日本明慧


どのようによく法を学ぶかについての感想

2003年10月23日 文/大陸大法弟子 

【明慧ネット2003年10月23日】以前、よく法を学び、出来るだけ多く法を学ぶために、毎日何講を学ぶと決め量のみを追究して、頭の中は雑念が多くなかなか冷静になれなかった。冷静になれなくても多く読んでいたが、多くの雑念と執着はいつも取り除くことが出来ず、効果も良くなかった。法を学ぶに当たって質を重視せず、量だけを追及していたことに最近になって突然気が付いた。 

私の感想では、法を学ぶ時には、心が静かでなければならない。静かになれば効果が良くなるのである。心静かに読めば、先生の話は自分の心に響き心身が同化して、読めば読むほど冴えてきて、ますます読みたくなり、知らないうちに何講も読み進んでいた。読んでいるうちに、全然個人の観念はなかった。もし心が静かにならなければ、表面では読んでいるが、心身がぼんやりして、雑念も次々出てくる。読み終えてから今日は三講も進んだと嬉しくなったが、ただ読んだというだけで、心が伴ったものではなかった。 

どのようにすれば静かになれるか?私は自分のちょっとした体験をまとめて、同修たちの参考になればと思いここに述べてみたい。 

(1)静かになるように自分を戒めて、一講でも読むと決めたならば、ちゃんと読むこと。少な目に読んでも静かになることは重要である。もし静かにならなければ、それは良くない思想或いは後天の観念などにかき乱されているのではないか? それは“先天の私ではない”、みんな取り除くべき良くないもので、必ず長く持続してはならいのだと自分を戒める。師父の相関法理を暗記し(これは最も重要だ)、主意識を強くもち、それを完全に排除する。それともそれを目指して発正念する。 

(2)雑念の源を探し、辛く感じたり、胸を痛めたりする時は必ず何かの執着心があり、この時には関連する事柄を捕えて、何十回、何百回も繰り返して自分の心を見直し、この心を見つけてから、もっと深い根源を探す:私のために?自分のために?異なる次元の観念?ずっと繰り返して、それがもう自分の心を動かすことが無いところにまで至って、始めて自分を高めることが出来、そして試練を乗り越えることが出来るのだと思う。 

(3)他人に迷惑をかけない場合、声を出して法を読む。しばらくすると、脳は空の状態になり、早く雑念を排除することができる。本を書き写したり、法を暗記したりすることも良い。 
(4)法を読む時に頭がはっきりしてない場合、(例えば眠い、疲れ等)、いくつかの動功をして、眼を覚まさせてから、法を読み、発正念すると効果が良くなる。 

以上は私自身のちょっとした感想で、皆さんは本当によく法を勉強し、形だけではなく心が伴った勉強をし、お互いに自分をより一層高めてほしい。不当なところを、指摘し直してくだされば幸いと思う。