日本明慧


拘禁所の看守宛の返事

2003年10月21日 

【明慧ネット2003年10月21日】背景:一人の大法弟子は(2001-2002)ある市拘禁所に拘禁されていた。彼を監視する看守は彼を “転向”させようとした。その看守は情を用いて大法弟子の修煉の心を動揺させようと、彼の妻に手紙を出した。以下は彼の妻(大法弟子)がその看守に返事するつもりだった手紙だが、この手紙がまだ出されないうちに、この大法弟子は既に正念で脱出した。 

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看守へ: 

まず、あなたが関心と安否を伺ってくれたことに感謝します。正直に言えば、あなたの仕事を私は支持しないのです。ところが、好意と言われましたので、返事してもかまわないと思いました。我々は修煉者です。いつも他人のことを思うので、この手紙を書きました。 

貴方は×さんが“利己的な人で、家庭、親戚のために考えなかった”と言ったことがありました。ところが、事情をよく分析すれば、それと反対に、×さんは少しも利己ではなく、品行が極めて高尚な青年だと私は思っていました。夫として、妻に余裕のある生活をさせて、子供に一番の教育を受けさせ、老人に幸せな晩年を過ごさせることはもちろん幸福だと思っています。ところが、現実の生活の中で、幸福は短くて、人生も短いのです。お釈迦様は出家する前に王子でしだが、永遠に病気、死別の苦痛と離れるために、王子の富貴を放棄し、輪廻を超脱する方法を探しにいきました。菩提樹の下で四十九日で開悟して覚者になりました。つまり、修煉だけで、基本的な問題は解決できるのです。昔の言葉で:一人が道になって、鳥も犬も天に昇れるとのことです。一人が円満すれば、親族に対する一番の報いだと思います。私の理解では、円満する人は完全に他人のために、本当に偉大な思想境界を持って、覚悟した人だと思っています。もしこの範囲を拡大すれば、全中国、全世界の善良な人たちはみんな大切にすべき命のはずです、私はそれを “慈悲”だと理解しています。佛、菩?は衆生を普度して、非常に宏大な慈悲なのです。生命ごとにみんな救われるはずです。正法修煉だけがはじめて衆生を普度できます。法輪大法は永遠に会えない正法修煉の機縁をくださいました。これは私が貴方に教えた一言の金言でした。これらは一つの小さい家庭に限られたつかの間の幸福ではないのです。 

法輪大法弟子の堅さは法輪大法の真理性を証明しました。ある人は彼等がこんなに善良で高尚であることを信じなくて、疑っていました。 

正法修煉だけにこんなに難しいのです。邪法は労する事無く獲得できることを教えています。テレビでは宝くじに当たれば、一晩で大富豪になれるということを宣伝していて、真実の人がすることを教えてないのです。もし人間が自分のためだけを考えれば、この国はどうなりましょうか?迫害している大きな事柄が億以上の人たちから、それは違うと言う声が出ない事が可能ですか?もし違う声がないとすれば、私の主人が拘禁されることを何と説明しているのですか?我々の国には一つの投書や陳情部門がありますが、表面の様子だけです。異論が聞こえないことは話せないのです。人々が関心を持つのは麻雀の勝ち負け、自分のお金、上司の顔色……、しかし、このまま行けば社会環境は危険だと思います。投書や陳情による人民の生活状況は本当の関心を貰えないのです。 
貴方の仕事は一人の善良な人を自分の先生を罵るような悪い人に“転化”しているのです。汚い水を他人の身の上に撒いているのです。このような仕事はしなくてもいいのです。もし人を騙したり、人を殴るなどの方法を用いたら、罪はさらに酷くなります。修煉する人を迫害することは、とても罪深いのです。 

我々は一つの法理を実践していますので、政治と関係はないのです。この事を分かって欲しいのです。 

2002年3月9日