日本明慧


善解

文/善熔

【明慧ネット2003年12月27日】長い歴史の中、生々世々の生まれ変わりを通じて、誰もが人を殺したことがあるかもしれない。すべての物質に命があるという観点から見れば、傷害された生命は数え切れないだろう。正法修煉は、輪廻転生の苦界から抜け出すことなので、これらの生命から仕返しをされる可能性がある。従って、われわれは修煉の過程で様々の魔・難に会い、命の返済まで求められることがあるかもしれない。失わなければ得るものはなく、借金したら返さなければならない、これは宇宙の理である。

われわれ大法弟子の修煉はこれまでのあらゆるものと違い、われわれの修煉は宇宙天体の正法時期にあり、生命を救う使命が与えられている。われわれには、命の借りがあれば自分の命で返さなければならないということは既にしなくても良くなった。師父は修煉者の修煉成果、即ち殺傷した生命に対して福報をするという万古にない機縁を与えてくださった。師父は:“皆さんに教えますが、師父はどんなことをも善解することが出来、学習者がその生命に何かの借りがあれば、私は学習者を手助けし最も良い物をその生命に与えてあげます。学習者にそれがなければ、師父である私から与え、その生命が福報を得るようにします。死んだことによって天から福報を得ることが出来るようになって、これで更に良いことに変わったのではありませんか?” (2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説) 私たちは長い歴史の中で命の借りとの悪縁等は師父が全部善解してくださった。真に大法を修める弟子はみなこの“善解”を通じて、師父のわれわれ弟子及び衆生への広大なる善を感じることが出来る。

しかしながら、過去に傷害された生命たちは旧宇宙の生命であり、宇宙正法の真相および師父が生命を“善解”する真意を理解出来ず、これらのことの真実が信じられないものもいる。彼らにとっては、“命に命、お金にお金”のように、借りがあればそれで返すのが唯一の理であり、師父の新しい宇宙の理を理解する前に、旧宇宙の法則に従ってそれを返すように求めるだろう。これは師父が説かれたように、“しかし、その生命の恨みが重すぎ、どうしてもそれにこだわり、天に昇らせてくれるなんて、神にしてくれても欲しくない、仇を討つしかないと思っていれば、問題は難しくなります。皆さんが考えているほど簡単ではないのです!”(2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説) たとえば、傷害された生命が善解を求めず、あなたに命を返してほしいとしよう。われわれは師父に守られているから、当然なことに命をとることは許されず、実際起こりえないが、あなたがその生命に与えた精神面の苦痛に対しては償わなければならない。もしその生命が当時惨めに死んだとすれば、あなたに対する恨みも非常に大きくなり、強行に命を求めて来るかもしれない。あなたは体のある部分若しくは全身に痛みを感じ、時には痛烈に感じることもあろう。この時あなたはこれが善解すべき生命だとの認識がなく、それに対して謝り、洪法、真相を伝えるという一連の行動を起こし、師父の善解に協力しないで、それを邪悪による迫害(邪悪による迫害もあるかもしれないが)として取り除こうとすると、その生命は、“私に命の借りがあるにもかかわらず私を消そうとしている”とし、あなたの心性が良くないと思い、恨みが膨らむかもしれない。また、旧勢力はこの隙を狙ってそれらの生命を利用しあなたへの恨みをさらに膨らませ、場合によっては直接あなたの正法修煉を妨害し、問題を更に複雑化する可能性もある。

師父が“善解”について法を説かれた始めの頃は、私はまだ法に基づいて認識出来ず、根本的に問題視しなかった時もあった。体の調子が悪いと発正念をして取り除くようにしたが、効果がなかった。その時は自分の功力が足りないと思っていたので、周囲の同修に助けを求めた。それも効果がない場合は師父にお願いをした。しかしそれでも効果がない時があった。どうすればよいかわからなかったが、実際、これは全部師父の“善解”に関する法理について理解出来ておらず、行動に反映出来なかったからである。
ならば、どうすればよいのだろうか?師父は法の中で:“正しく歩むことさえ出来れば、実は私は全て善解することが出来ます。私はその極端になった心を良くすることが出来、これ以上自分の命を欲しいと思わないようにすることが出来ます。なぜならば、私は法をもってその生命の心にあるしこりを解(とか)すことが出来、私にはどんなことをも出来ます。しかし、皆さんに一旦執着がありそれを放下することが出来なければ、それを解すことが出来ず、師父にも持て余すのです。” (2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説) これで分かるが、師父が悪縁を善解してくださる時はわれわれ自身がどう行動するかは非常に重要である。一人の生命にとって、われわれが正しく行動したことによって、歴史上の悪縁はすぐ善解出来、その生命が新宇宙の生命になる可能性があるが、われわれが執着心を放下出来ず、恨みを解消出来なければ、この生命は絶えず借りを返すように求めに来るだろう。これは師父と共に正法を妨害するだけでなく、この生命が罪を犯し最終的に淘汰される可能性もある(彼は善解を認めず、あなたを邪魔する過程では既に正法に対する妨害と破壊になる)。
 
同修と交流していると、同じく「善解」との点でよい行いが出来ず、長期間にわたって関から抜け出せない人がいた。一緒に法を勉強し、交流していくうち、傷害を受けたそれらの生命たちに洪法し、真相を伝えることにした。一回目では駄目でも、二回目、三回目、最終的には私たちの善の念で彼らの中の恨みは法の力で溶けていった。

このような悪縁が善解された典型的な例がたくさんある。ここで自分の例を紹介したいと思う。ある日、同修たちと交流した時のことだったが、ベッドへ上がろうとした時強烈な腰痛を感じた。骨がずれたような感覚で、まったく動けなくなった。以前にも何回かあったが、こんなに重いのは初めてだった。同修たちは直ちに発正念をしてくれたが、効果はなかった。この時天目が開いた一人の同修が古代人の服装をした子供が別空間の私の体から骨を一本取ったのを見た。この同修は:“どうして大法弟子を迫害するのですか?”と聞いたが、子供は:“この人は私に命の借りがある”と答えた。同修は:“この人は正法弟子です。あなたのこういう行為は許されませんよ。彼は自分の修煉成果であなたに福報をします。李洪志先生の善解の法を知らないのですか?”と聞くと、子供は:“私はただどうにも腹にすえかねる。当時私があんなに無残に殺されたにもかかわらず、今私を消そうとしています(正念を発されている)。彼は悪ではありませんか?”と言った。同修は:“それでもどうかお許しください。彼には見えないのです。邪悪による迫害だと思っています。でなければ・・・・”と言いました。

ここで私は悟った。直ちに彼に対して洪法をし、真相を伝えた。まず彼に残念の意を表し、歴史上私が傷害を与えたあらゆる生命に対して侘びの意を表した。これらの傷害により生じた家族の不幸、本人達が受けた苦痛に対して理解及び同情の意を表した。それから、彼をはじめ、私が傷害を与えたすべての生命に対して善解し、自分の修煉成果で福報をしたい、私は出来なければ師父が与えてくださった、この機縁を大切にしてほしい、との態度を表明した。また、彼の行動が誤っており、旧勢力に利用されやすいことと、これは大法弟子や、師父とともに正法及び衆生済度を妨害するだけでなく、自分の永遠なる生命に対して無責任であることを伝えた。最後に、彼を含むすべての生命に正法の真相を伝え、宇宙のすべての生命が「真・善・忍」の大法に同化し、自分達を旧宇宙の法理の束縛から解放してほしいと伝えた。

立板に水を流すように説明していたところ、私は既に腰痛が治った。私はその同修に:“善解しましたか?”と聞くと、同修は:“彼は帰りました。心の傷はまだ完全に治っていないようです。あなたが言ったことは正しいが、善心はまだ足りないようですね”と。そこで私は師父が「精進要旨」の「はっきり目覚めよ」の法を思い出した:“わたしがいつも言っているように、ある人が他人のためだけを思い、しかも自己の目的と認識を少しでも抱かなければ、言った話は聞く人に涙を流させます。わたしは皆さんに大法を教えただけではなく、わたしのやり方も皆さんのために残すもので、仕事の時の口調、善の心、それに加えて道理が人の心を変えることが出来ますが、命令では永遠に出来ません!”師父の法に照らし合わせると、私は彼が納得出来ない理由が分かった。私は心の中が純粋ではなかったのと、態度も先生が生徒にものを教えるように硬かった。彼にとっての永遠の生命に責任を持って理解・同情・助けるのではなかったからである。

3日目に彼(子供)はまた来た。前の時と状況が似ていて、私が話した内容も前とほぼ同じだったが、今回は私が先を争って絶えずしゃべったのではなく、心静かだった。頭で考えて話すのではなく、心の奥から自然に流れて出るようだった。彼は泣いた。心の傷跡が溶け、善解を同意した。子供は大昔私の肉親だったが、旧勢力が演出した商朝の末周朝の初めの時期に私と肉親同士の殺し合いの惨劇を演じた。3000年過ぎても恨みが忘れられなかったが、今回で善解出来た。後で知ったことだが、子供が:“李洪志先生、父と私が善解した。父と私が善解した”と喜んで話したそうだ。これを聞いて私は涙が止まらなかった。私は救われた永遠なる彼の命をうれしく思った。

私は子供にこう言った:自分の経験で未だ大法弟子と善解しないで、妨害している生命に説明してください。彼らが転ずるように説得してください。子供はこれを喜んで受け入れ感謝してくれた。

それ以降体の具合が悪くなって(心性上の重大な問題の時を除く)、発正念でも効果がない時は、私は善解のやり方を取るようにした。効果も良かった。その後、受身の姿勢から積極的に善解をするようにし、自分及び全ての大法弟子が傷害を与えた生命に洪法するようになった。さらにその後、宇宙のあらゆる生命(動物・植物・物質系の生命)に洪法するようになった。彼らに正法の真相を知ってもらい、自分たちのいるべき位置を教えた。私には見えないし聞こえないが、この形の洪法及び真相を伝える効果を法理上で認識出来、心の底から感じることが出来る。私はこのように悟った:宇宙衆生を済度する大法弟子にとっては、中国人に真相を伝えることは非常に重要である。しかしながら、世間の常人を救助するだけでは足りないのである。宇宙の中の衆生はすべて毒害され、汚されているので、すべての衆生に真相を伝え、彼らを旧宇宙法理の束縛から解放し、大法に同化しなければならない。これは正しく自分の道を歩き、執着心を放下する過程であり、衆生を慈悲で済度する使命を果たす過程であり、真の意味で師父の生命への善解を手伝う過程である。