日本明慧


融融ちゃんの明日のためにも江沢民氏を告訴する

2003年9月25日 文/暁慈 

【明慧ネット2003年9月25日】融融ちゃんは、1999年11月生まれで、まもなく4才になる、愛らしく真ん丸とした顔と生き生きとした目をした女の子です。この年齢の子供は、天真爛漫で、お母さんに駄々をこねたり、お父さんの側から離れず、あれこれ尋ねたり、一緒に歌を歌ったり、物語を話してもらったりし、多くの楽しみがあるはずなのですが、融融ちゃんにとっては、これらの全てが夢の中の出来事となっています。夢の中でしか、お父さんとお母さんに会えず、愛らしい顔もいつも暗く沈んでしまっているのです。

融融ちゃんのお父さんは、松涛さんと称し、青島市海洋大学生物学の修士で、善良かつ正直で優秀な人でした。1996年の24歳の誕生日から法輪功をはじめました。自宅を学習者へ提供し、法の勉強に使いました。様々なところに法輪功を広めるために行きました。

融融ちゃんが生まれたばかりの時に、松涛さんは不法に青島大山拘禁所に入れられ、一ヶ月後解放されましたが、青島市台西警察署に再度逮捕されました。そして、法輪功を放棄するよう拷問を受けましたが頑なに拒否し、法輪大法は正法だと言い続けました。そのため副所長の跫国権と数人の警官により、椅子に縛り付けられた上に殴打され、全身が鬱血し黒ずんでしまいました。意識不明の状態になったにもかかわらず、労働教養所へ運ばれましたが、あまりの重い傷により労働教養所は入所を拒んだため、再び警察署へと運ばれました。意識が回復すると、また青島大山拘留所に送られ、酷く虐待されました。

2000年7月、不法にも松涛さんは、山東省第二労働教養所に送られました。同年9月、家族にも知らされず淄博王村労働教養所へと送られました。警察は、法輪功を放棄しなければ、家族との面会も許さず、衣類の差し入れも許さないと言いました。

王村労働教養所は、羅幹氏自ら監督の下、法輪功学習者に対して強制洗脳をし、昼夜も寝かさず、大法を中傷するビデオを強制的に見させ、思想レポートを書かせ、精神的肉体的苦しみを与えました。労働教養所第九大隊長の鄭万辛らは、法輪功学習者を吊るし上げ、十数本の高圧電気棒を用いて電撃させ、強行的に流動食を注入し、学習者の苦しむ叫び声が頻繁にもれていたと言います。

2000年11月3日の午前、鄭万辛、紹正華などの何人の警官が、松涛さんを拷問室内で2時間に渡り拷問し、11時30分頃ついに亡くなりました。まだ28才であり、融融ちゃんは11ヶ月でした。 妻である張雲鶴さんは、夫の?さんの遺骨をテーブルの上に置いて、融融ちゃんにお父さんのことを話しました。融融ちゃんは這って行って遺骨箱にキスをしたそうです。

お母さんの張雲鶴さんは、色白で美しい大きな瞳を持つ、とても優雅な人です。法輪功をはじめる前は、体が弱かったそうです。2001年5月、張さんは真相の資料を配っていた際、警察に発見されたため、家を離れ流浪せざるを得なくなり、長く間音信が途絶えました。ある学習者が、青島大山拘禁所で彼女に会ったことがありますが、今でも家族は彼女の情報を全く知らされていないのです。

融融ちゃんは、2才半ばから、お祖母さんとお祖父さんの手によって育てられていましたが、義理の息子は亡くなり、また娘も行方不明となり、お祖母さんはあまりのショックに、2001年8月に亡くなってしまいました。融融ちゃんは、この2年間で3人の家族を失ったのです。このような苦しみに、4才の子供がどのようにして耐えていくことができるのでしょうか?孤独、恐怖、得ることのない憧れなど、とても言葉で表現できない心の痛手を負っています。幼い心で、どのように受け入れていけばいいのでしょうか?この狂気のような迫害は、どの位の家庭へ悲劇をもたらしたことでしょうか。

善良な人々が虐殺されることを沈黙し許すことは、もうこれ以上できません。ごく普通の子供の親や親族に対する思いが、星のごとく手の届かない遠い存在になっているのです。融融ちゃんら子供たちの未来が明るく健康であるよう、かような権力者が法により裁かれることを実現させましょう。