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姉・李雪蓮が迫害されて死亡した経緯

 文/法輪功学習者李雪蓮の実弟・李雪岩

 【明慧ネット2004年4月14日父は今年64歳、母は60歳になる。父の一人の給料で姉弟3人を養育した。姉の李雪蓮は未婚であり、綏化百貨店で1つのカウンターを借りて、服飾(元手は失業手当である)を販売する仕事であった。兄とわたしは四方台の穀物倉庫に勤務している。父はすでに定年退職している。兄とわたしは結婚し、子供もおり、家庭は豊かではないが、平穏で睦まじく過ごしていた。 

 2002年4月27日、家の平穏が破られ、その日から不幸が絶えなくなった。その日、姉が法輪功を修煉しているために逮捕された。信じられない思いであった。姉は、人付き合いがよく、人を助けも好きで、温厚で他人と言い争うようなことはなかった。それからと言うもの毎日わたしは、四方台と綏化の姉の店の間を行き来するようになった。姉の小さいブティックは、失業手当と借用した1万元で開店したのであるが、1ヶ月にも満たないうちに逮捕されてしまった。

 6月15日、デパート側が姉の店を整理した際、借金以外には、数十枚の季節外れの服だけが残された。姉の生計の道と生活の保障は全くなくなった。わたしは、店に関する事を処理する一方で、公安局と留置場の間を往復し、姉の情況を尋ねては、食品や日用品の差し入れや生活費をもっていった。しかし、その間に発生した事には、茫然とさせられると共に、憤りを感ぜざるを得なかった。 

 第1、逮捕の43日経過後に、初めて公安局の逮捕の知らせを受け取ったのである。理由は公共の秩序をかき乱すこと。わたしたち一家は、開廷する知らせや、いかなる書面及び口頭の知らせを受け取っていない情況下で、2002年8月27日に、姉はチチハルの女子労働教養所に送られた。期間は3年間である。 

 第2、全ての法律関連書籍を調べても、姉の罪状に合致するような例を見つけることはできない。どの条例や項目によるものであろうか? 

 第3、いかなる法律により、姉が重罪犯の留置場に4ヶ月もの間拘禁することを決めたのか?姉が出てきた時には、既に以前の面影は失せていた。 

 第4、留置場に監禁される人は、等級を分けており、7㎡ほどの部屋には床もなく、薄くしかも湿ってカビが生えている掛け布団だけであった。4ヶ月で、3度しか陽を見ることがなかった。夜中トイレに行き戻ると、横たわる場所もない。食事はさらに劣悪であり、一日2食で、午前8時30分、1勺の薄いお粥、2本の漬け物、午後1勺のジャガイモ湯(泥が付着している)、何日も食べると歯が浮くようになる、1つのとても硬く歯ごたえが悪い酸味のあるウオトウ(蒸しパン)。一食の食事をするためには、15元の現金を警官に支払ってから、1碗の冷えたご飯が届けられる。洗面は、生水しかない。10数人の犯罪者が、1つの蛇口を共用して水を飲み、1つの開蓋の便器で大小便をしているのである。20㎡の部屋での臭気は想像し難いものがある。ところが、金と権力がある犯罪者が綏化留置場に入ると、全く別の有様である。シングルの個室で、テレビも見られ、軟らかいベッドに寝られ、ソファーにも座れる。飲食の面は更に言うまでもなく、選べば何でも届けられ満足させられる。金さえあれば、まるでホテルに泊まっているようである。 

 家には新たな不幸が発生した。2002年6月10日、姉が逮捕された通知を受け取った際、母は焦ったために転んで、大腿骨を折ってしまった。しかし、十分な治療費がないため、簡単な治療を受け退院した。母は終日姉の事が気になり、折れた脚を支えながら電話を掛けたり、あちこちの人に頼んだり、何らかの方法を思ったりした。無口でおとなしく、人に頼むことなどできない父も、心配に満ちた面持ちで、あちこち駆け回り始めたが、事態を打開できるものはなかった。 

 さらに不幸なことは続いた。10月20日足の傷がようやく癒えた母が、脳幹出血を起こし、その日の午後1時に亡くなった。家は崩壊した。母が亡くなった衝撃から回復していない内に、チチハルの女子労働教養所から、姉が病気になったという知らせを受け取った。両脚はむくみ、血圧は200以上、頻繁に小便を排出し、家族が連れ帰るようにという内容であった。もし、姉が教養所の中で死亡してならば、責任を負わなければならないからである。綏化留置場のあのような環境の下で、4ヶ月も拘留されたのである。結果は想像に難くない。

 2003年1月20日姉を家へ連れ帰ったが、母の死を知ると心身とも更に悪化した。病院で検査を受けると、尿毒症であった。継続的な冷え込みと深刻な栄養不足が引き起こしたものである。その命を繋ぐには腎臓移植以外に方法がなかった。既に家は借金で首が回らなくなっており、どうやって数十万元の医療費を用意できるというのか?この情報が流れると、友人らは心を尽くし、互いに力を合わせ、また親戚も全力を傾けてくれたが、その天文学的数字には、ほど遠かった。結局自宅で治療するしかなく、民間療法を尋ねては延命を図った。 

 しかし、2003年4月30日に綏化市公安局の610オフィスは、またしても姉を連行した。罪状を捏造し、再度チチハル市刑務所へ送った。ここで姉が収容されたならば、間違いなく死んでしまうことであろう。ある公安警察官が主任に2,000元を渡せば、事を済ますことが出来ると言った。わたしは姉を救い出そうと焦り、叔父の家へと行き、1,500元を借り、610オフィスの主任へと手渡した。お金を確かめると姉を連れ帰っていいと言われた。 

 家に向かう道すがら、わたしは溢れ出る涙と共に考えた。姉が綏化留置場にいた時、毎週差し入れをし、姉と会うことを望んでいたが、2回だけしか会わせてもらえなかった。守衛所を通る際、守衛に金品を渡さなければ、差し入れた物は、持って行ってはくれなかった。規則に関しても良く分からず、何を送ったらいいかもよく分からないため、差し入れた物は全て守衛に押さえられた。そして、帰り際にも、数箱のたばこを購入しては守衛に渡し、便宜を図ってもらえるように頼んだ。しかし、姉が受け取ることが出来たのは、一足のスリッパと数枚の服だけであったことを知らされた。食物は、全て守衛に持って行かれ、トイレットペーパーや生理用品でさえも取り上げられたのである。 

 2003年12月21日の午後1時、ついに姉は亡くなった。臨終の直前、姉は「あなた自らが体験したこと、そしてわたしに関する真相について、はっきり伝えてください。善悪にはその応報があることを」と言った。 

 姉が亡くなって、ちょうど100日目となった。一家は離散し、依然として、わたしの心からは、悲しみと憤りが消えてはいない…無抵抗な人を殴打し、留置場で4ヶ月も拘禁し、職務権限を利用しては金銭を請求する。これらの人々は共産党員であり、国家公務員もあり、国家の幹部でもある。党を、政府を、あるいは邪悪を代表しているのであろうか?法輪功のことを全く分からず、法輪功学習者が公共の秩序をかき乱していると言っているが、賄賂を要求し、拘留の期限などは全く無視し、利益がなければ何もしないという人こそ、真に公共の秩序を害し、かき乱し、国を蝕んでいるのではなかろうか。わたしが体験したこの事は、今まで見たどの悲劇よりも悲惨であり、国家や組織に危害を加えるこれらの人々は、どの歴史時期よりも腐敗している。必ずや悪には悪の報いが訪れることであろう。 

 ここで社会各界の人々に呼びかけたい。良知と善良により、自らの力ではどうにもならない境遇にある、これらの人々の救出に助力を請う。姉と母の悲劇が再演されないためにも…

 (実姉の100日供養において)

 注:チチハル労働教養所は、我が家が姉へ送金した生活費500数元を今なお返金しない。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/4/14/72333.html