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貴州中八労働矯正所で酷使され、苦しめられた経歴

文/貴州大法弟子

[明慧ネット2003年11月10日]私は法輪功を放棄しないため、三年間不法に労働教養された。貴州中八労働矯正所第六大隊に入ると、髪の毛を切られ、派遣されてきた2〜4名の麻薬常用者に監視された。他人に話かけること、特に他の法輪功学習者と話したり、近づいたりすることを禁止された。更に話をしなくても一緒に立つことも禁止され、特に煉功に対しては絶対にしないよう厳しく禁止された。そして昼と夜に公然監視グループと秘密監視グループに分けて私を24時間監視した。私がトイレに行く時まで彼らは横に立っていた。看守幹部の示唆があるため彼らの行為はわがままのし放題だった。

私の荷物や衣服はいつでも開けられて検査され、良いものがあると直ぐなくなった。監視する犯人はみな看守が選んだもので、私の表情、話、動作などすべてを記録し、看守の違法行為や虐待行為に抗議すると、すぐにもっと酷く虐待された。昼は強制的に軍隊訓練を8時間やり、夜は20分毎に「トイレに行かない?」と言われながら起こされた。

法輪功学習者が煉功したり、経文を暗誦しながら書くと縛って禁足された。両手を背中で組んで縛るが、15分を越えると両手は腫れ上がった。この刑罰を「鳥翼の縛り」と呼ぶ。20分ほど縛られた学習者もいたが、身体の大きい麻薬常用者が縛る時、力を入れて縄を引っ張るとすぐ「アッ」と泣いた。

政府の労働教養の制度は、労働矯正所での毎月一人当りの生活費は85元であるが、小金(労金と言う)5元を引くと、実際の毎月一人当りの生活費は60元にもならない。強制労働には時間と労働量の概念が全く無い。その上仕事の種類の概念もないので、任務(例えば縫い取りなど)を完遂するためには3日3晩眠らせてもらえない。働き過ぎで疲労した人はトイレの便器の上で寝たり、小学生用の机の下でぐうぐうと寝たりするのがよく見られた。2002年10月末、激しい労働に耐えられないため首吊り自殺したりビルから飛び降りて自殺した麻薬常用者がいた。

2002年7月から、労働矯正所の看守は法輪功学習者に残虐に迫害を加えた。第一大隊と第六大隊、禁足大隊に迫害をしたが、50人以上の麻薬常用者を選んで手先とした。昼には強制的に12時間軍隊訓練をさせた。7〜8人の監禁者が水に漬けた軍隊用のオーバーを一人の学習者に何枚も着させて縄でしっかり縛り、殴ったり、押したりしながらそれを引っ張って走った。夜には2平方メートルもない禁足室で、2〜4人が監視し、数人の手先が小さな禁足室にぎっしり詰まって法輪功学習者を強制に立たせ、目を前方に向けさせた。この状態で12時間立たされたが、少しでも動くと殴られた。朝7時になると次のグループに連行されて軍隊訓練をし、7時を境界として繰り返すが、中間に15分の食事時間がある。

気骨のある法輪功学習者は12日間に亘りこのように苦しめられた。

2002年10月末、労働矯正所の看守の違法な虐待に抗議したため、黔南洲の法輪功学習者?傑は中八労働矯正所の専門管理大隊の指導員である楊仁ら七人の悪警察に殴られて意識不明になったことがある。?傑は身長が185cmで、体重は70キロだが、意識不明になると二人の麻薬常用者は?傑の両膝を地面の上を引き摺りながら、1キロ離れている禁足大隊まで引っ張って行って禁足した。酷く殴られたため?傑の左胸は骨折し、たくさんの靭帯が切れ、両膝はぼろぼろになった。2003年1月になってから、?傑の両膝は治ったが、3月になっても左胸は触ると痛く、右胸とは明らかに高さが違っていた。元旦後、中八労働矯正所はすべての法輪功学習者を新しく造った第五大隊に集中して、迫害を続けた。

法輪功学習者を最も酷く迫害した犯人は、前専門的に法輪功を迫害する専門管理大隊の隊長、新第五大隊の第一中隊の隊長である潘中と、前専門管理大隊の指導員、新第五大隊第二中隊の指導員である黄先躍である。