日本明慧


遊び心を取り除いて純粋の心で師を助け、法を正す

2003年10月24日 文/童清文 

【明慧ネット2003年10月24日】最近、『病業の状態と執着心』という文章を読んだ後、深く啓発を受けた。文章の中で著者は自分が遊びに執着している心にずっと気づかなかったことを書いていた。私もこれを読んで同感だった。私もかなり強い遊び心があった。だが、長い間その存在が自覚できず、この問題に気づき始めたのは99年に不法監禁された時であった。

99年の末、北京へ陳情に行った時、15日間不法監禁された。拘留所での始めの数日は心が割合落ち着いていた。ところがその後次第に苛立だってきた。数平方メートルの小屋に閉じ込められると、孤独で寂しく、窒息感を覚えた。そして時間もなかなか進まないような感じがした。すると昔友達と一緒に観光地へ遊びに行った様子を思い出し、ますます心がざわざわし出した。一日も早くここから抜け出して思う存分に遊びたかった。この不純な心によって、邪悪の圧力に屈して心性の試練がうまくいかなかった。

釈放された後、悔しい気持ちがなかなか抜けきれなくて、この経験を一人の学習者に話した。するとこの学習者は『西遊記』の一節を借りて私に次のように話した:三蔵和尚は西天へ佛経を求めに行く途中、ある地方を通過しようとしていた。するとちょうど元宵祭りをやっていた。三蔵和尚はこの賑やかな祭りの風景に引かれて観光に行った。ところが妖怪に連れ去られた。孫悟空はやっとのことでその妖怪を見つけて詰問したら、妖怪は次のように話した:“あなたの師父にはまだ遊び心があるから、この災難を招いた。”三蔵和尚は修行の人だから、修業に専念すべきなのに、なぜ世間の娯楽に興味があるのか?これはまた以前の修煉者に対する要求であったが、我々正法時期の大法弟子に対しては、もっと高い要求があるはずです。普段修煉中の心性の問題点は肝心の時、即ち特に圧力の前によく現れてくる。それは時に大法と自分自身に損失をもたらすことになる。修煉は厳粛なことであり、あらゆる常人の心を放任してはいけない。

この話を聞いてから、自分の心性上の問題を意識できるようになった。以前この学習者と一緒に法を学ぶ時、私はいつも2時間ぐらい学んだらもうじっとできなかった。少しものを食べたり、歩いたり、遊んだりしなければ、勉強し続けられなかった。だがこの学習者はいつも長時間真剣に法を学んでいた。だから『スイス法会での講法』を午後から夕方までに全部読み終わった。

修煉以来の道を振り替えてみると、自分は普段修煉の時だけでなく、この遊び心を正法修煉の中にも持ち込んでいた。99年“4.25”の時、天津事件を聞いて、直ぐに“大法を護り、大法のために犠牲を払っても惜しまない”と思い、北京へ陳情に行くことを決めた。だが、その時ついでに観光旅行も出来ると考えていた。北京へ陳情に行くことは大法のためだけでなく、遊び心が混じりこんでいて、とても不純な心でした。
遊び心が安逸を求める心の表現であり、気楽にのんびりと楽しむ心から生まれたものであり、根本から言えば私心そのものであったと私は考えている。

周りの学習者のことを見れば、同じ状況が存在している。例えば、A、B両学習者が農村へ真相を説明に行った時、B学習者は自然の花や草、農村風景の鑑賞に気を使うばかりで、心を真相説明のことに置いていなかった。この話を聞いた時、私はB学習者のことを嘲笑ったが、自らを振り替えてみると、自分も同じことをしていたことに気づいた。もう一人の学習者は春日和の日に、自然観光に出かけたい思いが湧いてきた。そのついでに真相資料を作成するための用紙を買ってこようと思って出かけた。結局、用紙を無事に買って帰ったが、封を開けてみたら、劣質で使えないものでした。考えてみれば、大法のために紙を買いに行くことはとても神聖なことなのに、遊びのついでにしたことは、とても厳粛とは言えず、心の使い方に問題があったと自己反省した。
これらの実例を踏まえて、私は自分の問題を反省し、遊びたいこの常人の心を取り除くように努力した。そして徐々にこの執着心が薄くなってきた。その後もう一度連行されて2ヶ月近く監禁されたが、心を割合穏やかに保つことができた。以前のような動揺、不安、苦悶、寂しさなどを全然感じなかった。もちろん旧勢力の按配を否定し、大法の仕事をするために早く脱出したいが、考える基点は以前とまったく違う。深夜周りが静かになった後、窓の鉄格子を通して外の夜空を眺めて見た。たまに小鳥が自由自在に飛ぶ様子を見かけると、私の身体は監禁されているが、心は自由自在の境地にあると感じていた。

以上は個人の体験談ですが、不当のところをご指摘下さい。