日本明慧


修煉の道における本当の妨害

文/純曲 

【明慧ネット2003年11月28日】 一時期、心に不満がいっぱい溜まっていたことがあった。例えば、あの人はどうしてそのようにするのか、それは修煉者がやるべきではないことなのに、このことはどうしてうまく行けないのか、そのことは私に対して大変不公平である、また邪悪の邪魔なのか、どうしてこんなに疲れるのか……
 
様々な不満を考えているうちに、私は自分の捨てきれない執着心によって悩みやトラブルを起こし、自分の前進の道を妨害していることが分かった。根本から執着を捨ててなかったので、修煉はなかなか進まなかった。
 
また、後天に身に付けた思考方式を用いて物事を考えていることによって、自分が自分を封じ込めて、宇宙の真相が見えないことも分かった。
 
実に自分の前進の道を妨害しているのは、他の人や外在の要因ではなく、自分自身である。つまり、自分のまだ放棄できていない常人の観念である。
 
法を得る前に常人社会で形成した利益を求める観念と行為が、修煉してからも存続しており、問題が起こったら、法に基づいて対処することができなく、知らないうちに観念と感情に左右され、後天の思考パターンに従って考えてしまう。
 
このことを自覚してから、なぜよく疲れを感じるのか、なぜ他の学習者は私の話しに対して不自然さを感じるのか、なぜ正念を発する時に力が制限され、束縛された感じがあるのか、なぜ法を実証することがうまく行かないのか、なぜ真相説明の効果がよくないのかなどのことの原因が分かってきた。今まで自分が自分の固定観念の中に閉じこめられていたのに、自分はまったく自覚ができず、他の学習者に指摘されても真面目に聞き入れず、口実をみつけて他人の指摘を断っていた。
 
自分の悟りや認識を過信し、自分の向上と更なる高次元の法に対する要求、固定観念への服従と自我存在の強調などの執着心を放棄してから、周りの環境も変わり、すべて穏やかになった。そして、常人の善意も感じるようになり、他の学習者の意見も聞き入れるようになった。見栄を捨てて、先ず身の回りのささやかなことをしっかり出来るように再スタートした。結果と利益ばかりを追求する執着心を捨ててから、法を実証する時、以前のような難しさがなくなり、案外簡単にできるようになった。
 
他人がどう、世界がどう、環境がどうではなく、自分に問題があるからそうなっている。自我の枠を破って、固定観念を捨てて、快く進めば、必ずすべてが変わってくる。