日本明慧


大法の仕事をする一方で、心性の修煉をないがしろにしてはならない!
─法を暗記した前後

文/大陸大法弟子 

【明慧ネット2004年3月20日】修煉の中で、特に大法の仕事をやっている中で、私にはいくつかの問題が現れました。私は痛恨の極みで、師父に合わせる顔がなく、同修に合わせる顔がありません。私は手元の仕事をやめて、法の勉強、法の暗記と自分の内に原因を探し始めています。

自ら大法の仕事は、修煉であって仕事ではないとわかっているつもりでしたが、心の中には固守した観念がありました:私は大法が育成した生命で、すべては大法のものであり、大法の仕事が如何に苦しく、煩わしく、難しくても私を妨害することは出来ないと思っていました。勿論、法の勉強も重要なことであるとわかっているつもりでした。時には急いで法の勉強をしますが頭の中は仕事のことでいっぱいでした。この仕事もやるべきで、あれも後回しにできない、大法のことはなりより重要なことであり、絶対に滞らせてはならないと思っていました。一日の中で、法を勉強する時間はとても少なく、先に具体的なものをやり終えてから法の勉強をし、若しくは後で補充するなどと思っていました。仕事を第一に置いて、法の勉強をその次にしました。その結果、旧勢力に隙に乗じられました。持っていた悪い物質、常人のものも強化されました。結果的に倍の労力をかけても半分の成果しかなく、手抜かりだらけで自分でも気がせきました。

実のところ、これはつまり本末転倒して、仕事ばかりやりたがっていた執着の具体的な現れであって、常人の観念で仕事をしていた訳であり、大法弟子として大法の事をしていた訳ではありませんでした。仕事ばかりやりたがっている執着は共に名利心と私心の増加も招きました。これによって法の基準に背くようになり、正法修煉の軌道から離れて、極めて危険な状態になりました。

着実に法の勉強と誠実な修煉を行わなかったため、世の中でやっていることこそ実際的であると見なしており、正法修煉の内涵を本当に悟ることができず、何かにぶつかった時はいつも心を守り切ることができませんでした。自分は誰であって、今何をしているかもすっかり忘れてしまいました。感情が理知に取って代わってしまったのです。後で直そうと決心しましたが、交流の中でも表面上では自分の内で原因を探し、自分の足りない部分を言うつもりが、そのうちにいつも他人のことに波及し、実のところそれで自分を覆い隠していました。やはり自分を顕示したいためでした。争闘心、嫉妬心も同時に出てきました。このような“私の為、気の為、自ら不公平だと言う”(《精進要旨》)悪者の心理状態に駆り立てられ、法に思い付くことができず、師父のお話しを思い出すこともできませんでした。更に、「もしあなたのすべてが正しいとしても、何故他人の悪いところがあなたの前で発生するのか」に関しても思い付きようがありませんでした。このような行いは、自分の執着を増大させるばかりではなく、同修にも良くない情報と物質を加えてしまいました。全体を分裂させて、大法弟子のイメージを傷つけました。

今、私は身をもって悟りました:師父は私達を地獄から救い上げて、つまり、私達を済度して、私達の予想を超える最高の位置に戻らせています。私達の周りで発生しているいかなる出来事も、すべて大法が私達を清浄にするためであり、一回もう一回の機縁は師父の慈悲であり、私達に与えられた誉れそのものなのです。しかし、私は“汚い世界のそれらの汚いものに執着して放しません”(《精進要旨》真修)、一回また一回の向上の機会を自ら断ってしまっていたのです。なんと恥ずかしいことでしょう。同時に私は、正法が私達の修煉に与えた機縁は益々少なくなっていると深く認識することが出来ました。全く新しい宇宙に入る時間も益々近くなって来ました。自分のことを師父が私達に与えられた最高の誉れ——正法時期の大法弟子として律して、衆生を救い済度する使命と比べてみると、なんと大きな隔たりでしょう?!比べず、思わず、探さなければわかりません。比べて思って探すと驚きで飛び上がります。

師父の慈悲、同修の助けで初めて今日の“目覚め”がありました。私はすべてを始めからやり直したいと決心しています。私は本当に法の勉強を重んじるようになり、同時に法を暗記することを始めました。自分の内に存在している問題に対して、根本的な執着で一番取り除きにくいものは、師父の“矛盾を含んでいないのは早急に解決を要する”(《学法》)という話に照らして、先ず《清醒》という経文を暗記しました。最初暗記する時は邪魔が多くてどうしても暗記し切れませんでした。後の部分を暗記すると前の部分を忘れてしまう始末でした。私は二日間を要してやっと暗記できました。それは、私が暗記できなかったところこそが、私が突破すべきところであったためでした。現在、私は如何に忙しくても、先ず法の勉強を優先して、法を暗記してから他のこともやっています。

実のところ、この文章を書く時、私は法を暗記してやっと一週間経ったところでした。私は、すでに法の威力、法はできないことがないと身をもって経験しました。以前、私は文書一篇を編集するのに相当長い時間を要し、構想も乱れていました。最近は文書一篇を書き上げるのに判断力もよく、短時間で終わらせています。

以前、大法のことがうまくいっていないとよく焦ったりして、かっとしました。現在は、類似の事にぶつかっても、師父が《清醒》の中で述べられた:“仕事中の語気、やさしい心、その上道理を加えると人の心を変えることができます”。 “仕事の中の至る所にあなた達の心性を高める要素があるのが現れています”が私の頭の中に浮かび上がり、かっとせず、焦ったりもしなくなりました。

私のこの体験文章はまだ成熟しておらず、時間も短く、始めたばかりで、悟り得たものはわずかであります。目的として先ずは、“3分間の熱気”で終わらせないように自分に言い聞かせるためであり、次は私と同様な欠点を持っている同修に伝えるためです。特に大法の仕事をやっている同修達が本末転倒せず、法の勉強を重んじなければなりません。

“注意:私達がどんなに忙しくても、法の勉強をないがしろにしてはいけません。これは円満成就へと大法の仕事を上手く遣り切れる根本的保証なのです。”(《北欧法会全体学習者に送る》)“たくさん法を勉強すれば、その分仕事はやりやすくなります”(《清醒》)。

不当なところがありましたら、同修の慈悲でご指摘をお願します。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/3/20/70305.html