日本明慧


根本的執着を切り離して、旧勢力の付き纏いの中から踏み出る

文/昇華

【明慧ネット2004年2月7日】2001年1月、私は再度区の洗脳クラスに拘束されました。当時は江集団が法輪功に罪を着せるために作った芝居“焼身自殺事件”の真っ只中の時期であった。洗脳クラスは私に体得と保証書及び署名を書くように強制しました。しかも、書かなければ市が設けている洗脳クラスに送ると脅しました。私はすべてを拒否したので、彼らは結局私を家に戻しました。それから二日経って、民警、鎮(行政単位の一つで県の下に位置する)の指導者と住民委員会(町内会)の幹部等合わせて6人が私の家に来て、署名するように強制しました。そして結局私は難関を乗り越えることができず、署名をしました。その後、私はずっと落ち込んでいました。数年間修練していたのに、肝心な時に結局心を守り切ることができず、慈悲な師父に合わせる顔がないだけでなく自分自身に対しても自信がなくなりました。

一つの難関をうまく乗り越えていないのに次の難関がまたやって来ました。5月1日の前夜、彼らは私を尋ねて来てこれで最後だと保証書を書くように、言いました。彼らは直接私を尋ねたのではなく、私の夫、姑、両親、兄二人、義姉、等家族全員が出かけて来ました。そして息子は泣きながら私を“批判”しました。夜8時から深夜1時半まで話をしました。

私は以前から親孝行な娘で、情は重んじました。この時、母が突然気を失って倒れました。母を引き起こそうとした姑も一緒に転び倒れてしまいました。夫は前後の見境もなく怒って“もし、書かなければ離婚だ”と言いました。私はこの光景に驚いてぽかんとしてしまいました。しかし、やはり書きませんでした。その後、彼らは私を母の家に泊めて、よく考えるように言いました。翌日、私はまるで病気に罹ったかのように、元気がまったくなくなりました。父は私を手伝って保証書を書くと言いました。私は同意しませんでした。私は師父に黙々と言いました:“私が別の事を通じて難関を乗り越えるようにさせていませんか?体の消業とか?”法輪功に関して何も書いていないにしても私はやはり邪悪と妥協したように感じました。一週間後、体に消業状態が現れました。法に対する勉強が深くないがために正念も強くなかったのでずっとこのような状態に置かれていました。でも、私という人間は小さい時から苦労を恐れず、好きな事は最後までやり抜く性格でした。中学校時代は少年体育学校のスポーツ選手で、どこまでも耐え抜く性格を身につけました。

法に対する真剣な学習を通じて、自分が根本的執着を切り捨てていないことを認識しました。常日頃自分に対して厳しく要求せず法の勉強も深くなかったので、毎回の根本的な是非の問題を乗り越えられない状況を招きました。師父は経文《修者忌》の中で:“肉親の情に執着すれば、必ずそのために疲れ、纏わりつかれ、魔がさし、その情をつかみ、一生が撹乱され、晩年になって悔やんでも遅いのです。”と述べられています。苦難の中で、私は自分にまだ多くの執着心、競争心、歓喜心、嫉妬心などがあることに気付きました。何度も難関を良く乗り越えられませんでしたが慈悲なる師父は私のことを放棄せずまた私に機会を与えてくれました。

2001年10月のAPEC会の前夜、彼らはまた来て前回書いたのは徹底的ではないので私に再度保証書を書くように強制しました。この時私には今度こそ必ず難関を乗り越えますというたった一つの考えしかありませんでした。そして黙々と旧勢力に言いました:“私がどのように修練しようとも、あなた達には私を試しに来る資格なんかない。私は主佛の弟子で、あなた達の按配を全面的に否定して、師父が私に与えた道にそって最後まで歩き続ける。私を引き落とすなんて考えるなよ。”師父は《大法弟子の正念は威力があるのです》の中で“いかなる環境の中でも邪悪の要求、命令と指示に合わせないで下さい。みなさんが全部このように行えば、環境はこのようではなくなります。”《大法は難攻不落である》:“一人の大法弟子がやってはいけないことをして、もし、本当にその重大性を認識することができず、大法にもたらす損失を挽回するに、全ては千万年の待つことと一緒にみな先史の誓約の中で約束を果たすのです。大法弟子として、あなたのすべては大法によって構成されて、最も正しく、すべての不正を是正するだけで、どうして邪悪に頭を下げなければならないのですか?どうして邪悪に保証なんかするのですか?たとえ心からでないにしても、悪に妥協することです。これは常人の中でもよくない行為で、神は絶対にこれらのことを致しません。”

両親は私に相談に来ました。私は確固として動かず:“私は悪い事をしたわけではありません。あなた達はどうして彼らと同じ様に私を強制しに来るのですか?私を行き詰まらせないと気が済まないのですか?あなた達は実際彼らを訪ねて、私の娘は法を犯していないのに、あなた達は限りなく強制している、もし私の娘に万一のことがあったら、あなた達はこのままでは終わらないと、警告に行くべきです。”と話しました。すると思いも寄らないことに翌日、私の母は本当に彼らを訪ねて行きました。

私は更に自信を持ちました。3日目私は自ら民警と委員会幹部を訪ねることを決めました。彼らは、これが最後だよ、あなたのレッテルを取ってやると言いました。私は彼らに“私はこの“(レッテル)”を気にしません。あなた達に教えますが今後私はあなた達のどんなことにも合わせる気持ちはありません。私に罪がないのにどうして頭を下げなければならないのですか?勝手にして下さい。しかし、良く覚えて置いて下さい:善悪は報われるのです”と言いました。

私は彼らが要求しているいわゆる保証書を拒否し続けながら、絶えず正念を発して、師父が私に加持して下さるように願いました。ついに、今回は正々堂々と乗り越え切ることができました。

今になって修練した7年4ヶ月の過程を振り返ってみると、ずっと転び倒れの連続でした。慈悲な師父が衆生のために耐え難いすべてに耐えて、衆生のために万古に二度とない機縁を作り出されました。私は決して師父の苦しい済度に背くことなく、そして私の世界の中の衆生が私に対する期待と委託に背くことも決してしません。着実に自分をやり直しながら三つのこと(法の勉強、発正念、真相説明)を良く行いながら勇猛精進します。

個人の認識と経験であり、不当なところのご指摘お願いします。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/2/7/66820.html