日本明慧


発正念についての感想

文/大陸大法弟子

【明慧ネット2004年1月2日】発正念は、師父が私たちに要求している3つのことの一つである。大法弟子は発正念を通じて、別空間の邪悪及び大法弟子自身の空間に隠れている邪悪を大量に消すことができ、法が人間を正す時期が来る前に大法弟子が受けている迫害も抑えている。また、正法のプロセスを前進させ、衆生を済度するのにも重要な役割を果たしている。

発正念に関しては師父が数回にわたって法を説かれており、「正念の作用」「正念」等の経文にも書かれている如く、発正念がいかに重要であることがわかる。経文の中で師父は私たちに発正念の理由、発正念のときの要領について非常に明白に書かれている。ここでは私は自分の発正念に関する感想を同修たちと分かち合いたいと思う。

発正念の口訣「法正乾坤、邪悪全滅。法正天地、現世現報」は師父が私たちに与えられた宝であり、邪悪を崩す法器であり、師父の洪大なる法力による加持であり、法の威力を有するものである。私たちは発正念を重視し、有効に使うべきである。有効に使えるかどうかは弟子の心性のレベルや発正念のときの落ち着きさによる。心が静かでなく、意が正しくなく、念が純粋なものでなく、形式・外観だけでやっていても、真の威力を発揮することはできない。

発正念は時間に制限されるべきではないと思う。時間の余裕があれば発正念を長くし、なければ少なくしてもよいだろう。時と場合によるだろうが、毎回15分間以上が望ましい。最初の自分を整理する5分間が非常に重要である。これはその後の10分間の準備時間でありながら、自分を正し、悪い考え・業力・外的妨害をきれいにし、自分の空間内に隠れている邪悪を消すための重要な部分である。長期にわたって行うと普段でも正念が強くなり、邪悪に隙を狙われることもないだろう。毎日4回の6時間間隔での発正念以外に、自分の状況や環境によって回数を増やしてもよい。

まだ別空間のことが見えない弟子は直接発正念の効果を確認できないので、時間が経つと、自分の能力・自分の発正念は実際効果があったのかどうかについて疑いがちである。こうなると、発正念の効果が落ちるだけでなく、発正念の積極性・主動性・自覚性も欠けてくる。この場合、『精進要旨』の「悟」、「何の為に見えないのか」等の経文をよく勉強すべきだろう。この場合、法の角度から問題を見るのではなく、少なくともこの点に関しては常人のレベルに落ちてしまっている。また、大法弟子としては、師父が要求されていることは間違いがないと自覚すべきである。

発正念のときは内容が多すぎず、より簡素化した方がよいだろう。でないと、貴重な時間を使って発正念をしていても、あまり内容を具体化すると、原子力爆弾を使って蚊を落とすのように、功能法力のパワーを制限してしまう。ただし、現地で急いで消さなければならない邪悪がある場合は除く。

同修が逮捕された場合、ほかの同修が発正念のとき正念に次ぎのような内容を加えている:大法弟子を妨害・迫害している別空間の邪悪を消す。逮捕された同修の正念を加持し、同修が一刻も早く魔窟から脱出できるようにし、再び正法できるようにする。 私は「魔窟から脱出」という言い方が妥当とは思わない。なぜなら、「魔窟から脱出」とは魔窟を離れることであり、この弟子が出ていても、魔窟自身がまだ存在し、中にほかの弟子がまだいるかもしれない。したがって、私は「脱出」ではなく、「壊す」、すなわち魔窟が再び存在せず、別空間でもきれいにするとの言い方の方が適切ではないかと思う。この世には留置所・労働教養所などの表面形式は存在してもよいが、常人の中の犯人を収容するところであり、大法弟子を留置する場所ではない。

いまや正法は凄まじい勢いで前進している。旧勢力は全て消されており、残っているのは別空間の旧勢力の悪手及び法を乱す化け物が最後を演じているだけである。ともに最も純粋な、威力ある正念を発し、別空間の邪悪を消し、衆生を救済しよう。まだ発正念がよく行えていない同修たちは早く追いついて、師父の教えをもとに、正法時期の真の大法弟子になるように頑張ろう。