日本明慧


帰り路に戻る

私は1998年5月、正式に修煉を始めた。法輪大法の修煉中、初めの二年に、大法は良いと感じたが、明らかな変化は、病気が無くなり健康になったことである。私自身が煉功修心を通じて数種の病気が無くなっただけではない、私の親族も煉功の後病気がなくなり、前よりも元気になった。

1999年7月20日、江賊が法輪功を鎮圧した。私と同修達は自転車で北京へ請願に行く途中で捕えられ半月抑留された。当時全面的な邪悪宣伝の中で、私も何が正しいのか迷い、一体神仏は存在するのかどうか少し疑った。私の修煉時間は短かったので、根本的にこのような大魔難に出逢う為の悟りには到っていなかった。私の心は空っぽだった。幸い一緒に抑留されたのは皆非常に信念の堅い、法の理解の深い同修で、彼(女)らの助けのもとに、私はその魔難に対しある一定の認識を持ち、信念が堅くなった。邪悪な世論宣伝にも情を用いる軟化にも、私は動揺しなかった。

しかし後になって、家族たちの繰り返しての哀願に、人間の心が動き、執着心が現れ、大法の修煉をしないという宣誓書にサインをし、釈放された。

釈放後、私は又修煉を始めた。翌年、2000年10月、私は同修と再び北京へ請願に行った。一度目の教訓があったので、私達は相談して、タクシーで遠回りして北京に入った。しかし、着いたその晩に私達は、職場の上司や親族、警察等によって天安門広場で逮捕され、当地の公安局の拘置所に送られた。23日間拘置された後、2年の強制労働を言い渡され、馬三家労教所に送られた。(労教所の費用は家族が払わされた)

労教所で、多くの比較的知られた学習者達を見た。その中の多くの者は、堅固に見えたが、後で大法を見捨てた。私は、この人達と比較して、法を学んだ期間が短く法の認識があまり良くないかも知れない、と思った。この間違った悟りから、私は邪悪の考えを受け入れた。しかし心の奥底では自分が間違ったかも知れないことを感じていた。涙がほとばしり出るのを押さえられなかった。

心の中は本当に耐え難かった。転化したのは間違ったのではないかと、私は疑い始めた。

労教所では一日中大法弟子を洗脳しようとした。大法と師父を侮辱する放送を聞き、テレビを見ることが強要された。妥協しない学習者は常に監視され、殴られ、眠らせない。洗脳された者は「経験紹介」をした。法の勉強をすることは許されず、煉功も出来ない。そして外の消息は入ってこないので、本当に邪悪な悟を信じてしまう。数人の大法弟子が、食事もせず、運動場を走らせられているのを見て、苦しく感じた。もうここに居たくないと思い、大法への信念を失ってしまった。

帰宅した後、他の学習者が訪ねて来たが、私は話を聞きたくなかった。大法資料と師父の最近の経文をくれたが、私は読みたくなかった。私は完全に信じなくなってしまっていた。毎日心が空っぽで、何かが欠けていると感じていた。その後ある同修が又私に聞いた、「少し資料があるが見ないか?」 私は何も考えずに「見てみましょう。」と言った。彼は20数枚の真相資料をくれ、その中に師父の「路」という経文があって、私は一気にそれを読み終わった。全てが明らかになり、驚いた。自分が間違っていたと分かると同時に、悲観絶望した。もう一年近く修煉していなかった。師父はまだ私を弟子と認めてくれるだろうか? 私は師父に対し、そして大法に対し、申し訳なく思い、恥しくて、隠れる場もないと感じた。

次の三ヶ月間は、私は恥と絶望と痛苦の中に落ち込んでいた。そこから自分で抜け出す事が出来ず、毎日誰かと話したかった。しかし常人には理解出来ることではなかった。最後には馬三家労教所に、自分が以前書いたものは無効であると声明を書いた。しかし家族が出すのを許さなかった。家出しようとも考えたが、家族が見張っていた。もう一日生き延びるのがこれ程難しいことかと感じた。この頃はただ自分は師父を裏切った、師父はもう自分のような弟子はいらない、私はもう生きて行けない、と感じていた。精神は極端に刺激された。職場は私の気が変わったと思い、再び私を洗脳班へ送ろうとした。自分の進む路はもう無いと感じていると、2001年の正月、私の法輪が体内から消えて行くのをはっきりと感じた。修煉で得たものが、全身から順序を追って消えて行った。体内で肉が裂かれて消えて行くような痛みを感じ、後悔の上に絶望した。間違ったと後悔したらすぐに戻って行かなければならないのに、苦痛の中で更に四ヶ月を無駄にした。法輪や気機がなくなって、何を修煉するのか! (師父が私が帰って来るのを待っているとは思わなかった) 私は遺書を書いたが、大法に良くない影響を与えることを恐れ(法が真に存在するのを知っていた)、更に業を造りたくもなかった。生きて行けないし、死ぬのも難しく、実に辛かった。牢に入るよりも耐えがたく、「転化」したことを本当に後悔した。こんな情況で家庭関係も悪化し、互いの矛盾もひどくなってしまった。誰もその味を想像出来ないだろう。

二年目の正月、私は徐々に冷静になり、死ねないのであれば、生きて行かなければならないと自覚した。修煉のことは何も考えずに静かな生活をする計画をした。しかし1ヶ月後、やはり修煉をしたいと思い、密かに煉功を始めた。家族は初め反対していたが、結局煉功することは受け入れ、大法の本を読む事は許さなかった。しかし法を学ばなければならないので、あらゆる方法を考えて、本を借りることにした。努力の後、家で本と師父の新経文を読む権利を獲得した。

法の勉強と煉功とを続け、正常な生活に戻ることが出来た。家庭内の矛盾も努力してかなり緩和され、法に従って自分を向上させた。職場の同僚との関係も改善した。健康も快復し、密かに真相を伝え始めた(家族に対してはできなかった)。各方面において、改めて調整した。

今年の正月になって、突然悟った。私はインターネットで声明しなければならなかった。過去の間違いは全部無効にし、正々堂々と大法弟子になるべきであった。どの様な情況になろうとも、一度声明を書いたら徹底的に守らなければならなかった。声明を書き始めると手が暖かく感じ始め、書き終わった時には手から汗が出ていた。私は心中嬉しく思うと同時に平静であった。師父が再び私を見ていると感じ、信念も増した。

2003年6月、私は真相を伝える資料を配っている間に再び逮捕された。警察で協力することは一切拒否した。代わりに彼らに真相を伝えた。拘置所に入れられた時、ここに居るべきではない、まだまだ真相を知らない人達が救われるのを待っているのだと思い、正念を発し続けた。十日後に私は釈放された。元々少なくとも三年の刑であると聞いていた。師父の慈悲のお陰であると感じた。

〈2003年旧正月十五日米国西部法会での説法〉を読んだ時涙が止まらなかった。師父の言葉「倒れたなら、倒れたままでいないで、すぐに起き上がりなさい!」を読んだ時には、声を出して泣いた。師父の偉大な慈悲を心の奥深くに感じとった。そして残された時間を良く利用しようと決心した。自分が大法に与えた損失を補足し、より多くの人が救われるように!

今私は師父の親切を何倍にも感じる。この大法を大切にする事は、自分の生命よりも重要であり、自分は非常に幸運であると感じる。再び正法の中に帰り、帰り路に戻ると、自分が非常に危険な路を歩んで来たと感じるに到った。師父は何度も私に戻る機会を与えた! 危険を冒して私を助けてくれた同修達に感謝する。彼らを通じて真相資料と師父の経文に接触する事が出来、「転化」の過ちを認識し、帰り路に再び戻って来た。

「帰り路に戻れるよう、路に迷った同修を助ける」を読んだ後、私はじっとしていられず、すぐにこの文章を書いた。真心から全ての洗脳されて路に迷った同修に呼び掛ける。どうか目醒めて下さい! 縁は得難いものです! 時間は待ってくれません! 師父は切にあなた方が戻るのを待っています、付いて来て下さい! 縁が過ぎれば後悔しても遅く、その結果は恐ろしいものです!

路に迷った同修達、帰って来て下さい、師父はずっと待っています! 師父はあなた達を見捨てる事は出来ません! 

この文章を、私は涙して書いた。私が学んだ教訓は悲惨なものであった。しかし私が帰り路に戻れたのは幸運であった! ここで私は、偉大な師父の慈悲に感謝し、私に永遠の生命を与えてくれた事に感謝する!

2003年10月27日