日本明慧


私たちは常に一体です

文/Jerry

【明慧ネット2003年12月17日】前回のアメリカ南東大法交流会は2年前にフロリダ州で行われました。その時の私はまだ修煉し始めたばかりでした。当時いろいろ感じましたが、わたしが最も印象に残ったのは、正法時期の修煉者としての責任についてでした。

私は2001年5月、つまり交流会の7ヶ月前に大法にめぐり合いました。交流会直前に、フロリダ州の調整役の人がほかの州に移住することとなり、私に後任を頼んできました。私はまだ大法を学んで間もない時期だったので、適任かどうか心配でした。しかし若し私が適任なければ、師父がこのチャンスを与えてくださらないのだろうと思うと、心の中は落ち着いてきました。

この2年間、フロリダ州で行った大法実証のイベントでの調整役を務めてきました。うまく対処できなかったことや、師父からこの仕事を任された時の初志すら忘れたことがありました。簡単に言えばこの期間を利用して衆生を済度し、自分の心性を高める機会を数多く逃したことです。同修たちと共に頑張って今日まで歩んできました。ここでは敢えてお互いの意見の不一致と論争のことは省略します。

私は未だにフロリダ交流会のときのある弟子が体験を語ったときの自分の気持ちをよく覚えています。彼は天安門広場に行った36人の弟子の一人でした。私には彼の善心を感じることができ、自分の状態と比較して恥ずかしかったのです。そこで私はそばの同修にこう言いました:この36人の同修たちを尊敬しています。彼らは太平洋を横断して自分たちの正法の道を見つけた。彼は私に:"天安門に行きたい人がいますよ。一緒に行きますか?"と微笑んで言いました。

前の調整役の人から後任を頼まれたときと同様私は深い考えに陥った。"私は心の準備できたのか?こうなったらどうする?ああなったらどうする?"こうして私は躊躇してなかなか決められなかった。その時もう一人の同修が善意を持って私に:"あまり深く考えても・・・行こう!"と言ってくれました。昼食のとき、私は兄にこのことを話しました:バレンタインの日、世界中各地の弟子たちが天安門に集まろうとしています。私たちも彼らと一緒に行くべきです。

こうして私たちはこの旅の準備を開始しました。できるだけ多く法を勉強し、煉功しました。オーランドからも行きたい人が出てきたので、私たちはほかにも二人の同修を呼ぶことにしました。その中一人は行くことにしましたが、もう一人は現地に残り、マスコミ・政府部門との連絡役を務めることになりました。天安門にいく真意を完全に理解できたのは後のことでしたが、こうして私たち4人は一つのグループになり、準備にかかりました。

かなりの時間を使って一緒に法の勉強をし、交流、発正念をしていく中、私たちはお互いが全く違う4人だということが分り始めました。兄と私の間ですら法についての理解の程度がかなり違っていたし、また「彼らと私とも理解の差があったので、これはきっと彼らが間違っている」と思っていました。

旅立つ日が段々近づいてきました。私たちは法に対して益々信念が固まり、法に溶け込む楽しさを感じると同時に、これまでにない厳しい試練が待っていることもわかっていました。プレシャーの中の私たちには更なる心性の摩擦がおきました。そのときは相手の執着しか見えなくて、正念も強くなかったこともあり、一緒にいるのが苦痛に感じていました。この4人のグループで実際行けるかどうかを疑うときもありました。

それでも私たちはある信念を持っていました:相手に対して忍耐の心を持ち、相手を助けて一体になって精進できる、と。自分たちの中では、「師父が私たちに一緒に天安門に行くことを按配してくださいました。この4人は一番よいコンビです。」

試練が続きましたが、共通の認識を持っていると、お互いにうち解けあうようになりました。邪悪に勝手気ままに妨害され、天安門に向かう道には正と邪の戦いが満ち溢れていました。師父に助けられ執着心を放下しながらも、旧勢力に1つ1つの執着心を取り出されて論争を繰り返され、「君たちは及びではないよ」と言われ続けました。私たちは毎回理性と正念を持ってそれを除去しました。

準備はあくまでも準備であり、やがて旅立つ日が来ました。北京がこことどう違うかうまく説明できないが、邪悪の本拠地に入ったような感覚で、旧勢力の悪の手に包まれて、別空間で刺されているような感覚でした。もはや迫害が始まろうとするところでした。

天安門に行くまで私たちは北京で4日間滞在しました。毎日心性が高まると同時に違いも段々大きくなってきました。私は意識的に自信を持つようにしましたが、残りの人たちに対しては完全に自信がなく、いや、お互いに信じられなくなったような状態になってしまいました。なぜなら、一人でも間違えば、4人とも逮捕される可能性があり、しかも、私がいろいろなことに対して彼らと異なる理解をもっていたからです。そこで私は単独に行動したほうが力をもっと発揮できると考えました。こうすれば一人一人がもっと「自由」で、もともと同意できない意見も聞かなくて済むし、集中できるからです。そして正念をしっかり持つことができると考えました。

その後私たちは「これこそ旧勢力が求めている状態だ」と気がつきました。そこで改めて意見交換をしました。私たちが中国に行く目的は1つで、大法修煉者としては、北京に行くのは修煉の一部であり、法を実証するためです。常人の考えを持っているのは言うまでもないが、この過程においてはなるべく除去するようにしなければなりません。

ホテルにいた4日間に起きたことの全ては私たちが一体になるために経験しなければならないことでした。表面上では、部屋中に私たちの執着、観念、心配、怒りで満ちていて、旧勢力に火をつけられればすぐに爆発するような火薬倉庫のようでしたが、別の空間で起きているのは、私たちがお互いを切り離そうとする要素を取り除くことでした。表面上ではますます離れていくようにすら見えたのですが、実際は、私たちが段々破られない、心性純粋な一体になってきたのです。

一体になったことによって、一人一人が心の中の障害を乗り越えることができました。正法の過程で、私たちを阻害するのは外部の要因ではなく、自分自身です。同じように、正法そのものはただ単に1つの行動のことだけではなく、自分のレベルを突破し、心身を高め、さらに高い基準に到達することです。この4日間は私たちにとって非常に早いスピードで高まると同時に、錬炉の中で苦しみを存分に味わっていたような4日間でした。違うのは私たちが焼け尽きたのではなく、煉り上げられ、高められたのです。これもその後赤色悪龍を恐れなかった理由です。

私たちはホテルを出るそのときもこういった一つ一つの細胞が各種の情の中で浸透される状態でした。ホテルで最後に発正念したときは、異常な程の緊張を感じました。

発正念した後、私たちはお互い掌を当て励まし合いました。そして、ドアを開け、外の世界に面したときは完全な変化を感じました。いくら破られようと、どんな邪悪が離そうとしても私たちは一体になっていました。一歩進むたび無数の邪悪物質が砕けていきました。自分たちが誰か、なにをしにきたか、心の中ではっきりしてきました。私は自分たちの最後の執着も排除でき、最終的に堅実な一体になったと感じました。私たちは神のように目的地に向かいました。

私たちには、天安門広場という場所は正義の叫びをすれば世界のどこへでも聞こえる場所なので邪悪が必ずいることは分っていました。遠くから広場・その周り・歩道、どこも警察や私服警官が歩いているのを見ると、少しの怯えが襲ってきました。これは天安門での最後の関でした。

天安門に通る地下通路に入ると、壁になっていた警官たちに止められました。4人は分断されました。私は前を歩いていた2人の同修が警官の尋問を無視して通ったのを見ました。彼らは神のように階段を上り、太陽の光の中に消えて行きました。警官全員が私のところに集まって来ました。私も何事も言わず、まっすぐ階段を上っていきました。最後の段に上がったとき、兄は私の微笑んでいたのを見ました。

当時の感想はうまく表現できませんが、自分が師父の「洪吟」の中の「笑」を読むような感覚でした。2時3分前、ちょうど弟子たちが皆広場の中心部に立ち、一斉に横断幕を広げる時間でした。私たちが所定の場所に向かっているとき、強いエネルギーの場で自分たちは警官から分断されました。別空間の邪悪は狼のように吠えて、私たちを止めようとしましたが、それらの悪は私たちの善に触れることもできませんでした。全てが私たちの正念に制約されています。もう2人の同修も私たちのように歩いていました。静かな足音の中私たちが一体となり、お互い目と目を合わせました。計画とおり、2時丁度、全員が天安門広場の中心に集まりました。完璧です。

私たちが一斉に横断幕を広げ、全身の力を出し、「法輪大法はよいものです(法輪大法好)」と、千山万水を越えて言いたかったことを叫びました。

後でわかったのですが、一緒に行こうとした大多数の弟子は天安門に着くまでにすでに逮捕されていました。私たちができたのは互いに溶け合い、励ました上、ともに行動したからだと思います。

私たちは数々の困難を乗り越え、あの場で簡単ながらも、5文字を発する事が出来自分たちの夢を実現できました。すべてを数ヶ月後の2月14日に照準を合わせた私たちを、何にも止められません。

それは中国への旅の最後でもなく、試練の終わりでもありませんでした。それからの関は天安門に行くのと異なるものでした。もちろんこの2年間も様々のことが起きていました。ここで皆さんに中国の旅のお話をして言いたいのは:皆さん、同修間の表面での意見の不一致に惑わされないでください。私たちが心性を高め、困難を乗り越える過程は純粋なる真新しい宇宙が形成される過程でもあるのです。中国にいた日々は、邪悪が私たちをバラバラにしたかったのですが、私たちは根本的にそれを否定していました。私たちは一体です。どんな岐路に立っても表面的な現象に過ぎず、本当の自分たちは常に一緒です。

修煉の道において、お互いを見守る必要があるとき、私たちが歩む道が険しく見えるかもしれません。私たちのステップがゆっくりになるかもしれません、そして時には傷つけられたと感じるかもしれません。それは、私たちが自分の執着と観念を直視しなければならず、一歩前進するたびに更なる善と忍を修めなければならないからです。皆は感情面の苦痛を体験しているでしょうが、師父は私たちに信念を持って精進できるようにそう按配してくださいました。したがって、私たちは堅実に一歩一歩歩まなければなりません。

今回の交流会を最後に、私はフロリダ州を離れることになりました。2年間の調整役を務めたことで、私は同修たちと一緒にいることの重要さを知らされました。時には同修に善念を持って行動できなく怒りの頂点に達したこともあり、同修が自分に対して不満を抱くこともありました。確かに、私たちは間違ったところがありました。しかしながら、これらは私たちが十分満足に行動できなかった部分でもあり、また心性を高めた過程でもあります。この中の真の一面が限りなく美しいと私は信じています。

フロリダ州を離れるに際し、私に多大な助けを下さった同修たちに一言言わせて下さい。

師父のあとについて、一緒に精進しましょう。
なぜなら、私たちは一緒にここに来て、また一緒に帰るからです。
私たちが一体になっているのは、
これが最もよい形だからです。
私たちが一体になっているのは、
実際一緒にいたからです。
私たちが一体になっているのは、
こうすることこそ、使命に背くことなく、史前洪願が実現できるからです。

不適当なところがあったら教えてください。皆さん、ありがとうございました。師父、ありがとうございました。

(2003年11月米国南東部交流会(アトランタ)原稿)