日本明慧


中国のメディアは二つの大災害を如何に取り扱ったか

註:政府の統御下にある中国のメディアは大災害を隠す傾向がある; しばしば彼らは何も大事がなかったように報道し、事実を隠す。しかし、浙江省の毒殺事件については、メディアはおおげさに取り上げ、法輪功学習者を殺人犯に仕立て上げた。中国のメディアはそこまで堕落してしまった。この事実を歪曲した者は、法に従って罰せられなければならない。

 【明慧ネット2004年2月6日】中国青年報の報道によると、2003年12月23日、22時15分、重慶市高橋鎮小陽村付近の、中国石油西南ガス会社の油田で噴出事故があり、天然ガスと硫化水素の混合物が空中に30メートルの高さまで吹き上げた。このガス混合物は迅速に近辺の地域にまで蔓延した。12月25日、18時40分までには、191人の死亡が報道され、数百人が様々な程度にケガをした。数日後には、死亡数は233人に上った。10,000人以上が緊急避難させられた。現地のメディアはこの一大事故について一言も報道しなかった。地方政府は、この事故の深刻さを隠すために、8人の死亡を報道し、情勢は収まったと言った。国務省と地区外のメディアが介入し、12月25日、死亡数は急遽高くなった。

公式にはメディアは地方政府の死亡数隠蔽には触れず、代りに、救出は整然と行なわれ、人々の情緒は安定しており、社会秩序は良好で、鉱山は静まったと言い、国家安全監督局を誉め讃えた。

233名の生命が一瞬のうちに消え去ったにもかかわらず、メディアはこの惨事を打ち消す為に、調子良く報道した。事実は毒ガスが広範囲に広がり、5平方キロメートル以内の住民の90%が死亡し、多くの家族は全滅し、多くの死者は子供であった。

四年前に烟台ビーチで起きた事故を思い出さずにはいられない。

1999年の冬のことであった。同一船会社に属する、二艘の船が40日の間隔をおいて続けて海に沈んだ。たまたま近くに居た漁船が盛魯号の人々を救い、二人が命を失っただけに留まった。もう一艘、大舜号の方はそう幸運ではなかった。SOS 信号が送られ、海軍がそれをキャッチした後、海軍の戦艦が二時間半後に、大舜号が転覆し始めた頃に到着した。ある報道によると、強風と高波のために、救援隊は沈没する船に近づけず、救出活動を遅滞させた。大舜の沈没前7時間の間、何故ヘリコプターか救命ボートが使われなかったのだろうか? 人々の心中の多くの疑問が答えられずにいる。誰一人として、合理的に説明出来る者は居ない。海岸からたった1,500メートルの処で、大舜から200人以上の生命が、氷海の中に永遠に消え去った。

報道によると、大舜惨事の2日後、ノルウエイの船が、北大西洋の西海岸の海面上で難破した。ハリケーンのせいで、一時間以内に沈んだ。その一時間の間に、二十何艘の救命ボートとヘリコプターが救援にやって来た。88人の乗客中67人が救出された。その十日後、フィリッピンで海難事故が発生したが、救援隊の努力のお陰で100人の乗客中二人が不明となっただけであった。

87年前のタイタニックの事故を思い出す人が多いだろう。大西洋の氷海の中においてさえ、700人以上の乗客が救援された。それは全乗客の三分の一にあたった。

しかしながら、大舜号は海岸からたった1,500メートルの処で沈没し、生存者は22名しかなく、それは全乗客のたった10%であった。

事故後、メディアは救出活動と遺体探しに関する報道はしたが、事故の原因の調査や責任、事故後の救出方法等についての報道はなかった。これら200人以上の遭難に対し、誰も責任をとろうとする者は居なかった。200以上の家庭の苦難は、忘れられていた。13億の人民の知る権利は無視された。世界のその他の国では想像も出来ない事件であった。1998年6月8日、ドイツで電車が脱線し、100人以上が死亡した。事故の翌日、全国の国旗はその死を悼んで半旗となった。ところが、大舜事故では、200の生命が跡形もなく、風に吹き飛ばされたように消えた。中国の国旗法は、大事故による大遭難があれば、その死を悼むために国旗は半旗にしなければならないと規定する。大舜号事故で犠牲となった普通の国民の生命は、それに値しないのだろうか?

更に4年が経過し、失われた200の生命に対する責任は未だに問われない。政府は依然として無能であり、メディアは依然として恥知らずで、国旗は依然として高く翻っている。しかし、赤い国旗の色が私に、血溜りの200の魂を思わせる。

これら二つの事故から、ある歴史学者の断言、「腐敗と無能はズボンにはまりこんだ一対の悪魔である」を真に感じるに到る。それは200名の生命を呑み込んだだけでなく、13億の民衆の政治体制に対する信念をも、呑み込んだのである。