日本明慧


法を学ぶ心の状態を根本的に清浄にしましょう

2003年11月7日 文/大法弟子

【明慧ネット2003年11月7日】私は法を学んでここ数年の間、いつも法の後ろにある内包を見ることができず原因を自分の中で探す時、形式上で表面的なものをひと山見つけ出すようにしていました。例えば、任務を完成するように学んでいました。各地の法会で再三私達に多く本を読み、多く法を勉強しなさいという師父の講法を読んで、それを過激に理解して、向上のために向上し、基準を達成するために学んでいました。自分自身に存在している問題を解決することを目的に学んでいました。同修の向上を目にして、追い付くために時間を詰めて学んでいました。自分自身の法を学ぶ効果が良くないことを見て、同修を招いて一緒に学ぶようにしました。集団勉強は効果があって多少なりの改善はありましたが根本的な問題を解決することはできませんでした。同修は「あなたの法を読む時の声はとても綺麗ですが気が散っています。あなたの心が変わらない限り何も変えることができないでしょう」と私にヒントをくれました。

その通り私の心には間違いなく問題があるはずです。それは本質上に問題があるのです。長い間、私は問題があるところを見つけ出すことができませんでした。最近ネット上で何人かの同修の大法を利用する問題の指摘を見て、私は深く心を打ち動かされました。詰まった穴が一瞬の開いたかのように私は問題の根元を掘り出すことができました。実際に私もずっと大法を利用していました。

私はまぎれもなく自分の不潔で変異的な考えを見ることができました。

1、大法は生命に無限にすばらしいものをもたらします。私はひとつの追求と憧れ、現在及び未来の素晴らしい生活のために法の中に留まっており、世の中の安逸を楽しんでいました。

2、気が狂った邪悪の迫害がまだ続いている限り、自分の損失を減らして、迫害されないように仕方なく時間を詰めて自ら法を勉強するように自分に要求していました。

3、自分の利益と自分を守るために、自分と自分の世界の衆生が今回の法を正す中で淘汰せず順調に未来に入ることのために法を学んでいました。

4、嫉妬心を持って法を学んでいました。ある同修が法理を悟るのにいちいち筋が通っていて、一部の新しい学習者さえめざましい向上を見せているのに自分は法を学んで数年経っても本質的な向上は大きくありませんでした。それで、自分の加速的な向上のためだけではなく、更に最も主要なのは同修の向上を追い越すために学んでいました。

5、虚栄心を持って法を学んでいました。偶然、同修二人の私の行いがまだ程遠いという話しを耳にして、二度とそんな話しを耳にするまいと思って、無理矢理遅くまで法の勉強をしました。

このようにひとつの強大な「我」のための変異的な心がずっと前から私と大法を切り離していて、如何に努力しても、どんな方法をとるにしても法の内包を見出すことができませんでした。どんなに忙しくても、手元はどれだけの仕事があっても、私は時間を作って法を勉強しました。しかし、それでも良い効果に達することはできず根本的に自分自身に存在しているいくつかの本質の問題を解決することができませんでした。

このような末劫の最後の時期に、このように光栄にも大法に入ることができたのに、私はこの宇宙の有史以来二度とない機縁を大切にしていませんでした。機会は繰り返し損なって、私は大法を自分個人の理想と目的を実現する道具と見なしていました。私は師父と法に対してこんなに尊敬せず、このような不潔で変異的な考えを見ていると私の心は長い間落ち着くことができませんでした。

実のところ、私の先天的な純真で善良な本性はどんな利益も求めず無条件に大法に同化しますが私の後天的な取り除かれていないさまざまな常人の観念と色々な常人の心は多種の満足と実際の利益を得ようとしています。それらは私のここで生存するために私を利用して栄養を取り寄せています。これらのすべての良くないものはすでに暴露されて、私は暴露されたこれらを直ちに取り除いて、本質的にそれを承認せず、それらが引き続き存在することを容認すべきではありません。

連続して何日間、私は毎日正念を発してこれらの廃物を取り除きました。私の心は徐々に落ちついて静かになり始めました。次第に法を読むと法の中の一つ一つの文字はすべて力に満ちており、私の生命のミクロにまで打ち入りました。次第に法を聞いても、師父の一つ一つの言葉すべてが宇宙の幾重にも重なる空間に響き渡っているようで、深く私を揺り動かしました。もともと、過去の私はすでに浮世に埋められて、遅遅として取り除いていなかった根本的な執着に左右されて、後天の変異な「我」のためを思う考えに制約されて、片方の足はすでに空踏をしていました。今日、自分を見直して清浄な心理状態で大法に同化することができて本当に安心と喜びを感じています。

そうです。根本的に自分の心を清浄にして、法の中に溶け込むことができるのなら、私達は異なる次元で大法の後ろに広くて深い学識が内包していることに目覚めることができるのです。