日本明慧


正法時期大法弟子の責任をいかに理解するのか(その一)

法を正すことが進むにつれて、邪悪を暴露して、真相を明らかにして、衆生を済度する過程の中で、去年5月末突然金子容子が北京で逮捕されたニュースを聞きました。当時私達はただ彼女を救助することだけはわかっていますが、どうやって救援するのかまとまった考えはありませんでした。日本のマスコミもその時法輪功問題を避けていて、どうやって突破するか、これは私たちがいかに冷静で理知をもって大法を表し、一般的な人々に簡単にうけいれることを要求されています。日本人学員の協力を得て、私達は人道、人権を切り口にして、彼らの善念を覚まし、マスコミの力で金子容子を助け出すことを望んでいました。そして奈良で金子容子さん救援署名活動を始めました、テレビもその晩のニュースでこのことを報導しました。これは近畿地区に初めて公正的に法輪功に関する報導でした。その後、私たちはこの形式で金子容子さんの救援活動を展開しました。

関西の学員が近畿地区二府五県で展開した救援署名活動を後期まで進めたとき、三重県までに行ったとき、当地で記者会を開きました。私たちが驚いたのは、当地に法輪功学員がいないせいか、法輪功とはなに、中国でなにが起きているのか彼らは全然知りませんでした。私たちは彼らに法輪功を紹介し、中国政府による法輪功弾圧についても紹介し、そして金子容子sんが中国で法輪功が迫害されていることを説明するチラシを配っただけで、不法に監禁され、さらにいかなる法律手続きもなく判決を言い渡されたと知ったとき、彼らはショックして、詳しい記録をとりました。さらに新聞にそれを報導しました。この事件は私たちに大きな衝撃を与えました。日本ではまだまだ真相を知らない地区が数多くあり、それら地区の日本人に法を紹介し、広め、真相を説明することは近い地区にいる私たちの責任です。周りの環境は私たちが大法を基点に純浄な心で絶えない修煉の中で、少しずつできて初めて変えれたことだと悟りました。そして私たちはいままだに学員のいない地区において政府部門からマスコミ全系統を車リレーの形式で全面的に真相を説明し、金子容子さん救援署名活動を行うことを決めました。私たちは悟ったこのすべてをほかの地区の学員と交流して、ほかの地区の学員の賛成を得ました。そして、私たちはのべ11日、日本海沿い北上して、4か県を経由して、金子容子さんのくにの新潟県までの車の旅を始めました。私たちは6人のチームで、以下は私たちがこの過程の中のそれぞれの感想を集めたものです。

全体に協力し、正念をもって正しく行動を起こす

岐阜県は私たちこのたびの最初の場所で、私たちは6月27日当地に到達したとき、空が曇り始めました。私たちは駅の隣の小さな公園でテントを張りました。しばらくして、雨がふりました。法を勉強し、煉功して、正念を発してから、私達は寝ることにしました。外で雨がだんだん強くなっていますが、丸一日苦労した私たちはすぐに寝てしまいました。朝起きてから、みんな笑いました。私たちは”水船”に寝ているようで、みんながびしょぬれで、誰がはじめたか、みんなが”円満で仏の果位を得、苦しみを楽しみとみなし......”とこの詩を暗誦しました。正法時期大法弟子としての責任を思うと、このたびの使命の重大さを思うと、これしきの試練はなんともなりません。私たちの心の充実さ、幸せは常人は永遠に得られないし、理解できないでしょう。

岐阜に来る前に私たちは岐阜駅前で新聞を配る許可を得ました。雨のため、新聞を濡らさないために、駅の中で新聞を配ればいいなと思いました。一般的に日本の駅内は新聞を配ることが許されないはずです。困難に遭ったらどうしますか?もちろん避けて通るわけにはいかないで、ある同修は駅長に話してみると言いました。彼女が行ってから、誰か注意したわけではないですが、残った私たち同修が同時に正念を発しました。私はそのとき非常に静かで、正念を発するときのエネルギー場は普通のときよりはるかに強いことを感じました。かすかに駅長が同修に真相を説明されて、正念が呼び出されて耐えず首を縦に振ったのを見えました。私は心でいいました:OK!眼をあけて、駅長に会いに行った同修が楽しく帰って言いました:”大丈夫です、駅の中で新聞を配れます!”そのとき、みんな笑顔を浮かべました。みんなが正念の力を感じました、みんな全体の和やかな力を感じました。

仕事の関係で車と一緒にいけなかった同修は週末の時間を利用して当地に応援しにきました。その日大阪と岐阜周辺の愛知県から6,7人の学員がきました。ある人が新聞が足りないじゃないかと心配して、自分で荷物車でカバンいっぱいの新聞を持ってきました、さらに若い夫婦が6ヶ月の子供を連れて往復8時間を運転してサイン集めに来て、新聞を配りました。ある同修は午前中しか時間がないですが、応援に駆けつけました。地方のマスコミは朝から取材にきて、次の朝刊に報導しました。学員の協力の下で、同修のそれぞれの正念の場の下で、私たち最初の場所で法を広め、真相を説明する活動は非常にいい効果をもたらしました、一日で4000部の新聞を配りました。