日本明慧


師恩── 一人の新しい学習者の修煉体験

文/中国大陸の学習者

【明慧ネット2003年11月7日】

*大法との出会い*
 
今年の5月、インターネット上で一人の友達と知り合った。彼は法輪功の学習者であり、ネット上で人々に法輪功が迫害されている真相を伝えていた。私は迫害に対する自分の同情を表明した。
 
実は彼が言わなくても私もよく知っている。共産党は自分が好きでないものをいつも残酷に弾圧してきた。私は法輪功を勉強するつもりはなかったけれども、彼の信仰を尊重し、彼の人格に敬服している。
 
我々は何でも自由に話し、良い友達になった。互いに顔を見たこともなく、名前も住所も知らないが、互いに心を通えることができると信じている。

私の母は重い心臓病に罹っており、広範囲の心筋梗塞、二度も危篤状態に陥り、救急治療で生き返った。医師さえも母の生命力に感心した。だが、医薬で母の命を維持することはできたが、正常な生活を回復させることはできなかった;退院しても、ベッドから離れられず、極度の衰弱により、歩くこともできず、トイレも、お風呂も一人ではできない;食事は僅かしか食べられず、肉や牛乳等のような栄養食品もまったく食べられない;心筋衰弱により、夜は寝むれず、横にもなれず、坐ったままで休むことしかできなかった。
 
病気の苦痛により、母は生きていくことを辛く思うようになった。何回も家族に“今度病状が悪くなったら、もう救急治療をさせないでね。そのまま安らかに行きたいから”と言った。この話を聞く度に、私の胸はいつも詰まった。
 
このネット上の友達が私に『転法輪』を送ってきて、お母さんに読んでもらって、何か役に立つかもしれないと勧めた。

*新しい生命*
 
私は早速『転法輪』を母に差し出して、 “たくさんの不治の病に罹っていた患者がこれによって健康を取り戻したよ”と言うと、母は私をとても信頼していたから、話にきっと道理があると信じて、真剣に本を読み始めた。
 
父はこれを知ってから怒り出し、“本を焼いてしまうぞ”と言い放ち、 “これで首が飛ぶことだってあるぞ。あんただけが刑務所で苦しむだけでなく、家族も巻き添えになる。娘は職場を首にされるかもしれないし、家族全員が虐められるよ”と父は言った。厳しい社会環境によって、父は殆ど理性を失ってしまっていた。父は本を読むだけで病気がよくなることを当然信じていなかった。
 
数日後、私は実家に帰った時、“どのぐらい読んだの”と母に尋ねた。母は“もう読んでない、本もお父さんに焼かれた”と言った。私は吃驚して、 “本を渡さなければどうやって焼かれるの?”と母を叱りながら、私は涙が流れ出した。私の悲しそうな様子を見て母も泣き出した。そして、母は“本は焼いていない、隠しているの”と言った。実は父の話を聞いて母も恐ろしくなり、先のような話をした。
 
私は母から本を受け取って自宅に持ち帰った。悲しさと無念さで胸が一杯になった。“お母さん、私はこのままでこんなに早くお別れしたくない。もし師父に救ってもらえなかったら、もうお母さんを救える人は誰もいないよ”と私は心の中で叫んだ。
 
三日後、奇跡が現れた。母の病状は不思議に良くなって来た。ベッドから離れて一人で歩けるようになり、次第に自分でトイレにも行かれるようになった。食事の量も増えてきて、肉も牛乳も食べられるようになった。身体の調子は日に日に良くなってきた。
 
私は心の中で分かっていた:これはきっと師父が母を助けてくださったのだ;大法の神秘な力が母を生き返えらせたのだ。だが、母は大法の力を信じておらず、どうして病気が良くなってきたのか何にも知らず、ただ日に日に良くなっていることを実感していた。一ヶ月も経たない内に、母は身の回りのことが全部自分でできるようになった。三ヶ月後、炊事もできるようになった。四ヶ月後、すべての家事ができるようになった。この間に、私の再三の要求によって、母は断続的に『転法輪』を一回読み終わった。
 
私は徐徐に母を説得し、修煉によって起きたたくさんの奇跡の資料を母に渡して読んでもらい、同時に私の法を勉強した感想を話した。また、法を得てから母の身体の変化を以前と一つ一つ比べてみて、徐徐に母にも分かってきた。それからの母は毎日『転法輪』を一講ずつ読み、すでに2回通読した。
 
ある日、私は実家に帰った時、母は『精進要旨Ⅱ』を持ち出して、「私の一点感想」と言う文章を開いて言った:“素晴らしい!私は何回読んでも涙が出てくる。なんて素晴らしい人!なんて素晴らしい師父!”母はもう声が詰まってしまった。私はこれから師父の国外での講法資料を母に渡すと言うと、母は“急がなくてもいい。もう何回か『転法輪』を読んでからにしよう。師父の言われたように『転法輪』を中心にして、他の本を参考にして学んだ方がよいでしょう”と言った。また、母は煉功の動作を教えて欲しいと私に頼んだ。“動作ができたら公園へ練習に行き、毎日正々堂々と練習し、師父と法輪大法により新しい生命を授かったことを人々に伝え、すべての人に法輪大法の素晴らしさを知ってもらう”と言った。
 
母の話を聞いた私はとても嬉しかった。私は今まで母のことを業力が多く、悟性が悪い、恩を知らない人だと思っていたが、慈悲深い師父は母を見捨てなかった。母の身体も浄化され、幾度も悟りのチャンスを与えてくださった。だが、私たちは師父のために何をしたか?何にもしていない。師父に感謝する気持はどんな言葉でも表すことができない。師父に恩返しすることが永遠に出来ない。

*本当の家に帰る*
 
法輪大法は私の人生を変えた。 
 
大法を修煉し始めたのは、私にとって病気治療などの目的は何にもなかった。私の人生は割合順調であり、身体も健康で、仕事にも家庭にも満足している。特に足りないものは何にもない。当初、母の病気を治療するために私は『転法輪』を読んだ後、若くて美しくなるために修煉を始めた。
 
私はすべての大法の本と師父の経文を、毎日夢中で読んでいた。師父の知恵と奥深く博大な法理に引き付けられて、しかもまったく疑いもなく信じている。だが、私は修煉できるのか。完全に大法の要求に従うことができるのか。自分自身に対しては疑っていた。
 
私はたくさん執着があり、情に対して特に執着している。現実の誘惑、未来の幸福への憧れが大法の要求との矛盾を生じている。
 
修煉すれば、これらの執着を捨てなければならない。しかし、私は山ほど重い情に抑えられて、なかなか抜け出すことができない。私は何回も心の中で呟いた:もしかしたら私は現世で修煉に無縁なのかもしれない。
 
しかし、ある日私は突然その重い情が心の中で軽くなってきたことに気がついた。より多くの時間他のことを考えるようになり、仕事と家庭が生活の中心に戻ってきた。静かに法を学び、煉功することもできるようになった。慈悲深い師父の助けがなければ、私自身の力でこの変化をやり遂げることは不可能なことと分かっている。
 
心身の変化から、大法の超常に感服せざるを得ない。師父が本の中で書かれている修煉中の反応と可能な出来事を私は殆ど全部経験した(天目以外に)。例えば身体を浄化することや、危険な事故に合っても無事であったこと、座禅の時の足の痛さ、潅頂など、師父の話されたことは全部真実であることを確信した。
 
修煉を始めてから、修煉の苦しさを感じたことは全然なかった。却って大法の中で修煉できることが人生の最大の幸せだと思っている。修煉してから、たくさんの道理が分かって、人生の歩むべき道が分かり、人生の本当の意味が分かり、自分の美しい未来も見えるようになった。今まで何十年の人生の中で、これらのことを誰も教えてくれなかった。ささやかなことのために人と争ったり、曖昧な夢や憧れを求めるために自惚れたりして自己満足していた。振り返って見れば、全部時間を無駄に潰してしまっていた。
 
すべての執着を捨てて、一心に目標を目指して前進することを決意してから、今までにない幸せな感じが胸に溢れた。私にとって修煉は苦しいことではなく、何よりも楽しいことであり、まるでやっと手に入れた成果を楽しんでいるかのようである。なぜかと言うと、一度魔難を経験すれば、一歩前進したことになり、一歩前進すれば、一歩自分の目標に近づいたことになると実感しているから。
 
修煉は苦しいことであると言う人もいる。そうかもしれない。夜中ぐっすり寝ている時に起きて煉功することは確かに苦しい;人に無実であるのに悪口を言われても、言い返すことができず、また自己反省しなければならないことは更に苦しい;圧力と恐怖の中で生活することはもちろん苦しいことである。だが、朝日に向って歩いている私は、この先の永遠に美しい未来を考えれば、この一瞬間の苦しみは何とも思わなくなる。且つ、苦しみの後に必ず楽しいことを迎えることができると思えば、更に希望が満ちてくる。その美しい未来は、即ち師父について本当の家に帰ることである。

*小弟子*

法を得た喜び、師父に対する敬服と感激により、私は自分の子供にも大法の中で修煉するように強く望んでいた。夏休みに毎日一講『転法輪』を読むように息子に要求した。息子はまだ小学生であるが、結構法理を理解できているようである。時に私は本の中の内容を聞いてみると、いつも適切な答えを返してくれる。

本来なら息子に少し知ってもらうつもりだったが、しかし息子はかなり真剣に勉強し始めた。大法は同様に子供を変えた。学校での勉強はより努力するようになり、宿題も真面目に完成するようになり、友達との付き合いもうまくなった。同級生との争いはなくなり、人に虐められても我慢できるようになり、積極的にクラスの世話をし、苦しいことを気にしなくなった。しかも息子は大法の基準で私に要求し、度々私の歓喜心や顕示欲を指摘していた。
 
息子に功法練習を一、三、五セットしか教えていなかったが、学校に通う利便さのために私の実家に下宿している息子は父の反対があるため、音楽を流しながら煉功することができない。煉功する時、人の目を避けなければならない。それで、長い間私は息子の煉功の様子を見たことがなかった。しかし、ある日息子は自分が毎日煉功していると言った。私は自分の耳を疑った。子供は“本当だよ!自分の部屋でドアを閉めて練習している。第5セットを10分間、1、3セットを一回だけ練習している”と説明した。私はやはり信じられなくて、息子が一通り練習して見せてくれた。実にうまく出来た。口訣もしっかり暗記できたし、第1セットの各動作の名前も全部覚えていた。

昨夜中央テレビのスポットインタビューの番組で新たな嘘を作って大法と師父を攻撃していた。私はこれに対してとても憤慨した。息子は案外冷静だった。私は息子の幼い心を毒害されると心配して、嘘ばかりだから、信じないようにと言うと、息子は“分かっている。私は師父の言われたことだけを信じる”と答えた。この簡単な言葉は私に何によりの慰め、励ましを与えてくれた。

その日、学校の宿題はサイエンスフィクションの作文を書くことであった。テレビを見てから、息子は作文を書き終わり、私に見せてくれた。私は読みながら涙を流していた。 

息子は一人の修煉者が仙人になった物語を書いていた。この修煉者はたくさん良いことをして、業力が消され、沢山徳を積んで最後にやっと仙人になれた。 

私は子供が何にも分からないと思っていた。学校の洗脳宣伝により彼が大法に対して誤解を生じるのではないかと心配していた。だが、子供はしっかり善悪が分かっている。

真相を説明し、大法を実証する時に、私は主に口を使ってやっているが、息子は心を使って黙々と自分で行動し実践している。息子はまだ子供であるのに、心の中でよく分かっている:法輪大法は素晴らしい!師父に恩返しすることは私には永遠に出来ない。