日本明慧


法律訴訟と全面的に真相を明らかにする事との関係

文/アメリカ大法弟子

[明慧ネット2003年10月30日]法律訴訟によって邪悪を取り除き抑制することは、正法過程において真相を明らかにする方法であり、このような方法により社会に影響を与える。

では、どのように法律訴訟の過程を進めればよいのか?最も効率的方法は真相を明らかにすることである。

全世界の政府と人々がこの弾圧の邪悪な本質を認識さえすれば、法廷で審判しても、審判しなくてもその効果は同じである。だから、われわれは個人にしろ政府にしろ誰に対しても真相を明らかにしなければならない。

われわれの重点は真相を明らかにすることで、真相を明らかにすることにより訴訟過程を促進し、最後の結果には執着しない。われわれの目的はただ真相を明らかにすることである。

いかなる訴訟案件でも、その目的は真相を明らかにすることで、この関係が反対ではない。しかし、われわれが真相を明らかにしたら、真相を知った人々は、当然として法廷の操作プロセスの展開を完成させるだろう。毎一歩の進展は、われわれのやり方が特別だからではなく、整体弟子が正念を持って参与し、一定の範囲内で真相を明らかにしたからである。

われわれは訴訟する機会を利用して、関係する部門の人に真相を明らかにする。例えば、演芸公演の際に文芸界に真相を明らかにしたり、学術交流会の際に学者達に真相を明らかにしたり、国連の活動に参加する際に国連メンバーの国々に真相を明らかにしたり、訴訟案件が深く進行するこの段階の時間を十分利用して、訴訟案件に用いている起訴条文を利用して、法律に関心を持っている団体や人々に事実を伝え、質問を提出したり、解釈したり、論争したりすることにより、全社会の人々に深く思考させる。これらはすべて真相を明らかにする過程で、逃してはいけない絶好な機会である。過程は最も大事な事であるが、その本質は、過程において、衆生を済度し、整体的に正法修煉に参与する小節になるからである。

一部の同修は、法廷の結果に執着しないと言っており、われわれはやるだけで、勝敗は問わず、真面目にやれば勝だろうと言っている。まさに「転法輪」に書いている情況のように、病気に執着せず、真面目にやれば師父は治してくれるだろうと思っているようである。やはり根本的執着は捨ててない。実はこれは簡単な問題ではなく、正法修煉の路を正しく歩めるのかどうかの事である。われわれの目的は明確であり、真相を明らかにして衆生を済度することである。この事を忘れたり、この事から離れたりすると、本当に正法の要求に従ってすべての事を正しくやる事が出来ず、想像出来ない損失までもたらし、宇宙中の淘汰していく巨大な生命群体を最大限に救うことが出来ない。奇跡は整体に漏れない正念正行から生じるものであり、根本的執着を隠したピカピカしている滑らかな表面ではない。

尚、多くの同修は、全面的に真相を明らかにする道理は認めており、本心からもこのように考えていますが、実際の操作においては「好意」や「歩調を合わせる」などを定義的に認識したため、技術操作などの詳細な要求に振り回され(実は法を実証するにおいて常人の要求に振り回される)、たくさんの時間と精力を投入し、どのようにすれば広範囲に真相を伝える効果に達する事が出来るかについては考えない。この方面では、師父が講法に及ぼしているジュネーブ人権委員会の3年間の教訓を、われわれは本当に考え方から教訓を汲み取らなければならず、行動から正面に体現しなければならない。