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許秀菊さんは石家庄市労働教養所で迫害され精神に異常をきたした

 【明慧ネット2004年2月1日】許秀菊さんは石家荘市井谷鉱山区工商銀行の幹部で、30数歳である。大法がすべての修煉者に対して “常にいい人である”の要求を実践し、厳しく自己を律し、寛容な心で人に接した。家庭は幸福で充実し、心身に大きな変化があった。彼女は江氏の嘘に騙されている世間の人々に、大法が迫害されている真相を知ってもらうため、2000年の夏一人で北京に行き大法を実証したが、凶悪警察のめった打ちにあい拘束された。現地の公安に連行され、井谷鉱山区の刑務所で、不法に半ヵ月監禁された。期間中煉功したため警官の脅迫、殴打に遭い意識がぼんやりして壁際にしゃがみ倒れた。その後、職場から迎えが来て宿泊所へ移動し、24時間厳しく監視され、1ヶ月後にやっと釈放された。勤め先の官吏は善悪を考えないで、ただ自分が巻き添えになることを恐れ、彼女に対する迫害に協力し、仕事を辞めるように強制した。彼女には半身不随の夫と幼い娘がおり、生活は非常に苦しかった。しかも常に監視され尾行されて、自由には動くことも出来なかった。地方へ行って親しい親戚や友達を訪ねることも出来ず、いわゆる“敏感な日”には元の勤め先から相変わらず24時間監視された。2001年春節の前夜、現地派出所の数名の公安部の幹部と警官が突然また彼女の家に押し入り、不法に家財を差し押さえた後に彼女を連行し、20日あまり看守所に監禁した。その期間彼女は絶食して抗議したが、数名の警官に強暴な強制注食をされた。釈放後も、相変わらず尾行され監視され、生活もかき乱され、家族も同様に真相を知らない人々から誤解され敵視された。

 2001年の夏、許秀菊さんは恐怖の迫害の中で、真善忍に対して堅い正念を持って再度上京したが、更に残酷な迫害にあった。鉱山区の看守所の凶悪警察は、彼女に手錠をかけベッドに大の字形に寝かせ、両手両足をベッドの四隅に固定、ちょうど非常に暑い夏の頃で、体は動かすことが出来ず、大小便を漏らすことも致し方なかった。1ヵ月余り苦しめられた後に、鉱山区の公安は彼女を石家庄市労働教養所へ送り、2年の不法な強制労働を受けさせた。江沢民の、法輪功の修煉者に対する“経済的には破綻させ、精神的には崩壊させ、肉体的には消滅させる” 絶滅政策の下で、石家庄市労働教養所は“3日間以内に彼女を転向させる”と高言した。或る夜想像を絶する残虐な体刑の苦痛に耐えられず、彼女は本心とは違って保証書を書いてしまった。また彼女に大会の席で大法と師父を摘発して批判し、侮辱するように強制し、現地の関連部門、勤め先、親戚、友達の家へ大法と師父を誹謗する手紙を郵送するよう強制した。しかし、良知がこのように蹂躪され極度の苦痛の中で、彼女は再び良知を選び、真善忍を堅持した。しかし凶悪な警察は更に長期に残虐な体刑で虐待した。彼女の精神も耐え切れず、遂に精神に異常をきたした。一人のほっそりとして美しく、行いの正しい、良い人がこれほどの残虐な迫害にあわなければならないというこの事態こそ、江沢民集団のいわゆる“人権の最もよい時期”の現れである。

人間性をすべて失った一人の女悪党警察は、更に、精神異常となった許秀菊さんを縄でつるし、足が腫れ、酷い苦痛にさらさせた。苦痛のあまり泣き叫ぶ声は人の心を震えさせた。



(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/2/1/66350.html