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テレビを通じて大法の真相番組を流した長春法輪功学習者劉成軍が迫害を受け致死されたことの実情(写真)

劉成軍

【明慧ネット2004年1月4日】劉成軍、男性、32歳、吉林省農安県出身。2002年3月5日、他の学習者と長春、松原でケーブルテレビに大法の真相ドキュメンタリ番組を流したため、不法に19年の懲役を言い渡され、吉林刑務所で様々な拷問を受け、2003年12月26日早朝4時30分亡くなった。邪悪は自らの罪を覆い隠すために、遺族の反対を押し切ってその日の午前10時40分に遺体を火葬した。

警察側は家族との面会を阻止した

2003年12月25日夜10時30分、吉林省の労働強制局、吉林刑務所と農安県公安局徳ひ派出所の六名の警官が劉成軍の自宅にやってきて、「劉成軍が今危篤に陥り、現在長春医学大学第一付属病院に入院しているので、家族にすぐ病院に行くように」と言った。また、劉成軍の両親に健康かどうかも再三にわたり尋ね、いつも服用している薬を持って行ったほうがいいと話した。両親はすぐ警官の車に乗って病院に駆けつけた。
 
車が第一付属病院に着いたが、そのまま通り越して中日聯誼病院に行った。両親が到着した際、劉成軍は39℃の高熱が出ていて、脇の下と頭の下に氷が置かれ、背部はうっ血していて紫色になっていた。彼は既に昏迷状態に陥り、瞳孔が拡散し、酸素で命を維持していた。

その後、親族らも第一付属病院に駆けつけたが、どこにも劉成軍の姿はない。コンピュータで検索しても見つからなかった。他の病院に行っていろいろ調べたが劉の所在が分からなかった。一夜明けて26日の早朝に劉成軍の両親からの電話を受け、中日聯誼病院にいると知り、親族らが病院に到着した時には、劉成軍は既に呼吸が止まり、何かを訴えたいかのように口が開いたままで、目も閉じていなかった。

劉成軍が亡くなった後、親族が彼の衣類を着替えさせようとしたが、警官に拒否され、病院または刑務所の服のままで火葬されようとしていた。家族の強い要求により、やっと着替えを認められた。

家族に詰問され、警察が返す言葉なく火葬を強行した

まだ若い息子が亡くなり、劉成軍の両親は大きな衝撃をうけた。お父様の喉の所に大きなできものができ、喉を全部塞いでしまい、呼吸困難になった。お母様は何回か気を失い、なぜ早く連絡してくれなかったのかを警察に詰問した。

警官は何も答えられなかった。なぜ正しい入院先を教えてくれなかったのかと家族らが聞いても、吉林刑務所の職員は何も言えなかった。 これが違法行為だと警官に言ったとき、警官は無言のまま、電話でさらに多くの警官を呼び出して、家族を厳重に監視した。遺体が荼毘にふされると、警官はすぐに姿を消した。

家族は遺体を地元に運びたかったが、警官がそれを極力阻止し、できるだけ早く火葬するようにと言った。双方の意見が一致できなかった状況下で、さらに多くの警官を呼び出して、午前10時40分に遺体を朝陽溝に運び急いで火葬した。家族が納骨箱を買うことも許されなかったが、最後には許された。しかし、他の人に情報を漏らしてはいけないと脅かされた。

病院の危篤通知は幾度なく警察側に放置された

実は、2003年10月23日のとき、吉林市中心病院から危篤通知が出され、家族は病気治療のための仮放免を求めたが、刑務所の職員は上の人の許可が必要と言い、上の人の許可を求めに行けば、出張で不在と言われ、たらい回しにされた。

劉成軍の容態が悪化した情報は明慧ネットを通じて公表された後、国際社会で大きな反響を呼び起こし、世界各地の大法弟子は中国大使館領事館に劉成軍と吉林刑務所に監禁されている大法弟子に対する迫害をやめるようにと請願した。しかし、邪悪ははばかることなく、劉成軍を、大法弟子への迫害が最も残酷な吉林公安病院に移送し、迫害を強めた。

その後、労働強制病院も危篤通知を発行し、治療のための仮放免を要求したが、農安県の法輪功取締り本部と公安局はそれを拒否し、ひそかに劉成軍を吉林に戻した。

信仰を放棄しなければ面会を許されず、劉が健康であると警察側は言い張っていた。

その間、家族は何回も面会を求めたが、拒否された。劉成軍が家族に手紙を書けば(つまり法輪功への信仰を放棄したとき)、面会できると言った。家族は毎回彼の健康状態についてたずねたが、いつも健康だと答えられた。

劉成軍がもう一回危篤状態に陥ったとき、やむを得ず警察側は家族に連絡し、しかも意図的に場所を隠し、時間を稼ごうとしていた。

生前毎日他の囚人から虐待を受けていたと劉成軍は言った。

毎日他の囚人が警官にそそのかされて劉成軍に拷問を加えていたと家族は聞いたため、警察に確かめると、そういうことは一切なかったと警察は否定していた。

劉成軍が亡くなった後に、着替えをさせていると、彼の耳、鼻、口から血が流れ、腿の所に点滴のために切開したところからも絶えず出血していた。

劉成軍の死は江江沢民集団が犯したもう一つの罪である。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/1/4/64005.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2004/1/20/44264.html