日本明慧


後悔を乗り越え、大法弟子の列に戻る

大陸大法弟子(代筆)

私は70代になるところで、過去数十年の道を振り返り、本当に人生の辛さを感じ、このままでは生きていけないと思ったことが何回もあった。絶望の中で、法輪大法に出会ったのだ!心がぱっと明るくなり、身体も軽く、かつてなく気も楽になった。心から「金の山より、銀の山より、この大法を頂いたのが嬉しい」と言いたい。

私は全然学校に行ってなかったので、最初の頃は、「転法輪」の中のたくさんの字が読めなかった。それが師父の助けで、通読することが出来るようになった。また師父の各地における説法も読める。大法を読む時、字が金色の光を放つのがしばしば見え、また、煉功する時、法輪の回転が感じられ、師父がおっしゃった新奇な光景の一部も見えた。大法を得られる命は、なんと幸せなことだろう!親友も、大法を勉強することができたらいいなぁと思う。

しかし、大法の学習者や大法を学びたい人が多いので、江沢民は大変嫉妬した。1999年7月20日から、大法を勉強するのを許さず、しかもひどく大法を陥れる。学習者達は、テレビや新聞、政府の言ったことが事実と正反対だと思い、市役所に陳情しに行った。私は皆の自転車を見張っていた。当時、陳情しに行った人は大勢いたが、とても静かで、落ち着いていた。通りすがりの人たちも感動し、お弁当や水を送ってくれた。しかし、警察は上からの命令を受け、私たちを強制的に帰らせ、二日間監禁した。

2000年の春節が過ぎたばかりの頃に、私と家内は家で一緒に水餃子を作っていたところ、同郷の幹部が私の家を差し押さえに来て、法輪功のバッチを奪った。私に「まだ法輪功をするのか?」と聞き、私は「したい」と答えると、「私たちに付いて来い」と言い、私を家から10数里離れた所に連れて行った。そこでほかの100数名の法輪功学習者と一緒に或る大きい家屋に閉じ込められ、昼も夜も監視された。あの冬はとても寒く、時々零下10何度に至った。たくさんの学習者が薄着で、布団を持っていなかったのを見て、監視人はわざとガラスを破った。眠くて床の上でそのまま寝る学習者を見ると、監視人は床に水をかけた。昼間は私たちにじっと屋根を見させ、お互いに話すことを許さなかった。一人ずつ5000元の罰金と懺悔書や保証書を出さないと、家に帰させなかった。彼らは法輪功学習者を罵ったり、殴ったり、また師父を中傷したり、学習者を辱めたりした。また彼らの話を聞かない学習者を手錠で外の樹に縛った。何名かの私の子供と同じ位の年齢の学習者は、足にしもやけが出来、膨らんで歩けなくなり、家族の人がお金を払って、抱いて帰らせた。家内は70歳に近く、足が弱いのに、数日に一回食事を送ってくれた。ご飯は堅くて噛めなかった。不眠と恐怖、堅くて冷たいご飯を食べたせいで、夜になると吐くようになった。何回吐いたのかもう数え切れない。この状態が三日間続いた。師父の助けで突然治った。20数日監禁された後、親戚はお金を出し合って、私を帰らせてくれた。

家に帰ってから、しっかりと法を勉強していなかった。その後、法を読み始めると、家内や親戚、親友は私がまた監禁され、ゆすられるのを怖がったため、すぐ邪魔をしに来た。私も、彼らが師父や大法に不敬な言葉を口に出して業を作り、また、自分が悪人に強いられ、親戚に累を及ぼすのを怖れて、法の勉強も煉功も出来なくなった。そのうち、怖がる心はますます強くなり、ありとあらゆる物音に驚き、夢を見ても自分が捕まる夢が多かった。修煉出来なくなり、私は心から焦って、怒りっぽくなった。「師父、私はどうしらいいのですか?」とてもすまない!良いと分かっているのに、「修煉しない」と言ってしまった。強権や暴力に弱く、「真、善、忍」を守れなかった。本当に後悔した!その時、ある学習者は、落ち着いて、すべての邪悪を排除し、法を勉強し正念を発することを私に勧めた。「転法輪」を読むと、法の中に、自分の情への執着、怖がる心、利益を守る心などがはっきりと見えた。法を勉強し浩々とした佛恩を感じてきた。師父はこれほど私たちに慈悲をかけてくださっている、私はもう一回立ち上がり、よくやらなければならない。心が再び広くなり、私は再び修煉の列に戻った。私は真相を教え、人々に法輪大法は好いと知らせ、正々堂々とした大法弟子になるように頑張る。

(注:厳正声明文はすでに分類し発表された)