日本明慧


修煉者が言う「忙しい」

文/英国大法弟子

【明慧ネット2003年10月16日】現在、真に修煉する大法弟子は皆が非常に忙しく、常に七、八件の仕事をしている。人は忙しくなると落ち着かなくなり、間違いが起き易くなる。だから、「忙」字を用いて「慌忙」や「忙乱」等の意味のある単語が作れる。

中国の文化は神が人間に伝えたので、一文字の漢字の中には限りない信息が含まれている。「忙」を例にすると、「心」に「亡」が付いているので、人が忙しくなると心が亡くなりやすく、心が亡くなると人は慌ててくるとの意味である。「慌忙」とは、心が荒原のように雑草が茂っており、非常に混乱している様子を表わしている。

われわれは知っているように、常人のように受身になって、忙しくなるのは修煉者がなるべき状態ではない。自分の周りの短気な同修達を見ると、われわれも知らないうちに多少この状態に陥ってしまうが、実は、これは生まれてから形成された観念と業力に妨害されたからである。現在、観念と業力は大きなものは破壊することができず、小さな邪魔ぐらいならできる。このことをはっきり認識してから主意識を強くもって、こんな状態を意
識的に避けなければならない。

どのようにすればこんな「心死」から抜け出すことができるのだろうか?師父は「難中不乱」であるように教えてくださったので、巨大な難儀にぶつかった時、慈悲でかつ和やかな心理状態を保つことができ、平和な環境での小さな「忙」は言うまでもないだろう。忙しくても慌てないようにするためには、定力を強め、この「定」とは座禅している時だけではなく、様々な仕事の中でも「定」であり、冷静になって、師父の教えのように「一個不動能制万動」(アメリカ中部法会での講法)である。

定力を強めるために、最も大事なことは毎日法を真面目に勉強し、常に正念を発し、いつも慈悲かつ和やかな心理状態を保ち、法と正念で頭の中のいろいろな良くない念を取り除かなければならない。心が冷静になると、仕事を行う時の顕示心や人間の「有為」の状態などを排除でき、神の一面が作用を発揮する。さもなければ、いかに忙しくても、常人と同じレベルで仕事に没頭するのと違いがない。「豈知有為空一場」。