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徳恵市の董徳軍氏は飲馬河労働教養所内での2日間の虐待により半身不随となった

 【明慧ネット2004年4月1日】吉林徳恵市の法輪功学習者の董徳軍氏は、修煉を堅持していることで、2002年3月27日に九台飲馬河労働教養所に収容された。翌日、所内で暴行を受け、意識不明となり、病院へと移送されたが、手を施すことは出来ず、家族の献身的看護により、一命は取りとめたものの、脳神経系を損傷しており、左側半身麻痺となった。
 
 董氏は吉林徳恵市五台郷治田村の西北村に居住している。2002年3月、長春の法輪功学習者がテレビ番組中、迫害の真相を放送したため、江沢民政権は実行者を捕らえるために全力を挙げて大規模捜査を実施していた。旧暦の2月3日、五台郷の派出所長、郭鳳軍、李秀有及び徳恵市の公安局員が、董氏の家に突入し、強制的に連行された。修煉を堅持していることにより、不法に拘留された。2002年3月27日、不法に九台飲馬河労働教養所へ移送された。
 
 数日後、家族は労働教養所長の孟祥林から、迎えに来る旨の連絡を受けた。この短い間で、容貌はやつれ変貌しており、前後不覚となり、息も絶え絶えとなっていた。労働教養所側は、家族に虚偽の説明をしたが、目撃者によると、董氏が飲馬河労働教養所送られた後、法輪功学習者に対して強制的な“転化”を行っていたという。翌日数人の受刑者に連れ出され、暴行を受けた。その際、革靴で頭部を蹴られ意識不明となったという。労働教養所側は、あわてて董氏を九台市病院へ搬送したが、脳への損傷があり、九台市病院では治療することができなかった。そのため長春公安病院へ移送され、再度検査を受けたが、同様に手の施しようがなかった。結局、董氏派労働教養所に戻された。

 労働教養所は、責任を逃れるために事実を隠し、家族に迎えにこさせた。董氏は危篤状態にあったが、家族の献身的介護により、やや回復し、奇跡的に生きていた。脳神経系への損傷により、意識は不明確であり、左半身は麻痺し、左手足は動かなかった。以後2年、寝たきりの状態であり、一人では生活が出来なくなった。83歳になる父親が共に住み、助け合って生き、日常生活の飲食などの世話を姪にしてもらっている。

 心身とも健康で、“真・善・忍”に従う良心の人が、17日間の拘留と、九台飲馬河労働教養所に送られた2日間で、このような状態になるなど、江沢民政権の残虐さを表した。九台飲馬河労働教養所の工作員である高克は、董徳軍氏を虐待した直接の犯人である。松原市の学習者である孫世忠氏も、彼の指図の下で無残にも打ち殺された。労働教養所の幹部らは、家族からの追及を恐れるために、急ぎ高克を転勤させた。

 法の網は繊細にして広大であり、漏れるところの無いものである。大法学習者を迫害する悪行への関与は、記録されるものであり、その結末を変えることはできない。善には善の、悪には悪の応報があり、正義は永遠に存在するものである。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/4/1/71393.html