日本明慧


監獄の事情に詳しい人が言った:私は獄中で天の大きさと同等の無実の罪を見た

2004年1月8日

「明慧ネット2004年1月8日」(注釈:この方は未署名で獄内の事情を詳しく知る人である。この方はトイレトペーパーを用いて事実を記録して、河北省唐山市豊潤県監禁所から伝え出している。)

私は現在豊潤県監禁所に服役している。私はここの獄中で天の大きさと同等の不公平と無実の罪を数多く見せられた。

2001年11月8日に監禁室のドアが開けられ、四名の婦人が入ってきた。彼女達は法輪功学習者の王桂英、張慕盈、郭淑雲、楊玉萍であった。彼女達は豊潤県小八里の洗脳班から移されて来た。彼女達は小八里の洗脳班が解散するまで、何回もこの拘禁所に送り込まれた。拘禁されている法輪功学習者にはその他に陳立娟、王玉蘭、李明艶、銭淑香、張鳳栄、王明紅、劉艶香、馮銭英、馮海娟、楊淑霞、許淑蘭がいた。

 これらの大法弟子は自分の信念を守ったために非人道的な苦しみを受けた。彼女達はごく普通の人権さえ得られなかった。ただ「煉」という字を言っただけで、捕らえられたり殴られたりしたが、彼女達は恨みも無く後悔もしていなかった。私は彼女達を見ていて何が善なのかが解かった。彼女達は無私的に他人を助け、我々である刑事犯罪者に対しても差別しなかった。さらに我々に人間としての理も教えてくれた。仕事をするときはいつも先に働いて、少しも他人と闘争しなかった。そのため私は彼女達の行動から何らかの不正なものを見出そうとしたが見出せなかった。私が理解できないのはこれらの善良な人たちが何故捕まえられたのか、そして何故明白な罪名がないのかと言う事だった。彼女達は何の理由も無く長期間監禁されていて、十五日の拘留期間が過ぎても釈放されなかった。

2001年11月14日に上部機関の幹部が拘禁所を視察しに来た。十五日を過ぎて拘禁されていた大法弟子たちは呼ばれて、出て行った。我々は彼女達が釈放され、家に帰ったのだと思ったが、二日間を経って、彼女達は再び監禁室に戻ってきた。視察に備えて彼女達は二日間隠されたのだ。このようなことはよくあった。 

彼女達が受けた非人道的な苦しみ、そして不公平な待遇に我々は驚かされた。彼女達は自分の健康保持、道徳昇華のために、他人を善待しているが、一体彼女達に何の罪があるのか?もし人間一人一人がみんな彼女達のようにすれば犯罪は無くなり、我々のような犯罪者は無くなるだろう。彼女たちは無期限に監禁されて家族達に言葉では表現できない苦痛と経済的な損をもたらした。もし釈放されたければ、彼女達は必ず保証書を書かされて、更に高額な罰金を払わなければならないのだ。ある方は既に一年間余り拘禁されている。家族から僅かの生活費が送られてきたが、ここの犯人のトップ(大班長)に勝手に使われた。ここの犯人のトップ達は大法弟子のお金でタオルを買って教頭に送ったり、八十元の骨付き肉を食べたりした。大法弟子の帳簿上のお金はこんなにもいい加減に使われてしまった。(大班長:王艶、張文芝)ある大法弟子は洗脳班に移されたが、帳簿のお金は移されなかった。再び拘禁所に戻った時自分のお金はもう無くなっていた。これらのことを我々は全員知っていて、腹立たしく思うが言い出す事はできない。ここは理屈の通らないところなのだ。

2001年12月22日の夜、大法弟子の馮海娟(34歳、丰润西大街人)は二人の男に支えられながら14号の監禁室に入った。彼女は捕まられた後、公安局に殴られ体が傷だらけになった。彼女の足は木の棒で叩かれ酷く腫れて歩けなかった。彼女は我々に自分が捕らえられ殴られた経過を話すのが既に精一杯だった。彼女は縄で両腕を縛られていたが、ある公安の人は力いっぱい出縄を引っ張ったりした。公安の人はまた彼女を殴りながら:“死ぬまで殴られたら、あなたは円満するじゃないか!じゃ無ければ、あなたの身体にガソリンを撒いて火をつける、あなたが自殺したと言えばそれで済む” と言った。

2001年12月23日に大法弟子が集団絶食して、政府は無条件であらゆる非合法に監禁された大法弟子を釈放し、大法弟子に対する迫害を止めるよう要求した。拘禁所の職員は大法弟子と相談するふりをして、次々に彼女達を監禁室から呼び出した。そして大班長の張文芝と王艶が教頭室で強制的に彼女達に食を入れ、その後更に薬を注射した。

これらの善良なまた勇敢な大法弟子たちはこのような劣悪な環境の中にあっても依然として信念を堅持し続けているのだ。

中国語明慧: http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/1/8/64336.html