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趙国安は河南省第三労働教養所で死ぬまで迫害され、家族は遺体を確認できず、ただ遺骨しかなかった

【明慧ネット2004年1月22日】法輪大法情報センターの1月20日の報道。河南省からの情報によると、法輪功学習者である舞陽県の農民、趙国安は既に2003年12月末に河南省第三労働教養所で迫害され死亡したと確認された。趙氏の家族は彼が死亡した後に遺骨を取りに行くという知らせを受けたが、死後の最後の面会は全くできなかった。これはこの二年来、三人目の法輪功学習者が当労働教養所に虐殺された事件である。 

情報によると、趙国安、男性、50代。農民であり、河南省舞陽県後集郷趙荘の人とのことだ。2003年4月ごろ、趙国安は人に法輪功の真相を伝えた時に悪人の密告で、舞陽県公安局の警察に家を捜査され、法輪功の本、真相資料などのものを取り上げられ、趙国安氏及び奥さんと一緒に逮捕された。趙国安は非法に一年の労働教養を判決され、許昌にある河南省第三労働教養所に入れられた。 

詳しい事情を知っている人によれば、家族が彼を見に行くことがあったが、労働教養所に拒否された。2003年12月末になって、舞陽県公安局は突然河南省?城洗脳班に入れられた趙国安の奥さんに知らせを出して許昌第三労働教養所に行かせたが、趙氏の妻が見たのは、趙国安の遺骨箱だった。趙国安の遺骨は、2004年1月2日に家族によって安葬された。 

河南省第三労働教養所の一人の男性職員はこの前に趙国安は当労働教養所で死亡したことを認めた。当証人は「この人(趙氏)はどのようにして、何時に、何の原因で死んだかについて許昌県検査院に問い合わせばわかる。なぜなら一部始終は全部彼らが処理したので、詳しい事情は彼達が持っている。」と言った。 

舞陽県公安局の責任者は趙国安の死亡を知らないと言った。それに当責任者は当局が趙国安の奥さんに知らせを出したことも認めなかった。この案例は労働教養所に聞きなさいと言った。 

舞陽県後集郷警察所の一人の男性警察は趙国安は拘禁所に死んだと認めた。後集郷政府の一人の男性職員も趙氏が死亡することを認めた。しかも趙氏の死亡はすでに20日間以上経っていると話した。 

情報によると、趙国安のほかに既に河南省許昌第三労働教養所に迫害され死亡した法輪功学習者には、青年弁護士の李建氏、師範学校の教師の姚三中氏もいる。二人の学習者は無くなったときともに僅か34歳だった。案例のあらましは次のようである: 

李建は河南省正陽県の法輪功学習者であった。死ぬ前は弁護士であった。法輪功の真相資料を作ったため連行され、三年間非法に教養を判決された。李建氏は2000年に逮捕され、2001年4月末に許昌河南省第三労働教養所第三労働教養大隊一中隊に送られ、労働教養されるうちに非人な待遇をされ、何回も縄刑をされ、強制的に洗脳され、寝させなく、強制的に重労働をさせ、体も精神も極大な踏み滲めをうけた。とうとう2002年4月25日に労働教養所に迫害され死亡し、労働教養所のほうは突然の死亡と嘘を付いた。 

姚三中氏は河南省?河市芸術師範学校の教?であった。法輪功を修煉するために?河市610事務室に三年間の労働教養を判決された。許昌河南省第三労働教養所に送られた期間に “上縄”という極めて残忍な酷刑を含めた苦しみをうけ強制的に重労働をされられた。2002年12月末、姚三中氏が獄警に死にそうになるまで踏み滲められ後、許昌労働教養所はあえて彼を道端に捨てた。姚三中氏の家族は知らせを受けた後、病院に運んで、一ヶ月余りの手当てをしたが、不治になって、2003年1月の中旬に亡くなった。 

河南省第三労働教養所:許昌市郊区八一工場の近くにある(許昌から平頂山への線路)、男子労働教養所が設置された鄭州、開封、洛陽3地方のほかに、残った河南省あらゆる非法に労働教養を判決された男性大法弟子はみなそこに監禁しているという。 

(中国語サイド:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/1/22/65491.html