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大法弟子の難攻不落は法の勉強上でも同様に現れています

【明慧ネット2003年11月22日】私は自分が遭った様々な問題に気付いていましたが、後天的に形成された固定観念にとらわれてこれを打ち破ることができませんでした。これらはすべて法をよく勉強しなかった私と緊密に関係があるのです。

多くの場合、私は表面的には忙しそうに見えるけれど、実際は常人の些細な事が私の生活をいっぱいにしていました。しかも、法を勉強し始めると、いつも波のような物質が私を何度も襲いました。そして私と大法を切り離し、私の意識をはっきりさせませんでした。このような状態は度々現れました。

この世に比類のない大法弟子として、私は本を読んでも法理が悟れず、いつも法の内涵を見ることができないことはとても苦しいことだと、十分に知っています。近ごろ自分の中に原因を探し始めて、私は自分の中に大きな問題があると認識しました。常人の観念があるから邪魔をされ、利用されるのです。私は邪悪の迫害に直面しても多くの大法弟子の心は純粋であり意思は盤石であると思っています。法の勉強上でも同様に大法弟子の難攻不落が現れるのではありませんか?動揺することなくしっかり法を勉強していれば、私達は法を実証する中で正しい念で正しい行いができるのです;動揺することなくしっかり法を勉強していれば、私達は全体の損失をもたらされないのです;動揺することなくしっかり法を勉強していれば、私達は自分にある多くの本質的な問題と変異を根絶することができるのです;動揺することなくしっかり法を勉強していれば、師父が私達に与えてくれた知恵と能力を思い通りに使うことが出来、私たち正法時期の大法弟子が存分に力を発揮することができるのです。

私はどんな邪魔も受けず最後まで堅持すると、心に決めて、再び本を取った時、誰も私の心を動かすことは出来ませんでした。読み始めた頃は自分で外からの妨害を排除して、続けて読もうという心を固めていましたが最後にはこれらのものが存在しなくなりました。そしていつの間にか続けて3章まで読みました。実のところ、法を勉強する窮状と苦しい立場を変えることはそれほど難しいことではありません。難しいのは心が外因の言いなりになってしまって、適切に打ち破ることができないことです。法をしっかり学び、心を固めると情況は変わって、すべてが順調になります。