日本明慧


警官からの証言——テレビの割り込み放送をした劉海波さんを虐殺した過程

【明慧ネット2004年1月7日】霍さん(男性)は、1970年に吉林省のある農村に生まれ、1993年に吉林公安高等専門学校を卒業、かつて長春市公安局寛城支局南広場交番の警察長、寛城支局内保副課長、寛城支局駅前治安交番警官及び長春市公安局五処拘置所内衛隊員などを歴任した。霍さんは2003年3月に法輪功学習者が当公安局の警察によって殴り殺されている場面を見てから、上司からの法輪功を取り締まる命令を拒否し、それによって監禁、拘留された後、役職が免じられた。2002年6月の末に霍さんは中国から逃れた。
 
以下は、霍さんが見た長春市法輪功学習者の劉海波さんが虐殺された過程と警察に捏造された“心臓病”による死亡の実情に関する書面による証言である。

*長春市で起きたテレビの割り込み放送事件は世界を震撼させ、江沢民は期限付きで検挙するように命令した

2002年3月5日、世界を震撼させた305事件が発生した。長春市ケープルテレビ放送が法輪功の真相番組を割り込まれて放送した。この放送を行った中の二人は現場で逮捕され、他の二人は逃げ切った。当時ちょうど全国人民代表大会の期間中で、江沢民は怒りが爆発し、吉林省の党書記を叱り、期限付きで検挙するように指示した。そして、この事件は公安部(警察庁に相当)の直接指揮の下で処理されることになった。

*長春市公安局は法輪功学習者に対して条規を超えて重く処罰するように要求し、全市には6000名以上の警察を投入した
 
3月6日の夕方7時、寛城公安支局で中堅幹部会議が召集された。支局長の周春明は市公安局の指示を伝達し、法輪功と戦う状況の厳しさと緊迫性を分析した。市公安局の指示では、「目下一番重要な仕事は法輪功の気勢を打撃することである」。できるだけ早くこの“悪性事件”を検挙することを指示し、全局の警察を動員して、「江沢民を中心とする党中央の周囲に団結して」、「高い政治責任感を持って」この厳しい任務を遂行することを要求した。同時に、「法輪功学習者に対して条規を超えて重く処罰する事」と、全市の6000名以上の警察を動員してこの任務に投入することを説明した。こうして、我々は長期間の探偵と防犯の運動の中に投入した。

*劉海波さんご夫婦は住居を提供したことで逮捕され、長時間に殴打、虐待された
 
3月12日、寛城公安支局刑警大隊の重案2隊(刑事警察大隊の重大案件を担当している2隊)はこの事件を行うために住居を提供した劉海波、侯艶杰夫婦を逮捕した。劉海波さんは長春市緑園区春城病院の放射線科の医師であった。
 
刑警大隊は劉海波、侯艶杰夫婦に対して長時間に殴打と虐待を行った。

3月l3日の夕方7時頃、私は勤め先の建物の2階を通る時(私の事務室は建物の6階にあり、刑事警察は2階にある)、ドアの隙間から中を覗いたら、数人の隊員が人を体罰していることが見えた。劉海波さんは全身を裸にされて、体罰用の椅子の上に縛り付けられ、頭が押さえられ、跪いた姿勢をしていた。二人の隊員は高圧電撃棒を持って彼の肛門の中に差し込んでいた。傍に数本折れた木棒が散乱している。劉さんの身体はすでに広範囲に赤く腫れ上がっていた。
 
経偵課(経済偵察課)の魏国寧もその部屋にいた。私たちは現場にいる艾力民隊長に「なぜこんなにやる」と聞いた。彼は「口を割らせなければいけない。これは上からの要求だから、大丈夫だ」と説明した。そして、彼はそこから離れるように私たちを促した。その部屋から出た後、魏さんは「あまりにも残忍なので、死んでしまうかもしれないぞ」と私に話した。私は「彼らの上司の孫立冬に連絡して体罰を止めさせるようにしよう」と魏さんに話した。魏さんは「余計なことに構わない方が良い」と答えた。私は自分で孫立冬隊長を探しに行ったが、見つからなかった。自分の事務室に戻ったら、なかなか落ち着かず、悲惨なことを阻止できないことに、とても悔しい思いをした。

*劉海波さんが虐殺された現場に居合わせた

自分の事務室に10分間ぐらい居てから、私は再び3階へ孫立冬隊長を探しに行った。三階の階段まで降りたところ、二階から孫隊長の声が聞こえた。「そっちの部屋の拷問を止めなさい」。「どうしてですか」と誰かが尋ねたら、「こっちの方が死んでしまった」と孫隊長は答えた。私が二階に行ったら、劉海波さんは縛り付けていた刑具椅子から放されて床に横渡って、すでに亡くなっていた。孫隊長は早く衣服を着せるように指示したが、数人が急いで衣服を着せようとしたが、なかなかうまくできなかった。この時、魏さんもその部屋に入ってきて、その現場を見た。孫隊長は早くそこから離れるように我々を促した。そして、孫隊長は艾力民に情報が漏れないように指示してから、急いで上司のところへ報告に行った。

*国際世論を恐れて、当局は嘘を作って事実を隠蔽した
 
その日の夜、長春市党の第一副書記の常小平が公安局に来て、この事件の処理方法について局長の周春明などの人に次のように指示した。1:法輪功を取り締まるのは、厳しい政治任務であり、流血や死亡などは構わない。2:機密の保守を徹底して、情報が漏れないように、国際的な悪影響を起こさないように注意すること。3:各級の規律監察機関は法輪功学習者の死傷事件に介入して調査してはいけない。すべては大局を中心とすべきである。同時に、彼は遼寧省の法輪功学習者が霊安室に入って取った写真が国際的な影響を起こした例を挙げた。
 
劉海波さんの遺体は当日の夜に寛城病院の霊安室に入れられた。

*正義を主張することによって迫害を受けた

3月16日午後1時30分に寛城公安支局で刑事警察と一部の部署の課長を招集して会議が開かれた。支局長の周春明は「法輪功学習者の劉海波が心臓病により死亡した」と説明し、各部署から警官を招集して霊安室の警備に当たり、女性警官を病院に移送した侯艶杰の看守に当たるように指示した。この時、私はどこからか勇気が湧き出て、「私たちの部署は参加出来ない。劉さんは殺されたので、私はこんな仕事をやらない」と話した。そして、私は退場させられた。

会議の後、私は数人の上司に呼ばれた。私は彼らに「なぜ法輪功がテレビの割り込み放送をするのか、その理由は重要なことである。人が死んだら、国の賠償法律に従って賠償すべきであり、なぜ我々はこの事件を認める勇気がないのか。我々はなぜ恐れているのか。法輪功を取り締まることに法律の根拠はなく、邪教と断定したことも強引なやり方である。更に現在中国において道徳が堕落し、社会風潮が乱れている時期にこのような団体があることはありがたいことではないか」などをたくさん話した。彼らは静かに私の話を聴き終わった後、「あなたは今から停職だ、審査を待ちなさい」と私に告げた。

知人から聞いた話によると、3月19日に緑園刑事警察4隊も一人の法輪功学習者を殺した。その名前を聞いたが、教えてくれなかった。また、この知人は「この状況下で自分の命を持って遊ぶ勇気はない、上司の言われたとおりにするしかない」と話した。

*正義を追求することは私の永遠の人生の目標である
  
私は規律監察グループの人に「2001年の末から、私はカトリック教の信仰を始めた。私の良心はどうしてもこのような残忍な、非人道的なことを認めることが出来ない」と話した。そして、彼らは私を監禁した後、“法輪功の支持者”という名目で、3月29日から4月12日まで15日間拘留した。私は釈放された後、役職を免じられ、興業警察交番に再配属された。4月の下旬から5月の末まで、私は夜間巡回の仕事を命じられ、夜の10時30分から翌日朝の3時50分まで光復路干調市場で巡回し、放火などの犯行を監視すると同時に、法輪功学習者の貼り紙宣伝活動を取り締まることを担当させられた。
 
私は迫害を受けている間、両親はずっと心配して祈りを捧げてくれた。父親は一夜中に髪が全部白くなり、母親は心労により両目が失明になりかかった。両親は巨大な圧力を受けながら、私には一切に言わず、電話の中でいつも無事に過ごしているとばかり言っていた。だが私は両親が面している困難と危険を重々察することができる。
 
中国政府が私をほっておくわけはないと私は良く知っている。私は危険に立ち向かう勇気があるが、両親に危険をもたらす勇気はない。だが両親から「勇気を持って立ち上がれ、中国で起きた事と今も起きていることの真実をすべての良知を持って正義を求める人々に知ってもらって、少しでも国民の苦難を軽減できるように」と私を励ましてくれた。私はここではっきり言いたい。中国政府は嘘を付いている。すべてのでっち上げた報道は全部政府により作られたものである。だが、これらの報道の中の血まみれの殺人や自殺の画面によって、多くの世の人が騙された。共産党はヒトラーの「嘘は大げさにすればするほど信じられやすい」という論理を崇拝している。騙された人は真相を知らない世人だけである。
 
子供の時代に親の教育の影響を受けて、私は「真理は当然ながら我々の間に存在しており、美徳は美徳を持つ人間に対する最高の恩返しであり、正義は必ず邪悪に勝つ」と堅く信じていた。だが、さまざまな政治運動や強権政治の渦巻きの中で、私は徐々に目標に迷ってきた。今、私はもう一度人生の座標を探し戻した。正義を追求することは私の永遠の人生の目標である。

【注:各分節のタイトルは編集者によりつけられたものである】