日本明慧


転びながら自分の修煉の道を歩いて行く

【明慧ネット2003年10月12日】私は一人家を離れている大法弟子である。長い間大法の仕事が忙しかったので、法を学ぶ時間があまりなく、たまに勉強しても形ばかりで、心静かに法を勉強できず、次第に法から離れ、問題にぶつかった時、自分を厳しく律することができなくなった。このままではいけないと分かっているが、なかなか忙しい中から抜け出せなかった。

8月中旬、一人の学習者と会った後、私は尾行された後連行され、洗脳センターに入れられた。この洗脳センターは、人の目が届かない招待所ビルの三階に設置されており、一、二階は一般のビルと変わらないが、三階は、廊下や部屋の窓が全部鉄の柵に囲まれている。私を監禁している部屋には二人の看守がおり、看守は毎日各警察交番から交替で来た人である。その上、公安支局から女性警官一人が加わっていた。私は手洗いに行く時監視されていた。廊下にはまた別に配備された看守がおり、厳しい警備を張っていた。公安支局の国保大隊の副隊長は自慢げに私に話した:“ここに入れば、あんたの自由な放浪生活は永遠に終わりだ。ここから逃げ出すことは不可能である。”私は彼の言ったことを無視し、周りの様子を観察した。大法の超常の力を信じ、常人の言うことは何の意味もないと思っていた。

監禁されたばかりの頃、心に少し動揺があり、常人の考え方も沸いてきた。以前、私は北京で捕えられた時、酷い体罰を受けた経験があるため、今度また残酷に虐待されるかと心配していた。他に刑事処罰されるかどうか、刑務所に入ったら乗り越えられるかどうかを考えていた。一時心性を守り切れず、連行された翌日に自分の住所を白状してしまった。そして、自宅が捜索された。このことをとても悔しく思い、深く反省してからもやはり自我を放下できず、法の立場から問題を見ないで、邪悪の迫害を黙認したことに気づいた。私は自分に警告した:修煉は厳粛なことで、邪悪に対する時、正念を持って対応すべきであり、旧勢力の按配した迫害を根本から否定し、私の執着を迫害の口実として利用されることを許さない。私は正法時期の大法弟子であり、すべての不正なものを正し、師父が按配してくださった道に沿って歩み、どんな環境においても、師父から要求された三つのことをしっかり行わなければならない。

その後、さらに公安支局国保大隊の人に尋問された時、私ははっきり言った:“今まで良くできなかった。これから良くできるようにしたい。二度と邪悪な迫害に協力する訳にはいかない。”その後、私は出会う人すべてに真相を説明し始めた。看守は次々交代し、私は次々新しい看守に真相を説明した。尋問された時にも、真相を説明し、次第に恐い心が少なくなって、善心が満ちてきた。師父は言われた:““もはや恐れる心がありませんから、恐れさせる要素もなくなりました。”(『最後の執着を取り除こう』)その後、周囲の環境も私の心の変化と共に変わってきた。

監禁されてから20日経った頃、私の家族は突然生活用品やお金を持って来いと警察からの連絡を受けた。それ以前は私を監禁している情報は全部秘密にしていた。いよいよ新しい試練が来たかと思い、大法への正しい信念が動揺されるべきではないと考えていた。師父の“一つの心も動じなければ、全ての変動を制することができます。” (『最後の執着を取り除こう』)という言葉が私の頭の中に映し出された。私は心の中で師父にこう話した:“師父、私を助けて下さい。確かに私はまだ様々な執着心がありますが、しかし、これは私を迫害し、衆生を壊滅する口実として利用されるべきではありません。旧勢力の按配を一切認めません。師父が按配してくださった道の中に長期監禁されることはあり得ません。”私は連続で正念を発し続けた。邪悪の迫害を黙認する考えが現れれば、直ぐ打ち消すようにした。師父は言われた:“しかし、それを排除することができないと言うことではありません。先ほどお話しましたが、歴史上約束をしたとしても、今日正念が十分であり、それを認めず、それを受け入れなければ、それを否定することができます。”(『2002年米国フィラデルフィア法会での説法』)。そして、私は留置場へ連れて行かれた。だが、私は心の中で固く師父を信じ、大法を信じて、旧勢力の按配を断固として否定し、また他にやるべきことがたくさんあるのに、決してここに閉じ込められるべきではないと考えていた。結局、私の身体に疥癬がある理由で、留置場は私を収容しなかった。これは師父からの助けだと思い、監禁から抜け出す決心を更に固めた。公安支局国保大隊の隊長は諦めずに、私を脅した:“自白しろ、さもないと、今日中に必ず留置場に送り込んでやる。”私はただ一笑して何にも言わなかった。彼はあちこち電話をかけたが、結局駄目で諦めて、“仕方がない。とりあえず帰ろう。明日また考えよう”と言った。副隊長は冗談半分に私に話した:“困った。捨てても捨てきれない。あんたは正念を発しただろう。あんたの師父はあんたを助けたかな?”私は笑いながら“あなたはどう思う”と聞き返した。こうしてまた私を洗脳センターへ連れ戻した。帰り道私はよく回りの環境を観察し、脱走の経路を計画した。

洗脳センターに帰った後、私は正念を発して回りの邪悪を根絶し続けた。三日目の深夜、三人の看守の目の前で私は正々堂々と洗脳センターから抜け出した。その時、看守達は完全に制御されて、自分たちの関心事を夢中で話していた。

このことを通して私が強く感じたことは:捕まえられたら体罰を受ける、法を実証すると逮捕される、刑を科せられる、労働教養されるなどの考え方は全部常人の観念であり、旧勢力が我々に押し付けた変異の観念である。『論語』の中に“「佛法」はこの上なく奥深いものであり、世のあらゆる学説中、最も玄妙かつ超常的な科学です。この領域を切り開くには、常人の認識を根底から変えなければなりません。さもなければ、宇宙の真相は人類にとって永遠に神話のままであり、常人は己の愚かな所見に限定された枠の中で永遠に這いまわるしかありません。”と書かれたように、我々は根本からこれらの変異な観念を改変して始めて旧勢力の按配を徹底的に否定でき、始めて師父が按配してくださった正法の道をしっかり歩むことが出来る。同時に、今回の教訓から正法修煉がいかに厳粛であるかを更に深く認識できた。自分を厳しく律しないことは自分に対して無責任であり、衆生に対して無責任であり、更に大法に対して無責任でもある。今回迫害から脱出できたが、喜ぶ気持ちはまったくない。このことから自分に存在している多くの不足や今回捕えられた原因をしっかり反省できた。師父の慈悲が私にやり直すチャンスをくださり、これからうまく出来るように努力していきたい。

個人の悟りで、間違ったところを指摘してください。