日本明慧


時間を無駄にせず、名利を貪り良知を裏切って
迫害に参与している悪人を暴露し忠告しよう
一歩一歩踏み出すために大事なことは師父を信じること


【明慧ネット2004年1月8日】師父の評註文章「地元の人々に地元の邪悪を暴露しよう」が発表されてから、大陸各地の同修は次々と行動し、様々な方法で地元の悪人悪行を暴露している。同修が明慧ネットで発表した“「地元の人々に地元の邪悪を暴露しよう」の再認識に対して”は非常に良いことで、私も「これは正法が世間での転換点」という言い方に賛成し、これは邪悪に対する最も力強く致命的な打撃であり、大陸同修の全体的向上と全体的な調和についてのより高い要求であり、大陸のすべての弟子に対する試練と向上の機会であると思う。師父を助けて衆生を済度し、われわれ大法弟子の当然負うべき責任であると思う。

 江XXの親族関係者の脅迫的な政策の下で、悪人たちは官職を守るために、無実の大法弟子を残虐に迫害している。彼らは江XXに指示された事は法律に違反しても追求されないとして、大法弟子を迫害することを、高官に昇進するための政治的な資本としている。一部の者は江XXの「奨励」を受けると、更に理性がなくなってしまうが、彼らにとって全然考えられないことは、佛法がすべてを制約しており、善悪には報いがあるということである。正義の剣が挙げられ、彼らが良心や道義に背き、法律に違反した行為を、大法弟子が皆暴露すると、彼らの前途、運命などの根本的問題に関わる時、彼らは意気消沈してしまうだろう。

 悪事を働いた者は内心非常に怖がっている。私が1999年12月法律に従って北京へ陳情に行った時、捕えられて地元に戻り、留置場で悪警察に電気棒で殴られたことがあった。数日後、私はあの悪警察に冗談で:「あなたは電気棒で私を殴ったから、釈放されたら必ずレストランに行っておごりますよ。」と言った。その警察は顔色を変えながら慌てて言った:「私もあんたを殴りたくはなかった。上司にやらされたから仕方なく……」しかもずっと釈明し続けた。妻(大法弟子)が不法に拉致されて心身を酷く傷害されたため、私は610事務室に行き、「私は市委の門にいますが、身分証明書を持ってないので、私を連れて行ってください。」と電話すると、610の人はなんと自分は事務室に居ないと言った。私は確かに610事務室に電話をしたが、彼は慌てて何を言えば良いか分からなくなってしまったらしい。彼らは理由が成り立たず、びくびくしており、彼ら自身もどう言っても人を殴るのは法律に違反していることをよく知っており、江XXにやらされたと言うが、公文書にもなければなんの根拠もなく、その時になると、自分がやった悪い事は自分で責任を取らなければならない。

 一部の悪警察は、大法の本も全部持っており(不法に没収したもの)、新経文も、真相資料も持っているが、しかし、彼らはどのように大法と大法弟子を迫害するかを「研究」するためである。彼らは昇進の機会を得ようとの運動に夢中になっており、「チャンスを逃さないのが英雄である」という変異の心理を持って江XXについて行き、良心、道義等を捨て去って、真相が自分の大事な事に関係なければ全く無関心である。彼らは自分がやった悪事は人にあまり知られておらず、虚言でそれを隠せば、知られる事がなく、自分は本当に「草木の成長に適した風と雨」であると思っている。

 他の地方で大法弟子を迫害する真相を伝えても、地元の悪人の切実な利益に関らないので、私達は出来るだけ地元の真相を中心にするべきであろう。

 全体に歩調を合わせて邪悪を暴露する度に、効果が良ければ邪悪の急所まで触れることができ、彼らの悪行のすべてを暴露し、法網恢恢ネット(悪人は詳細に書くのを恐れる)に記録しておき、条件が整うと正義の法廷に引き渡す。人々も彼らの非道徳、良心の無さ、法律に違反した下劣な行為などに憤激するだろう。確かにある同修が書いたように、彼らの上司は彼があまりにも酷すぎたため彼を重用しなくなり、同僚達も彼と話さなくなり、部下は彼に忠実でなくいい加減にあしらい、親族も子供も彼のせいで名誉が失われてしまうだろう。

 善悪には報いがあるのは天理であり、ただ早いか遅いかの問題である。私達が邪悪を暴露する時、彼らの根本的利益に触れると、彼らは慌ててしまい、二度と気の狂ったことはしないだろう。温家宝がアメリカを訪問した時の、海外大法弟子の対応は、邪悪に対する致命的な打撃であった。このことは:法輪功は共産党に反対せず、政府にも反対していないことを表わしている。江XXは共産党を代表もしければ、政府を代表もしない。彼らは自分らが依存してきた江氏ごろつき集団は鉄で作られたものではないと感じただろう。一部の悪人の仲間は彼に悪事をやめるよう勧めている。彼らの悪行を暴露する時、報復される心配を捨て去って、邪悪な物質をきれいに取り除こうという意志を強く持たなければならない(具体的にやる時は必ず理知的であり、常理に符合させる)。悪事をやった者はあなたに会う勇気があるのか?彼らが来なければあなたが彼らを探すだろう。彼らに対しての裁判で、人を殴ったり、財産を没収したり、罰金を私物化したり、不法に罰金を払わせた犯行だけでも、十分彼らを法廷に訴えることができる。彼らも道理を知っているため、常に「誰誰に指示されて」と言って自分の犯行を隠そうとする。しかし、実は何の役にも立たず、何の根拠もなく、最後は邪悪な者は皆利己的で、彼らに証明したり、支持したりする人は無く、皆自分自身だけで守ることになるだろう。大法弟子を迫害する犯行は、自分の堕落した思想道徳に支配されているため、自分がその責任を取らなければならない。同じ政策なのに、他の地域ではどうして不法に殴ったり、罰金したり、財産を没収したりすることがなく、同県にはたくさんの郷があるが、なぜ他の郷では善良な大法弟子を残虐に迫害しないのだろうか?この事を管理する公安局の中でも、なぜたくさんの人は人を殴らないのだろうか?首魁江XXには逃れられない責任があり、上層が指示したら上層に責任があり、自分がやれば自分が責任を取らなければならない。法網恢恢疎にして洩らさず。

 一正が百邪を圧することが出来ることにより、一つの地域の大法弟子が師父の「地元の人々に地元の邪悪を暴露しよう」についての評注に対する認識を高めれば、怖がる心が小さくなり、邪悪を窒息させる決意が強くなり、一層一致して歩調を合わせられ、正しい場が出来、邪悪は絶滅されるだろう。「精神と物質は同一のものですから」、正しい念を持って正しく行えば、邪悪は逃げられないだろう。

 現在、正念が強く、非常に決意の強固な大法弟子は、邪悪に恐れられている。大陸のある地域の派出所の悪警察が大法弟子の家に行き、指紋や略歴(筆跡)などを取ろうとしたが、彼らの要求に従った人は、逆に30元の手数料を払わされたが、非常に決意が堅い大法弟子の家には、悪警察は全然訪れていない。ある郷の大法弟子は、指紋を取りに来た公安員の前で、彼らが不法に財産を没収したことを譴責したが、悪警察は二度と横暴を振るわず、自分ながら道理に背いていると分かり、「上層に指示されたので、江XXに指示されたのです。」と言いながら去ってしまい、指紋などを取ろうともしなかった。私達自身が怖がる心がなく、正念が強ければ、悪人は二度と悪い事をやらないだろう。

 私達は正法時期の大法弟子であり、師父を助けて法を正し衆生を済度する過程において、自分の純粋でないものを取り除いているが、大法の仕事に参加する過程において、私達が修煉して取り除かなければならないものは全部現れてくる。前に向かって艱難に向かって一歩進む毎に、自分の心性を高めなければならない。純粋でないものを少しずつ捨てなければならない。障害にぶつかると、何時もこの面にまだよく修煉できてないとか、あの面にまだ執着心があるとか、或いは失敗したことがあるとか知識がないとかと言い、弱くなってしまうと、他の空間にいる腐った鬼は喜ぶだろう。執着心を全部捨て去り、心性も高くなり、各方面で自分が定めた基準に達したと思われてから、大法の仕事に参与したいだろう?恐らく、その時は正法の過程は更に新しい段階に入っているだろう。すべてを捨て去って、とりあえず師父に教えられた仕事をやろう。

 安全に注意しながら、学習者の間で緊密に交流を行い、早速にするべき事について共に認識し、法を正す過程に遅れないようにすることは非常に大切なことである。一つの地域の学習者は一つの全体になり、実情によって各自の能力を十分発揮して、有機的に歩調を合わせれば、力は非常に大きくなり、地元の大法の仕事を絶えず進めることが出来れば、より早く邪悪全体を分化させて崩すことが出来る。安全問題に触れれば、「秘密活動」のようにお互いに連絡せず、或いは「専門連絡」すると理由を付けて互いに交流せず、人為的に細かく分離され、全体的に形成するのを妨害されてしまう(大道無形は全体があり、智慧で以って一体になるべきである)。形勢がちょっと良くなると、歓喜心が起こって有頂天になり、全体の観念もなくなって、すきだらけになり邪悪に付け入れられてしまう。既往の教訓から見れば、仕事が順調な時こそ事故がよく発生する。

 私達は共に向上し行動しながら、過激を防止しなければならない(一人で大法の仕事をするのも間違いではないが、全体に入って気機に導かれて行なえば効果がもっと良い)。他の地方の大法弟子の経験も汲み取って、同じ間違いを起こさないようにする。安全の理由でもって怖がる心を隠すのは良くない。安全と怖がる心は同じ概念でない限り、極端に走って全体の安全を求めれば、大法の仕事はどうやってなされるだろうか?先ず、大法が第一位で、大法の仕事を必ず真面目にしなければならない。安全問題を考えるのは大法の仕事を更によくするためであり、大法の仕事を減らして「安全」を保証するのではない。どうすれば安全なのか?正念を持って正しく行うことこそ安全であり、全面的に漏れずに邪悪を取り除くことこそ安全であり、世の人々の目を覚まさせて、真相を知らせることこそ安全である。私達は受動的に迫害を受けるだろうという考えを捨てなければならない。積極的に邪悪を震え上がらせなければならない。目下の大法の仕事について、皆が自分の良い方法を提出してそれを円容させよう。

 現在、邪悪な洗脳は行われており、労働教養所や刑務所で不法に監禁されている大法弟子は残虐に苦しめられ、邪悪は瀕死のあがきをしている。邪悪を放任するのは善良に対して犯罪を行うのと等しいことをよく認識し、一日も早く善良になるよう悪人を説得すれば、数え切れない生命を救うことができるだろう。地元の人々に地元の邪悪を暴露し、その悪行を人々に知らせ、騙されている悪人達を自覚させて悪事をやめさせ、責任を担わせ、損害を挽回させ、正しく選択させれば、彼らを救出し彼らを慈悲心で対応することにもなるだろう。受動的に迫害に参与する人に、没義道な事をやめさせ、自分をよい位置に置くことにもなる。

中国語明慧:http://minghui.ca/mh/articles/2004/1/8/64349.html