日本明慧


24時間の拷問にかけて、生きていさえすれば転化しなければならない
----度重なる張士教養院程殿坤の犯罪

【明慧ネット2004年1月24日】程殿坤、男性、52歳、瀋陽張士教養院の政治委員、副院長。この人は舞台の裏で画策して、操縦して該当院で大法弟子に迫害を実行した元凶である。

2000年11月13日、程殿坤は法輪功学習者を迫害する“専管大隊”という組織を成立しました。3年をこえる間、睡眠を剥奪する体罰、残虐な体刑などの手段を使って1000人以上の法輪功学習者に強制的「洗脳」迫害を行いました。2000年の末から今まで、20名近くの信条を貫く法輪功学習者を普通の労教犯罪者グループに行かせて、いわゆる“強制労働で厳しく管理する”迫害を与えました。しかも、刑期の加減などの手段を使って犯罪者を誘惑、脅迫して法輪功学習者に暴行を加えました。

2001年初めに、教養院宿泊所は名を“教育を助ける団体”(悪名高い“張士建物”洗脳クラス)に変えて、2002年10月末にはまた180万元を投資して“瀋陽法制教育学校”(本当はファッショ洗脳クラス)を建てました。今なお数百名の法輪功学習者が非法に逮捕されて、ここで洗脳の迫害を受けています。一人当たり3000から10000元のまちまちの“費用”を必ず出さなければなりません。程殿坤はまた組織を引き連れて瀋陽于洪収容所、法庫県、瀋陽鉄西精神病院、瀋陽麻薬中毒回復所、阜新教養院、馬三家教養院などに行って、そこに拘禁されている法輪功学習者に強制「洗脳」を行いました。

程殿坤は不本心で妥協する学習者を画策して、脅迫を加えて中央テレビ局に合わせてテレビ上で法輪功を中傷する嘘の宣伝を造り出しました。瀋陽農業銀行のコンピューター技師陳秀(陳秀は99年に平和陳情に行ったため不法労教されていた。妻は彼と離婚して、彼はまた会社から除名された)は、張士教養院で不本心に妥協した後、張士教養院と瀋陽市司法局の“モデル”に立たされて、中央テレビ局の“ホットニュース”番組に合わせて、悪事を働いて、復婚を題材に法輪功を誹謗しました。“ホットニュース”はもっぱら“復婚儀式”などのものを作って中央テレビ局で何度も放送して、見聞を惑わしました。陳秀が家に帰った後、騙されたことの重大性を認識して、すでに明慧ネット上で厳正な声明を発表しました。声明は強制下の行為を廃棄して、再び法輪大法を修煉すると言っています。後に、陳秀は再度逮捕されて、不法に刑罰を受けて、瀋陽大北刑務所に拘禁されました。

詳しい情報によると、張士教養院ではすでに曲声波(男性、36歳、瀋陽大東区学習者)、李成平(男性、50歳、瀋陽輝光乳業の職員)と梁さんという一人の老婦人(60歳ぐらい)が迫害を受けて精神に異常が現れて、楊素蘭(女性、65歳、瀋陽市皇姑区学習者)は迫害されて死に至ったことがわかりました。

2002年の春、程殿坤は悪人に指示して、信条を堅持する法輪功学習者にいわゆる“攻堅戦”を行って、しかも2002年4月25日、部下の悪警を使って4大隊(普通の労教犯罪者を拘禁しているところ)の401室で、光りを強くして、拷問室を設けました。“一日24時間拷問にかけて、生きていさえすれば転化しなければならない”と揚言しました。李効元、王進民、張振武などは鉄の門に縛られて12万ボルトの高圧電力棒で打たれました。犯罪者達は交替でめった打ちして、李効元の全身は腫れあがって、半月もの間ベッドに上がることすらできませんでした。歩くことも、寝ることもできず、用も特製の椅子の上で済ませるしかありませんでした。

程殿坤はまた狂気じみて李効元、王進民、張振武など3人を昌図関山教養院に送り出して、いわゆる“異郷改造”を行いました。李効元はすでに2003年11月9日にそこで迫害されて死に至りました。

2001年から、張士教養院は毎月の家族“面会日”に法輪功創始者の写真を入口の地面において、家族が踏むように強制しました。さもなければ入ることが許されないのです。この悪行は瀋陽竜山教養院、馬三家教養院などが見習っています。

程殿坤をはじめとした教養院不法警官は、また不法労教が満期になっても信条放棄しない法輪功学習者に対して思う存分期限を超えて拘留します。玉将星は半年延長されて、李満新、樊錫忱、杜江、鄭守君なども拘禁を延長されています。

程殿坤 電話:25363255(事務所)13700027456(携帯)

(中国語サイド:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/1/24/65643.html