日本明慧


智慧・能力は大法へのゆるぎなき信念から来る

カナダ法輪功学習者

【明慧ネット10月27日】師父が「2003年ワシントンDC法会での説法」でこのように説かれた。“大法弟子、大法弟子とは何でしょうか? 最も偉大な法が造成した生命です。(熱烈な拍手) 磐石のように確固としており、金剛不破なのです。”最も偉大な法が我々を造成し、我々は法の中の一つ一つの粒子であり、我々すべての人が能力を持っている。実は大法に何でもあり、大法はとっくに我々に限りない能力・量り切れない智慧を与えてくれました。しかし我々が一層一層の後天に形成された変異した自分の観念及びまだ放下していない根本的な執着に妨害され、制約されました。これによって宇宙の真相がみえず、更に自分の能力を拘束しました。

ある同修は地元の英文真相資料が一枚しかないことに気がついたので、両開きの4枚の真相資料を作ろうと考えた。彼女の英文は中学レベルしかないにも関らず、彼女は自分自身の不利な条件に制約されませんでした。そして彼女は二晩かけて、挿し絵も文章も内容が豊富でりっぱな真相資料を作り上げました。他の同修はこれを見て、彼女がこんなに短い時間でこれほど素晴らしい真相資料を作り上げたことに皆一様に驚いた。彼女は「私は心の底からこの真相資料をよく成し遂げようと考えました。そしてこの真の一念が動いたからこそ、智慧や能力が皆泉のように湧いて来た。」と言った。全く師父のおっしゃられた通りに、「実は全ての大法弟子は能力があるのですが、ただ表面の空間に現れていないので、功能がないと思っています。しかし表面の空間に現れてくることができるかどうかにかかわらず、真の念が生じる時は威力が強大なのです。」《大法弟子の正念は威力あるものである》

実践中、法を正す時期の大法弟子としての我々の智慧と能力が十分に発揮されていない原因は、外在の条件・要素・環境などに制約されているからでなく、皆自分自身にある。外に向かって探してはいけない、内に向かって探すべきであり、問題は自分自身にある。“自我”は錠のように、自分の能力・智慧に施錠した。自我を除きたいならば、人間の変異した観念を根本的に取り除かなければならない。人間の観念は埃のように、自分先天の純粋な本性を埋め、我々を浮世の塵に迷わせ、法の裏の内包を見せない。そのため、我々がなにかをする時、常套に陥りかねない。そうなると人間の定義、定律、定理および人間行為の方程式に従って物事を考えて、なにかをすることになりかねない。もし我々が法の中で法を学び、法の中で正しく悟り、私利私欲を取り除き、自我を放下し、根本的に人間の硬直した考えかたを変えるならば、錠が開錠されることになる。そうなればより多くの問題がすらすらと解決され、法を正す機会と智慧も続々と沸いてくる。

ある同修は、選択時期がやってくると、これが私にやれるかどうかといつも躊躇っている。実はこの躊躇いはほかでもなく自分の執着心——“法に対してまだ確固としていない”ことの現れである。師父が「転法輪」で説かれた通り:「わたしは大学程度のものを教えてあげたのに、どういうふうに導引すればよいかとか、どういうふうに意念活動をすればよいかとか、いつも小学生程度の質問をしてきます。彼らはすでにそのようなやり方に慣れているから、気功はこういうものだと思い込んでいますが、本当はそうではありません。」

実は、法を正す過程に大法への信の程度への試練がずっと存在している。我々は大法を信じれば信じるほど、大法がより大きな威力を顕してくれる。だから我々はより広い大穹範囲内に法を証明することができる。大法が我々に与えてくれたものはとても沢山あり、師父は我々自身より我々を大事にしてくれている。我々は大法のためになにも払いたがらず、法からなにかを得ようとすることばかりを考えるわけには行かない。我々は宇宙衆生を救う重大な使命を背負っている。宇宙が天地開闢して以来、かつてなかった法を正す機縁を大切にすべきである。そして大法弟子の持つべき智慧と能力を十分に発揮しましょう。

冷静に理性を持ってしっかりと法を学び、法に溶け込み、着実に一歩一歩我々の最後の法を正す道をしっかりと歩んでいきましょう。