日本明慧


正法修煉の路(下)

文/彭慧

【明慧ネット2003年10月13日】

三、こころを込めて正法の文章を書く

私は子供の頃から作家になりたかったが、旧勢力は私が演じたい役を按排してくれず、病院の仕事を与えてくれた。しかし、私はずっと作家になりたい夢を持ち続けた。修煉して、心性が向上するにつれて、自分の考えを書きたくなったので、試しに文章を書いて見た。一篇を書いて同修に見せたら褒められたので、気分が良くなって書き続けた。その後、常人の友人にも素晴らしいと言われたので、これも法を実証する一つの良い方法であろうと考えて、更に多く書いた。自分はどのように善や忍に基づいてトラブルを解決し、心性を高めたのかについて書いた。また同修や隣り近所の事柄などを書いた。文章を書く過程において、多くの執着心が現れたが、心も純正になって向上した。法を良く勉強できれば出来るほど、書かれた文章はもっと純正になった。そして心が清浄になればなるほど、書かれた文章は更に人を感動させた。最初は、文章を書くのに長時間を要し、常に翌朝4時まで書いていた。

ある日何かを書きたい考えが浮かんできたが、突然頭が痛くなって来た。直ぐにこれは邪魔だと気がついて、法を勉強した。「導航」を一気に読んでしまったが、読めば読むほど頭がはっきりし、元気になってきた。それから落ちついたので2時間程で2篇の文章の最初原稿を書いた。文章は筋が良く通っており、流暢で、まるで管を通って私の頭に送られて来たように、私はただそれをコンピュータに入力して、少し直すだけで投稿した。この経験から私は師父のお話を理解することが出来た:「どのように行なうべきかを知っていれば、そのように行なえば良いのです。実際行なう時にあなたの智慧は絶えず湧いてきます。その時あなたの修煉によってできたその一面があなたのこの空間の部分と溶け合い、繋がるようになるからです。それは神であり、できないことはありません。もちろん、たいしたことのないことをすぐに解決し、智慧がやってきます。それは全然違う状態です。それでもうまくいかない時、師父もあなたに智慧を与えるのです。」(大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説)?

修煉によって向上するにつれて、周りの人々はみな貴重なものを持っているので、私は書く材料に事欠かない。例えば、隣り近所の人々はみな非常に素晴らしいので、彼女達の事柄を書いた。最初原稿を先ず彼女達に見せながら不適当なところがないかと聞くと、彼女達は:「私はあなたに書かれたほど素晴らしくないでしょう」と恥ずかしそうに言った。私はこのように激励する方法で彼女達の大法に対する正念を強めようとした。一部の友人は文章を見て、私の多彩な生活を羨み、一部の人は自分も書きたいがそんなに高い思想境地がないと言った。一部の友人は文章を読んでから、立場を変えて大法を再認識した。

四、電話する過程

中国に電話することについて、私はずっと傍観の態度を取っていた。ある修煉者のおばさんが近いところに住んでいた。彼女は古い学者で、国内で邪悪と渡り合ったことがあり、大法のスローガンを張ったり、国内の同修達を集めて交流した経験がある。だから、彼女の大法に対する信念は言うまでもなく堅い。彼女は毎日三つの仕事をするが、いかなる障害があっても、師父のお話に従って行っている。彼女の家人は修煉しないので、家に来て電話しているが、毎日2時間電話し、しかも中断したことがない。私は、人の能力は異なり、われわれ知識がある人がやることはおばさんも出来ないから、電話するのは彼女の主な任務だと考えて関与しなかった。その後、電話する同修が多くなり、師父も法にこのことの重要性について講じたので、私も電話するグループに入った。しかし、最初は正念を発するだけで、電話する気持ちはなかった。ある日の電話会議で、私は自分の電話したくない気持ちを話したが、同修達は自分の感想を話してくれた。私はそれを真面目に聞いて、確かに自分に問題があることに気づいた。法を更に深く学んで、旧勢力が私の能力を制約しているのに、自分はわざとそれを隠していることが分かった。分かると自然に電話をする気持ちになって、ある610頭目に電話をした。私の正当な理由を踏まえた厳しい言葉に彼は声が出なくなった。修煉においてぶつかったすべてのことは、自分が向上しなければならないところがあるからで、普通の事の様に見えるが、実は師父が段取りをしてくれた向上する機会である。もし、自分がこの事を重視しなければ、無駄になり機械を失って向上することが出来なくなってしまう。
もちろん、本当に法理から向上してから法を正す仕事をすればもっと力がある。その後、私の家族とおばんの家族は一緒になって電話をしているが、その場はとても和やかだった。お母さんは正念を発し、私と主人、二人の子供も入ってきた。ある日ある女性に電話をしたが、おばさんが途中まで話してから、8才の息子が続けて:「こんにちは、法輪大法は素晴らしいです!中国の宣伝はすべてが嘘です。」と言った。女性は子供の声を聞いて:「何才ですか?どこで勉強していますか?あなたも法輪功を修煉していますか?」と聞いた。息子は:「8才です、天才小学校の4年生です。私も煉功します。」と答えた。この時私が話題を継続して、「これは家の息子ですが、中国語はあまり上手ではありません。彼も法輪功を修煉し、学校の成績が良いので、本市の天才学校に選ばれました。」と説明した。これから女性とかってに話すことが出来ました。私の情況を聞いてくれたので、私は自分の修煉情況を教えました:「実は、私は気功を信じませんでしたが、病気があるため試したら本当に治り、しかも本に書いている事は非常に道理がありました。私は従来政治に興味がない人間で、法輪功は政治に関与しないように提唱しますので、私にとても適います。中国の宣伝は完全に政治に奉仕するもので、事実と完全に反対です。罪を着せようと思えば、理由はいくらでもあります。」と言いました。すると女性は:「では、ご主人はあなたが煉功するのを支持してくれますか?」と聞いた。私は:「彼も煉功します。彼と直接話しても良いです。」と答えた。主人は:「私も初めは信じませんでしたが、後は信じました。この功は確かに非常に素晴らしく、欠点は少しもなく、政治と全然関係ありません。出国しなかったら私もあなたと同じく嘘を信じます。」と言った。この家族が全員実証するのを聞いてその女性は:「家の隣りのお婆さんが法輪功を修煉していて、彼女は主人に煉功するように勧めてくれました。主人は胃が悪いから、煉功しようとしましたが弾圧が始まったので止めました。そのお婆さんも捕まえられて、8ヶ月以上監禁されました。非常に恐ろしいです。それからの私は、法輪功がいったい良いのか悪いのか、わけが分からなくなりました。」と言った。主人は:「では、今は分かりましたか?」と聞いた。女性は:「そうですね、今は分かりました。」と答えた。2才の娘も電話したいと言ったので、次の電話はおばさんが途中で:「少々お待ちください、2才の孫娘に替わります。」と言いながら受話器を子供に渡してくれた。小さい娘は甘ったれた声で「法輪大法は素晴らしい!」と言った。相手はこんなに小さい子供の話を聞いて、「かわいいですね。」と言った。

五、同修の間での誠意

了願:「同心來世間,得法已在先。他日飛天去,自在法無邊。」(洪吟:了願).

同修達はかつて長い歴史の中に願をかけた:「法を正す時期に一緒に俗人に生まれ変われて、師を助けて法を正そう」。あの時互いに、「いかに輪廻転生しても、われわれは互いにヒントすることを忘れず、必ず師父について家に戻ろう!」と約束したかも知れない。同修達が出会って共に修煉することは、どんなに大きな縁があるのか量り知れない。だから、同修に問題があるのを見つけたら必ず教えて上げなければならない。私がいるこの環境では、同修の間ではほとんどこのようにしており、率直で誠意を持って対処しているので、すべて自分のことを考えてくれるのだということは皆も分かっている。私は娘が生まれてから魔難が多く、法もあまり勉強してないから、本当に生死の試練を経験した。後になって私は偶然にこのことを言ったが、同修達の心を大きく揺り動かした。彼らはこのことについてわざわざ交流し、われわれの環境には問題があり、同修に対する善心が乏しく、彭慧が一番困難に落ちている時、助けて上げなかったと言ったそうである。このため皆は恥ずかしく感じ、「自分に乗り越えない関がある時、必ず皆に教え、一緒にそれを乗り越えましょう」とお互い参考にするようにした。

仕事が忙しいためあまり出てこない同修もいるが、他の同修達は直接彼に指摘した:「一日中どのぐらい時間を使って修煉するのか自分で計算して見てください、平日は忙しいけど、土日は煉功に出て来れるはずでしょう!」朝早く起きられない同修もいるが、起きられる同修に電話で起こしてくれるよう頼んだ。法を学ぶ時眠くなる同修もいるが、他の同修を呼んで来て一緒に法を学んだ。このようにすると一部の障害はすぐに乗り越えることができた。このような事はあまり目立たないが、非常に大きく役に立った。考えて見てください、すべての法を正す時期の大法弟子は一つの大穹の天体を代表しているので、責任は重大なのです。すべての大穹中の衆生は主が凱旋して帰るのを期待しているだろう、だから、同修を助けて共に精進するのは単なる一人の問題ではない。同時に、この過程においてわれわれの善良な心も体現される。

ほとんどの同修が一つの大法の仕事をやっていると考えられる。初めの時は互いによく分からなかったが、後はなんといっぺんに一つにつながって来た。例えば、私が書いた文章を、ある同修は新聞に転載したと言った。またある同修は、それをインタ—ネットに転載したと言った。私は、われわれのこの小環境はまるで大法の世間での縮図であり、皆が異なる役を演じているようだと突然感じた。常人社会においては、われわれは立派な公民や職員、学生である。また家庭においては、われわれは両親であり、子供である、法を正す過程においては、われわれはまた異なる役を演じている:アナウンサーや編集者、翻訳者、作家、新聞記者などである。師父の本を開いて法を学ぶことこそ、われわれの真の姿——師父の大法弟子である。法を学び心を修め、大法に同化され、衆生を済度し、新しい宇宙を鋳造する。

六、師父はすぐ近い身の回りにいる

「転法輪」の第2講に:「天目が回転するのが見える人もいます。道家の修煉をしている人はよく天目の中が回転しているのが見えますが、太極の円盤がパッと破裂すれば、画像が見えるようになるのです。しかし、それはもともとあなたの頭に太極があったわけではなく、師が始めから一式のものを植えつけてくれて、その中に太極が含まれていたのです。彼はあなたの天目を塞いでおくのですが、開かれる時になると、それが破裂します。師がわざわざこのように段取りしてくれたのであって、あなたの頭の中に元からあったわけではありません。」と講じている。

始めて創作する時、師父が霊感をくれたということは知っていたが、やはり自分の頭から出てくるものだと考えた。最近、この段落を読んで、更に深く理解できた。それは師父が弟子にわざわざこのように段取りしてくれたのである。

私が立派にやっていると考え、歓喜心が出ようとする時、師父のお話が浮かんでくる:「私に自分の腕を披露した学習者がいますが、実は私が思うには、これは皆私があなたに与えたもので、見る必要などはありません。」(2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説)

朝目覚し時計が鳴っても起きたくない時、頭の中に師父のお話が浮かんでくる:「しかし、皆さんが忙しくなったり、苦労したりすることは大法弟子の威徳だと、私はいつも思っています。将来振り返った時に、それが素晴らしいことだと分かります。」(北米での巡回説法)

善意を持って他人を助けて上げても理解してくれない時、頭の中にまた師父のお話が浮かんでくる:「本当に法のために責任を持つという立場に立って、鉄鋼を溶かすほどの心があれば、仕事をうまくやり遂げられないことはあり得ません。」(2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説)

時々刻々師父は身の回りで弟子を守ってくれている。このような話は法を学んで頭の中に覚えているのではなく、師父が弟子の決意が堅い心を見て、向上する時になったから点化してくれたのである。修煉はまさに学校で勉強するのと同じです。先生が宿題を出してくれたのに、われわれがそれを完成しないで、逆に「どうして良い成績をくれないのですか?」と先生に聞けばこれは確かに正しくないだろう。自分が良く修煉できない時、本当に自分に良く聞かなければならない:「自分は本当に師父に教えられた通りやったのか?」もし、そうやってなかったら、誰にも恨み言を言えないだろう。師父は弟子に向上させるすべての法を講じてくれているので、勉強さえすればなんでも得られる。個人の悟りであるが、一人一人は皆自分の修煉の路を歩んでおり、師父が前で導航している。しかし、この路はあなたが人為的に探求して得られたものではありません。すべては「転法輪」の中にあり、読むだけでそれを見つけることが出来ます。そしてわれわれの心が清浄になればなるほどあの路は更にはっきり現れてくるのです。修煉過程において苦しみやトラブルはあります。師父もわれわれに未来のことを教えてくれた:「修煉は苦しいのですが、法を証明する中で邪悪が更に邪悪になっているので、乗り越えられる人はきっと衆生の王になります。」(大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説)

自分は大法に溶かされて精錬し、生活のいろいろな方面から大法の素晴らしさを実証しているので、私の生活は言うまでもなく充実していて、愉しいのである。時間や円満成就にも執着せず、私はただ正法修煉の一刻一秒を大事にし、絶えず自分を清浄にして大法に同化し、法の中の愉快な一粒になりたいのです。

師父は:「良く行うことが出来れば、それはあなたが証明し悟った全てであり、それを整理して、悪いものを取り除き、残った精華はあなたの成功の道です。」(2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説)と言った。
私は師父のこの話に従って、自分の修煉により得られたわずかなものを整理して書いた。不当なところがあれば同修の指摘をお願いします。