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尚慶齢さんの虐殺の真相:大便を口から流し込まれ、肺は深刻なダメージを受けた

 【明慧ネット2004年1月31日】莱蕪市鋼域区里辛鎮鉄銅溝(郷)茶峪村の大法弟子尚慶齢さんは、莱蕪刑務所で野蛮で残虐な苦しみを舐めさせられ、2001年正月9日、この世を去った。(明慧ネット2001年2月11日大陸総合情報を参照)当時、情報が封鎖されていたため、彼が迫害によって死亡した詳細な状況は不明だったが、今日になってやっと、莱蕪刑務所等で行われた悪事が明らかになった。

 2001年12月[旧暦]3日の昼ごろ、尚慶齢さんが莱鋼6.20(地名)の市場で野菜を売っていたところを、鉄銅溝派出所の苗をはじめとした悪党警官に不法逮捕された(野菜の露店は市場に放置されたまま代わりの者は誰も居なかった)。その後、刑務所の11号室に閉じ込められたが、修煉を放棄する“懺悔書”のサインを拒否し、更に水も摂らない断食で無言の抗議をした。9日目、刑務所の警官に刑具(手錠と足かせ)を付けたまま、強引に灌食させられた。(灌食とは非常に残酷な刑罰で、全国各地で普通に実施されている。7、8人で押さえ付け、無理やり糊状の液体を口や鼻から流し込む方法で、呼吸する間も与えず、その場で死亡する例もある)。修煉を堅持している彼を苦しめるため、警官は刑事犯に様々な方法で虐待するよう指示した。人間性のない刑事犯は意外にも大便を水に溶かして彼の口に流し込んだ!このように、刑務所の警官と犯人は交替で“灌食”を繰り返し、彼の肺、気管は深刻なダメージ受け、炎症・感染まで起こした。12月[旧暦] 18日、この上ない虐待を受け、気息奄々の状態になってやっと釈放された。話によると莱蕪刑務所は更に3000元の現金をゆすり取ろうとしたため、結局村が支払ったそうである。

 家に帰ってから、彼は食事が摂れず、胸苦しく息の荒い状態が続き、10数日経っても座るだけで横になることが出来なかった。体調は日増しに悪化し、やむを得ず菜鋼総工場病院に行った。医師は彼の胸腔内から膿性の液体2本分抜き取り、そして再三再四救急処置を行ったが、残念ながら彼の若い命を助けることは出来なかった。

 2001年旧暦1月9日、尚慶齢さんは病院で亡くなった。

 その後しばらくして、山東省のテレビ局が、彼は法輪功を修煉した為に死亡したと、嘘のニュースをでっち上げて報道した。

 以前、2000年10月、尚慶齢さんは大法は公正であると陳情しに、北京へ行った事があり、帰ってから、鋼城区城子坂留置場に15日間不法監禁された。ふだん彼は畑仕事をしていたが、市場に野菜を売りに行く時も常に悪党警官に尾行された。所謂“敏感な日”になると、いつも彼らが自宅に押し入り騒ぎ立て、正常な日常生活を保つことは出来なかった。その後の情報によれば、彼を捕らえる度に、鉄銅溝派出所と息を合わせて行動したのは茶峪村の元村委員会書記の尚慶生であった。

 尚慶齢さんはまだ38歳。真面目で温厚な野菜作り農民で、80歳を超える老母と、10歳ちょっとの子供一人と、そして優しい妻がいた。彼は4人兄弟の3番目で、兄弟の中では一番優しく、村の中でも評判がとても良かった。市で野菜売りをする時も、大変熱心で真面目であり、軽量不足も無く、皆が彼の野菜を好んで買っていた。法輪功を修煉する以前の彼は肝臓疾患に罹っており、力のいる仕事が出来なかったが、大法を修煉してからは完全に健康を回復し、家族3人は元通り幸福な暮らしを取り戻していた。

 しかし、彼が亡くなってから、深刻な打撃を受けた妻は、農村の弱々しい女手一つでは、どうしても一家の生活を支えきれず、息子を扶養することも出来ず、再婚しなければならない状態に追いやられた。

莱蕪市刑務所電話:0634-6172227

莱蕪刑務所所長:元宗礼

鋼城区政法委員会(610)0634-6891355

鋼城区鉄銅溝派出所電話:0634-6900369

鋼城区鉄銅溝茶峪村委員会電話:0634-6901574

茶峪村元村委員会書記尚慶生自宅電話:0634-6901188