日本明慧


師の恩を思い起こす

文/台湾大法弟子

【明慧ネット2003年11月10日】これは2002年の春の事でした。2000年10月から法を得た後、家族全員5人は次々と心身ともに恩恵を受けており、心の中で先生に対して感謝の気持ちを表す言葉がありません。米国でちょうど法会が行なわれ、私は自分の師の恩に感謝する気持ちを手紙に書いて、同修に頼んで先生に差し上げました。封筒に一つのおひねりを入れて、いささかの気持ちを表しました。おひねりのことは同修には告げていませんでした。だからその時彼女は決して事情を知っていたのではありません。

しかし彼女が帰国して家に着いてすぐ電話をかけてきて、彼女の家に行くことを約束しました。彼女の家に入ると、彼女はおひねりを持ちながら言いました:「師父はどうしてこれを戴くことができますか?師父はどうして弟子からお金を受け取ることができますか?」と師父に言われました:たちまち私は涙がほろほろと流れました。私は別に先生が受け入れてくださらないことを悲しむのではありません。その時私の心の中に一つの思いが浮かんできて、なんていい先生でしょう?どうして弟子からの贈り物が要らないという先生がおられますか?
 偉大な先生は私達に沢山の本当に沢山のことをしてくださり、私達のために耐えられた苦しみは言葉では言い表せません。師父は本当に慈悲深くていらっしゃいます。

師父は、一億人の大法弟子がいる。一人一人が一元ずつ差し出せば、億万の金持ちになると言われました。しかし師父はお金は要らない、私たちの心しか看ません。あなたが修煉さえすれば、師父はずっと助けてくださいます。師父は私達を地獄から救い出して、絶えず私達の罪業をきれいに洗ってくださっています。私達はどうして業力を自分の体に加えることができるでしょうか?ただ先生の按配された道だけを歩み、旧勢力の按配する道は進まず、邪悪を隙に乗じさせず、執着を放下し、自分の道を歩んで返本帰真します。尊師の済度を無駄にするものですか。

個人の悟りで、慈悲でご叱正を願います。