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六十代の老人は馬三家収容所で連続して二十八日間睡眠を剥奪された

2004年1月15日 文/大陸大法弟子

【明慧ネット2004年1月15日】私は63歳で、遼寧省本溪市の退職労働者です。真、善、忍を信仰していたため、99年10月20日、本溪留置場に拉致され、不法に五十日間監禁されました。その後、牛心台警察署に送られ、警察は私に転向書を書かせようとして、書かなければ600元のお金を出すように脅かされました。私はそれを書かず、お金も出しませんでした。彼等は私を一晩監禁して、翌朝釈放しました。しかし、家に帰ってから、街の委員会の人が毎日私を尾行したため、私は家を離れることにしました。 

2001年の春節、私は家に帰って来ました。翌日、第二鉱山事務局の保衛所はわざわざ人を派遣し、私の家に座り込んで私を監視させました。昼間はトイレに行くほかは私の側にずっと座っており、夜は外に見張りがいました。3月6日夜九時ごろ、私は再び牛心台“610”事務局の閻維成を始め悪人たちに捕えられました。家も捜索され、《転法輪》とテープも取り上げられました。4月6日、ちょうど一ヶ月後、本溪公安局は私を8人の殺人犯と一緒に、牛心台露天市場に送って審判大会を開き、殺人犯と並べて審判台に立たせました。公安局は私が法輪功の “組織者”だと言い、不法に二年間の労働教養の判決を下しました。

2001年5月25日、私はまた悪名高い周章の馬三家労働教養所に送られました。その労働教養所の蘇境は、李嵐清の要求した100%の転向率を達成させるために、私達を強行に転向させようとしました:第一は、睡眠を奪うこと;第二は、毎日虐待して粗悪な食品をたべさせること;カビが生えた玉蜀黍粉で作った饅頭で、その中には泥砂まで混ぜてありました;第三は強制的に体に有害な労働をさせること;毒がある葬花を造らせ、輸出して金を儲けました。監禁室中に毒ガスが充満し、時々意識がぼんやりし、嘔吐し、眼が充血するなどしました。毎日定められた労働量があり、倒れてもやらなければなりませんでした。夜十時になっても終わらないほどでした。管教は:“これはあんた達を優遇しているのだ。以前のようなことはまだあんた達に味あわせていないのだから”と言いました。法輪功学習者は昼も夜も無く働いていました。作り出した色々な葬花はトラックで次々と運び出し、労働教養所は大金を儲けましたが、我々が食べたのは黒い玉蜀黍の饅頭で、飲んだのは塩水で、野菜の葉すら見ることはできませんでした。

ある時、私を水部屋まで無理やり連れて行き、幅が6寸しかないプラスチックのベンチに座らせ、彼等は2人1組で2時間毎に、毎日24時間交代で私を監視し、眠らせませんでした。このようにして28日間つまり672時間、常に車輪が回り続けているかのような戦いでした。そのほかに輪番制に監視体制を変え、つまりある時は車に乗せて大隊に連れて行きそこで一晩中監視し、次々に幾つかの大隊を巡りました。長い時間眠れなかったため、食欲は無くなり、それに豚、犬ですら食べられないまずい食事でしたので、日に日に痩せていき、最後は人を驚かせるほどになってしまいました。足も力が無く、立つこともできなくなり、呼吸は苦しく、十ヶ月後倒れてしまいました。すると馬三家は止むを得ず釈放しました。 

私は家に帰ってから煉功し、体はすぐ回復し歩けるようになりました。派出所の人は私を見るとまた捕えようとしました。私はずっと転向しませんでしたので、また家を離れざるを得ませんでした。公安局はまた不法に私を指名手配していると分かっています。

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