欠乏、自閉的傾向と早くからの重症の欝は、全て無視されて来た。食物をうまく噛むことが出来ないことは、三十歳を過ぎるまで診断されることがなかった。その後顎の痛みがあまりにひどくなり、ついに二度の整形手術をよぎなくされた。

最近になって私は、子供時代から長期に渡って続いている、もう一つの症状を詳しく調べ始めた。私は睡眠中うまく呼吸が出来ず、日中は鼻でうまく呼吸ができないでいた。これは後程中程度ないし重度の睡眠中の呼吸困難と隔膜のズレがあると診断された。手術でズレは直され、夜は呼吸を助ける機械を与えられた。これらとその他の問題に更に加えて、私は踝以下の足の負傷に日々挑戦されており、それが私の行動の範囲を厳しく制限した。
医療機器とサプルメントと薬に頼るのが、私の生き方であった。多くの社会的な接触は尽きてしまい、八年以上もフルタイムの仕事に着いていなかった。孤立し、脆弱な感じを持ち、非常に不健康な状態で生活をしていることを発見した。医療施設とその維持制度を振り返って見る機会を持ち、それらが今私の助けとなり、そして妨げとなっているように見えた。人生のあまりに多くの答の得られない問題に、私は疲れていた。痛みを感じることなく自分の二本足で立つことが、はるか遠いことのように思えた。

この頃の私のもう一つの情況の例は、私のアパートが私以上に病的であったことである。去年三度、その前四年間にも何度も洪水に遭ったことは、安い家賃を諦めてもっとましな処へ移ることを考えさせた。医者や友人(?)の支持があって、ついに私は求めていた、新しいアパートと変化を見つける最初の一歩を踏み出す決心をした。週毎に来る広告で新しい場所を探している時に、私は無料の気功指導の広告を見た。これがきっかけで法輪大法学習者に連絡をとることになった。次の2日間は朝煉功場へ行って、五通りの動作を習った。3日目には九日間のセミナーに参加する機会をもった。求めていた変化が来た。それも大きなものであった。

大法と接触をもったこれら最初の日々を通じて、私は法輪大法と縁があると信じるに到った。師父が「もちろん我々は縁を重んじます」(転法輪、第二講) と行った通りである。私は記憶している限り、いつも自分の家へ帰る路を見つけようとしていた。自分がこの世に居りながら、ここに属していない感覚が私の人生を形造っていた。転法輪五ページの「返本帰真することこそ、人間としての本当の目的です。」を読んだ時、私は何か新しい偉大なものに出逢ったことを知った。

乏しい健康と欝に苦しみながらも、私はこの初めの頃の煉功を自分に続けさせた。うまく歩くことさえ出来なかったが、自分が修煉者となるだろうことが分かっていた。それから転法輪第四講「修煉できるかできないかということは、本人が忍耐することができるかどうか、代償を支払うことができるかどうか、苦しみに耐えられるかどうかによって決まります。」(業力の転化) を読んだ。私は業力を返済しているのだと理解した。法輪功の学習は私の前途を変え、私を身心の健康へと導いて行った。

私は身体障害者ではなく、試練の形で業力に立ち向かっているだけであると決定し、次の三ヶ月間は、毎朝目覚まし時計無しに四時に起き、十マイル離れた煉功場へと自然に足が向くようだった。他の学習者と交流する機会を持つことは、私の修煉の助けとなった。野外の煉功場で彼らと共に居ると、五通りの動作を全部終えることが、より可能であることを発見した。私はもう自分を治療してくれる人を探してはいなかった。修煉を成功させる為のやりくりと調整は、すでに始まっていた。法を認識し、心性を高めることによって自分を向上させるのは、私次第であることが分かった。

この新しい路を歩き出して、私は毎日のように法の認識の重要さを発見している。「他の空間では何でも浄めてあげなければなりません。家庭の環境まで浄めなければなりません。環境を浄めてあげなければ、さまざまなものに妨げられることになり、あなたはどうやって修煉できるでしょうか?」(転法輪第六講、心を正しくもつべし) を思い起こした。これと「昔から修煉は不二法門と言います」(転法輪) は私に当てはまることが分かった。

これらの概念が私の意識の中に根付く期間を与えながらも、私は自分のアパートを掃除し、過去九年間の霊的な路から切り離し始めた。三ヶ月間の日々の煉功と大法の勉強の後、ペンキを塗り直し、新しいカーペットを敷いた古いアパートに入ると見えるものは、法輪図形を輝かせている大法のポスターだけであった。大法を得る前の過ぎ去った生活の名残りは、殆んど消えてしまった。複数の霊的な追求のごたごたが、私の生活の路を塞ぐことはもうなかった。洪水の様な変化が、私の古い教師と自分でなったグルを、洗い流してしまった。彼らの本や作品は何処にも見当たらなかった。私は実際橋を燃やしてしまったのだ。このすぐ後、私はより多くの人が私を眺めており、私と連絡を取ろうとしているのに気付いた。そしておもしろい事が起り始めた。三ヶ月前、1720年代の家で、短期の世話人としての仕事を見つけた。又、1998年10月にトロントでの5日間の法の勉強に行く機会をもった。トロントに居る間、幸運にも私は多くの時間を同修と共に過ごし、彼らの体験を聞くことが出来た。彼らが私と同じ様に法を更に理解しようと努めているのを見て感動し、ボストンに帰ったら同修と共に法の勉強をすることに、もっと時間を使いたいと思った。来たくするやいなや、私はニューヨークへ向かって再び発った。セントラル・パークと国連の前でのグループ活動に参加する為であった。師父に思いがけなく出逢ったのはそこであった。

医療関係者は皆、私の新しい変化に驚いたが、確信していた。一人の医者は私の経過を長い間追っていたが、今は法輪功が私を二本足の上に立ち直らせるのに貢献したと結論した。その当時身体検査に行った時、医者の助手の一人と私は、私の進歩に涙を流して感動した。

過去二ヶ月程の間、私は自分の幸運さをじっと感じ取っていた。法輪功を始めて六ヶ月になるが、立って自分を支える力は驚くほど進歩した。そして私はもう薬を飲んでいない。法の認識の向上を通して、真の修煉の旅路は始まった。修煉を続けながら私は自分に言い聞かせる: これからは登り坂を行くのみであると。